稲荷駅の賑わいに桃山駅は長閑なローカル色一杯の素朴な駅の印象です
訪れた当日は改修工事中で観光客も皆無でした、伏見稲荷大社では何となく息苦しさを感じたけれど
ここではそれはありません
目指すのは駅から西の大手筋の御香宮前交差点、歩いて5分程で辿り着きます
訪れた当日は改修工事中で観光客も皆無でした、伏見稲荷大社では何となく息苦しさを感じたけれど
ここではそれはありません
目指すのは駅から西の大手筋の御香宮前交差点、歩いて5分程で辿り着きます
交差点から西の光景道路を跨ぐように大きな鳥居、車は鳥居をくぐって行き交います
鳥居の先には近鉄京都線の「桃山御陵前」駅の高架が見えています
歩道の右側に大きな石灯籠が目に入ります「御香宮神社」到着です
鳥居の先には近鉄京都線の「桃山御陵前」駅の高架が見えています
歩道の右側に大きな石灯籠が目に入ります「御香宮神社」到着です
石灯籠は歩道を遮るように建っていて、歩行者は燈籠を回り込んで歩くことになります
元号は寛政(1789~1801年)と刻まれています、表門左の由緒書き
元号は寛政(1789~1801年)と刻まれています、表門左の由緒書き
表門全景
瓦葺で曲線を控えたシャープ線な印象の門です、昔は艶やかな彩色が施されていたとも云われます
重要文化財に指定されています
門の先には参道の両脇の松並木が目に入りますが、拝殿などの建物は窺う事はできません
瓦葺で曲線を控えたシャープ線な印象の門です、昔は艶やかな彩色が施されていたとも云われます
重要文化財に指定されています
門の先には参道の両脇の松並木が目に入りますが、拝殿などの建物は窺う事はできません
境内から表門、大手筋の眺めは行き交う観光客、参拝客も少なく静かで趣のある京都がここにあります
表門をくぐった右手に大手筋の木大鳥居の基礎石解説板
大手筋の大きな鳥居は1659年(万治2)に德川頼宣に石鳥居を奉納、地震で倒壊、再建を繰り返し
1767年(明和4)現在の鳥居となる、その鳥居も平成に入り台風の影響から傾き修復されましたが
その際に基礎石は再利用された、昔の土木技術の高さを物語るものでそれを図示したもの
大手筋の大きな鳥居は1659年(万治2)に德川頼宣に石鳥居を奉納、地震で倒壊、再建を繰り返し
1767年(明和4)現在の鳥居となる、その鳥居も平成に入り台風の影響から傾き修復されましたが
その際に基礎石は再利用された、昔の土木技術の高さを物語るものでそれを図示したもの
伏見義民事蹟
1785年(天明5)当時の伏見奉行、小堀政方の悪政を直訴し伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた7人の町人が伏見義民と呼ばれる彼らを祀ったもの
正面の碑は1887年に建てられたものですが、碑文は勝海舟、題字は三条実美によるものと云われます
1785年(天明5)当時の伏見奉行、小堀政方の悪政を直訴し伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた7人の町人が伏見義民と呼ばれる彼らを祀ったもの
正面の碑は1887年に建てられたものですが、碑文は勝海舟、題字は三条実美によるものと云われます
義民事蹟入口の解説板
参道を進みます
松並木の先に拝殿が見えて来ます
松並木の先に拝殿が見えて来ます
参道を進んだ左 現在補修中の大杉社
桃山天満宮全景
流造の本殿は落ち着いたシックな装いです
参道に戻り再び拝殿へ
石段を登った一段高い位置に割拝殿、右に瓦葺の手水舎
石段を登った一段高い位置に割拝殿、右に瓦葺の手水舎
拝殿前の面々、見慣れぬ顔つきですが、スリムでなかなか凛々しい容姿をしています
拝殿は破風を含め内外部至る所に彫が刻まれ、その全てに極彩色の彩色が施されていて、これを一つ一つ見るだけでも訪れる価値のあるものです
帰りの電車の事もあり、今回はそれ程時間の余裕がない様です、かみさんに急かされます
拝殿は破風を含め内外部至る所に彫が刻まれ、その全てに極彩色の彩色が施されていて、これを一つ一つ見るだけでも訪れる価値のあるものです
帰りの電車の事もあり、今回はそれ程時間の余裕がない様です、かみさんに急かされます
拝殿前の面々、見慣れぬ顔つきですが、スリムでなかなか凛々しい容姿をしています
