
身の丈ほどの高さに祀られた祠は幕が張られ、下に三つの提灯が吊られています
右手の梯子は御供えの時に使われるものでしょうか?

提灯の下に置かれた板、なぜか今日は裏返っています
表には由緒が記されていて
創建(昭和初期)
改築年度(第一回昭和48年、二回平成18年)
祠を維持する自治会(月見坂自治会9、10組)と記されています
(月見坂というと美味しい寿司屋があります、話が脱線していくのでまたの機会に)

私が子供の頃、我が町にも神社当番はありました、祠の老朽化にともない「神社当番」もなくなり、今では自治会に入らない方もあると聞く、自治会や当番は面倒だけどいつまでも引き継がれるといいですね

こうした祠は明治から昭和の初め、棟続きの長屋や住居が密集した下町で祀られます
密集した棟続きの家で生活する事は、ある種の運命共同体、火事にしても我が家だけでは済まない
そうした中で多様な組や当番が生まれお互いを知る、屋根神さまもその一つなのかも知れません
それらが地域のコミュニケーションの中心となっていきます
やがて高度成長期を迎え、建て替えや生活環境の変化に伴い、少しずつお隣との距離が生まれ、それと合わせこうした屋根神さまも消えていきます
密集した棟続きの家で生活する事は、ある種の運命共同体、火事にしても我が家だけでは済まない
そうした中で多様な組や当番が生まれお互いを知る、屋根神さまもその一つなのかも知れません
それらが地域のコミュニケーションの中心となっていきます
やがて高度成長期を迎え、建て替えや生活環境の変化に伴い、少しずつお隣との距離が生まれ、それと合わせこうした屋根神さまも消えていきます
子供の頃は名前も知らない雷おやじがいて、過去を語る長老がいたもので
悪がきだった自分を注意し、泣いてると声掛けされる、地域のどなたかにはお世話になったものです
それが当たり前の時代に育ったものとして、 それら躊躇しなければならない世の中になった気がする
こうした屋根神さまを見ると地域の風通しの良さみたいなものを感じます
この先も引き継がれていくといいですね
2018/11/15
悪がきだった自分を注意し、泣いてると声掛けされる、地域のどなたかにはお世話になったものです
それが当たり前の時代に育ったものとして、 それら躊躇しなければならない世の中になった気がする
こうした屋根神さまを見ると地域の風通しの良さみたいなものを感じます
この先も引き継がれていくといいですね
2018/11/15