勝川界隈 Vol 1 『勝川天神社』

春日井市勝川町
名古屋市から春日井市に繋がる下街道、南に庄内川と北の地蔵川に挟まれたこの場所は、河川の氾濫により幾度となく被害を受ける立地にあります、勝川天神社はその一画に鎮座します
宅地が広がる現在の姿からは当時をイメージする事など出来ない程に変貌しています

ここ勝川の由来は勝川と名の付く川がある訳ではなく
その昔、この辺りは庄内川を歩いて渡れるところであったことから徒歩川(かちがわ)と云われたそうです
徳川家康が小牧長久手の合戦出陣の折、「徒歩川」の地名を聞いて幸先が良いと喜び、合戦で勝利するとこの地を勝川と書く様になったと云われます
北を流れる地蔵川の由来は1265~1275年の文永年間に川の中から地蔵尊が見つかり、近隣にこれを祀る地蔵寺を建立以降、地蔵川と呼ぶようになったとか
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神社南側の地蔵ケ池公園からの眺め、参拝時は公園整備工事に伴い立ち入れない状況
公園入口の道路際に勝川天神社の常夜灯だけが孤立して佇んでいました
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工事区域の西側から鳥居に続く歩道が確保されており、玉垣沿いに並ぶ梅の紋が入った白い幟を横目に進む
ほどなく左に石鳥居と参道が広がります
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参道脇の石灯籠、その先に入母屋造りの唐破風を施された拝殿が見えます
修復から間もないのか、ガラスを多用した明るい拝殿です、 なかなかスタイルが宜しいようで
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拝殿右の手水舎、龍はしっかり仕事をしています、清らかな静水は手を清めるのに躊躇する事はありません
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杜に包まれビルを背景に建つ拝殿、国道19号線が東を走るにも関わらず境内は静寂な空間が広がります
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拝殿前の狛犬
奉納年月日を見忘れました、いかにも新しそうですがこれから風格が付いて行く事でしょう
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拝殿右の撫で牛と拝殿全景
千鳥破風と唐破風が施された拝殿、小さいながら威風堂々とした立派なもので、ガラス張りの明るい雰囲気です
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梅の紋が輝く唐破風は綺麗な曲線を描いています
破風飾や懸魚等は虚飾がなくシンプルなものです
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透塀で囲まれた幣殿、本殿の全景
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右の拝殿から透塀で囲まれた本殿までの全景(2枚をつないでいます)
勝川天神社は山田明長の高弟、無盡禅師が1313年(正和2)に創建したと云われ、もとは近隣の高山と呼ばれた地から現在地に移転され現在に至ります

天神社の始まりは905年(延喜5)九州大宰府にて祭神の菅原道真が歿し、大宰府安楽寺廟所に神殿を建て菅原道真を祀った事から始まると云われ、天神社と名の付く神社は全国に一万を超えると言われています
ここ勝川天神社もその中の一つ、700年以上前からこの地の氏神として参拝されています
現在の社殿は平成に入り改修された様です
祭神は菅原道真天照皇大御神菊理姫命、大山須美命、豊受大御神
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拝殿左の境内末社
沿革によると八幡社、春日社、厳島神社、津島社、護国社の他、近隣の神明社、山神社、洲原神社等を合祀とあり、こちらで参拝すればほぼなんでもOK、何とも有難い神社
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末社の警護はこちらの面々が担当、拝殿担当に比較するとキャリアは上の様です
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境内西側の玉垣の間にある鳥居、西の担当は経験年数豊富なこの方々
こうして狛犬を見るとキャリアは拝殿前担当が一番浅いような
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境内東側にも鳥居と村社天神社の社号標があり、白い幟が玉垣に沿って先まで連なります
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東鳥居の入口左に木々に囲まれこんもりと盛られた一画、良く見ると山丸三の紋が入った御嶽信仰の霊神碑が立ち並んでいます
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霊神碑の南側は広々とした公園になっていて、県営名古屋空港から飛び立ったばかりの飛行機が上空を飛び去っていきます
今回初めて訪れましたが工事が終わった後に改めて訪ねたいと思わせてくれる神社でした
2018/8/21

勝川天神社
創建 /  1313年(正和2)
祭神 /  菅原道真天照皇大御神菊理姫命、大山須美命、豊受大御神
末社 /  八幡社、春日社、厳島神社、津島社、護国社、神明社、山神社、洲原神社等
住所 / 春日井市勝川町1丁目3-2
アクセス / ​名鉄小牧線  味鋺駅から東へ徒歩15分程​