
訪れた当日は改修工事中で観光客も皆無でした、伏見稲荷大社では何となく息苦しさを感じたけれど
ここではそれはありません
目指すのは駅から西の大手筋の御香宮前交差点、歩いて5分程で辿り着きます

鳥居の先には近鉄京都線の「桃山御陵前」駅の高架が見えています
歩道の右側に大きな石灯籠が目に入ります「御香宮神社」到着です

瓦葺で曲線を控えたシャープ線な印象の門です、昔は艶やかな彩色が施されていたとも云われます
重要文化財に指定されています
門の先には参道の両脇の松並木が目に入りますが、拝殿などの建物は窺う事はできません


大手筋の大きな鳥居は1659年(万治2)に德川頼宣に石鳥居を奉納、地震で倒壊、再建を繰り返し
1767年(明和4)現在の鳥居となる、その鳥居も平成に入り台風の影響から傾き修復されましたが
その際に基礎石は再利用された、昔の土木技術の高さを物語るものでそれを図示したもの

1785年(天明5)当時の伏見奉行、小堀政方の悪政を直訴し伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた7人の町人が伏見義民と呼ばれる彼らを祀ったもの
正面の碑は1887年に建てられたものですが、碑文は勝海舟、題字は三条実美によるものと云われます


松並木の先に拝殿が見えて来ます




石段を登った一段高い位置に割拝殿、右に瓦葺の手水舎

拝殿は破風を含め内外部至る所に彫が刻まれ、その全てに極彩色の彩色が施されていて、これを一つ一つ見るだけでも訪れる価値のあるものです
帰りの電車の事もあり、今回はそれ程時間の余裕がない様です、かみさんに急かされます

拝殿は破風を含め内外部至る所に彫が刻まれ、その全てに極彩色の彩色が施されていて、これを一つ一つ見るだけでも訪れる価値のあるものです
帰りの電車の事もあり、今回はそれ程時間の余裕がない様です、かみさんに急かされます

1605年(慶長10)、徳川家康の命により建立された流造で檜皮葺の屋根、正面の頭貫、木鼻、蟇股、 向拝・・・・至る所彫刻が施され、極彩色で彩られ豪華そのもの
三つ葉葵の紋も入り、全体は朱より青が印象に残る彩です、派手なものがお好みだったのでしょう
本殿前の狛犬も躍動感があり勇ましく堂々としたものです

流れ造りの屋根は美しく流れていきます
拝殿左の御香水
862年(貞観4)、境内から良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治った事から
当時御香宮神社は「御諸神社」と呼ばれていたが、清和天皇から「御香宮」と名を受けた事から始まります
桃山の伏流水は『御香水』と呼ばれるようになります、地元の方などはそれを汲みに来るほどで名水百選の一つ、伏見の酒造りはこの豊かな伏流水によるものです、柔らかい喉越しの軟水です

透塀が取り囲み全体が見てとれませんが
少し下がると保護用のガラスなのか樹脂なのか不明ですが、その奥には色鮮やかな装飾が施されています

由緒や祭神名はよくわかりません


下、本殿の眺め、何やら一杯押し込められています

側面全景
地味ではない様でした、本殿はしっかり派手な彩色が施されています
地味ではない様でした、本殿はしっかり派手な彩色が施されています

東照宮正面全景
こう見ると地味
こう見ると地味

拝所から本殿
朱が飛び込んできます
朱が飛び込んできます


参道のその先は毛利橋通りへ続きます

本殿後方に春日大明神、天満大神、新宮、熊野社、那智、金札宮の六社が纏められる合祀殿

本殿後方の大神宮

本殿右の豊国社、秀吉を祀ります

本殿右の八幡社・恵美須社・八坂社・住吉社の四社合祀殿

本殿右の御香水碑
その前が御香水の湧き出る井戸
その前が御香水の湧き出る井戸

割拝殿の右の絵馬殿1755年(宝暦5)の建立といわれます、新旧さまざまな絵馬を間近に見られ
ここも面白いところです
ここも面白いところです

絵馬殿側から見た割拝殿正面
白壁にシックな色合いの柱、その中に極彩色に塗られた彫、表とは一味違う表情をしています
白壁にシックな色合いの柱、その中に極彩色に塗られた彫、表とは一味違う表情をしています