拝殿は破風を含め内外部至る所に彫が刻まれ、その全てに極彩色の彩色が施されていて、これを一つ一つ見るだけでも訪れる価値のあるものです
帰りの電車の事もあり、今回はそれ程時間の余裕がない様です、かみさんに急かされます
拝殿は破風を含め内外部至る所に彫が刻まれ、その全てに極彩色の彩色が施されていて、これを一つ一つ見るだけでも訪れる価値のあるものです
帰りの電車の事もあり、今回はそれ程時間の余裕がない様です、かみさんに急かされます
本殿正面全景
1605年(慶長10)、徳川家康の命により建立された流造で檜皮葺の屋根、正面の頭貫、木鼻、蟇股、 向拝・・・・至る所彫刻が施され、極彩色で彩られ豪華そのもの
三つ葉葵の紋も入り、全体は朱より青が印象に残る彩です、派手なものがお好みだったのでしょう
本殿前の狛犬も躍動感があり勇ましく堂々としたものです
1605年(慶長10)、徳川家康の命により建立された流造で檜皮葺の屋根、正面の頭貫、木鼻、蟇股、 向拝・・・・至る所彫刻が施され、極彩色で彩られ豪華そのもの
三つ葉葵の紋も入り、全体は朱より青が印象に残る彩です、派手なものがお好みだったのでしょう
本殿前の狛犬も躍動感があり勇ましく堂々としたものです
拝殿左の神楽殿方向から本殿側面の眺め
流れ造りの屋根は美しく流れていきます
拝殿左の御香水
862年(貞観4)、境内から良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治った事から
当時御香宮神社は「御諸神社」と呼ばれていたが、清和天皇から「御香宮」と名を受けた事から始まります
桃山の伏流水は『御香水』と呼ばれるようになります、地元の方などはそれを汲みに来るほどで名水百選の一つ、伏見の酒造りはこの豊かな伏流水によるものです、柔らかい喉越しの軟水です
流れ造りの屋根は美しく流れていきます
拝殿左の御香水
862年(貞観4)、境内から良い香りの水が湧き出し、その水を飲むと病が治った事から
当時御香宮神社は「御諸神社」と呼ばれていたが、清和天皇から「御香宮」と名を受けた事から始まります
桃山の伏流水は『御香水』と呼ばれるようになります、地元の方などはそれを汲みに来るほどで名水百選の一つ、伏見の酒造りはこの豊かな伏流水によるものです、柔らかい喉越しの軟水です
拝殿側面
透塀が取り囲み全体が見てとれませんが
少し下がると保護用のガラスなのか樹脂なのか不明ですが、その奥には色鮮やかな装飾が施されています
透塀が取り囲み全体が見てとれませんが
少し下がると保護用のガラスなのか樹脂なのか不明ですが、その奥には色鮮やかな装飾が施されています
本殿左から奥に入った境内、東を向いて複数の社が並びます
一番手前、参道左に神馬舎、赤い鳥居の先は菊姫大明神へ続きます
一番手前、参道左に神馬舎、赤い鳥居の先は菊姫大明神へ続きます
菊姫大明神の右が弁天社
弁財天をお祀りし、諸芸上達、金運向上にご利益ありと言われます
弁財天をお祀りし、諸芸上達、金運向上にご利益ありと言われます
松尾社
由緒や祭神名はよくわかりません
由緒や祭神名はよくわかりません
流造の松尾社側面全景
上、ニヤケ顔の松尾社担当
下、本殿の眺め、何やら一杯押し込められています
下、本殿の眺め、何やら一杯押し込められています
側面全景
地味ではない様でした、本殿はしっかり派手な彩色が施されています
地味ではない様でした、本殿はしっかり派手な彩色が施されています
東照宮正面全景
こう見ると地味
こう見ると地味
拝所から本殿
朱が飛び込んできます
朱が飛び込んできます
参道のその先は毛利橋通りへ続きます
本殿後方に春日大明神、天満大神、新宮、熊野社、那智、金札宮の六社が纏められる合祀殿
本殿後方の大神宮
本殿右の豊国社、秀吉を祀ります
本殿右の八幡社・恵美須社・八坂社・住吉社の四社合祀殿
本殿右の御香水碑
その前が御香水の湧き出る井戸
その前が御香水の湧き出る井戸
割拝殿の右の絵馬殿1755年(宝暦5)の建立といわれます、新旧さまざまな絵馬を間近に見られ
ここも面白いところです
ここも面白いところです
絵馬殿側から見た割拝殿正面
白壁にシックな色合いの柱、その中に極彩色に塗られた彫、表とは一味違う表情をしています
白壁にシックな色合いの柱、その中に極彩色に塗られた彫、表とは一味違う表情をしています