名古屋市南区内田橋『紀左弘法堂』

名古屋市南区内田橋一丁目
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南区 紀左衛門神社​ の中で
「境内の白竜社には、区内の新田村にはめずらしい役行者(えんのぎょうじゃ)像や、庚申(こうしん)信仰を表す庚申塚の碑などがあります」
と記されていましたが、紀左衛門神社を訪れた際に『紀左弘法堂』に立ち寄らなかったので再訪しました
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道が大きく右に曲がる手前、歩道に接する形で堂と右側に瓦葺の小さな堂が建っていて
南無大師遍照金剛の幟が建つ堂が『紀左弘法堂』です
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朝陽を受けオレンジ色に色づく紀左弘法堂の正面全景、堂の後ろの木々は紀左衛門神社の杜
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堂内に朝陽が差し込み、内部の様子が見て取れる
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堂の入口に掲げられた木製の扁額
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朝陽が入り込む堂内は提灯が吊るされ、その奥に弘法大師の姿が見える
中は整然と整理され、訪れる方が多い事を物語っています
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弘法堂の右、石段の先に小さな堂が隣接しています
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入口の石標
石柱には青峯山、大峯山役行者大菩薩、聖観世音菩薩、白龍大明神、庚申塚と記され
移転再建1959年(昭和34)建之と記されている
手水鉢も設けられています
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清水と刻まれ、中央には龍が彫られて小ぶりながら豪華な鉢、水は枯れていました
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堂内部は朝陽が映り込み、感覚で取った一枚
水瓶を持つ菩薩像と役行者像はやさしい表情をしています
手前に二つの石碑が映り込んでいます
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アングルを少し下げて一枚、白龍大明神と庚申塚と刻まれています

この役行者像は聖観音菩薩像とともに長三郎新田の堤防上に、庚申塚の碑は青峰観音とともに長三郎新田の排水路に設けられていたと云われます

1945年(昭和20)戦災で被災,後の新幹線開通に伴い1962年(昭和37)に現在地に移されました
また,紀左衛門新田の青峰観音も伊勢湾台風で被災、後に道路整備にともない1963年(昭和38)に現在地に移転されたようです

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紀左弘法堂沿革
水難防止、海上安全を祈願し建てられ、この堂が当時の村人の集会の場となっていた様です
祭仏 / 弘法大師不動明王、聖観世音菩薩
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右の紀左弘法堂と紀左衛門神社の全景
住所 / 
名古屋市南区内田橋一丁目33番
アクセス / 名鉄常滑線 豊田本町下車、国道247号線「内田橋1丁目」交差点を西へ徒歩10分ほど