南に山門と観音堂を構えた、重厚で趣のある外観、堀もなく開放的なお寺です
山門右の観音堂とその右にある地蔵尊が真っ先に目に入る
御器所神社HPで石仏について以下のように記されています
この地に一大石仏があった為、村名がついたと伝えられています
現在、この石仏を見る事は出来ませんがそれに縁のある昔語りが現在も伝えられています、とある
昔話とは「名古屋城築城時に石を運ぶ際、そのままではあまりに大きすぎたので石工に命じ割る事となったそうでが、割ろうとした石工はにわかに目が見えなくなってしまったそうです
祟りを恐れた人々はその石で地蔵尊をつくりお祀りしたという、そのとたん石工の目は見えるようになったと伝えられ、地蔵尊はそれ以来、善昌寺で大切に安置されているとの事です」
御器所神社HPで石仏について以下のように記されています
この地に一大石仏があった為、村名がついたと伝えられています
現在、この石仏を見る事は出来ませんがそれに縁のある昔語りが現在も伝えられています、とある
昔話とは「名古屋城築城時に石を運ぶ際、そのままではあまりに大きすぎたので石工に命じ割る事となったそうでが、割ろうとした石工はにわかに目が見えなくなってしまったそうです
祟りを恐れた人々はその石で地蔵尊をつくりお祀りしたという、そのとたん石工の目は見えるようになったと伝えられ、地蔵尊はそれ以来、善昌寺で大切に安置されているとの事です」
瓦葺の小さいながら落ち着いた重厚な趣の善昌寺山門
山門から境内の眺め
境内山門脇の小さなお堂
更に先の堂の前にも文久、享保など古い元号の刻まれた古い石仏が並びます、周辺からこちらに纏められたものでしょうか
町名の由来となった地蔵尊は拝観する事は出来ないようですが、境内で見かける多くの石仏が地名の由来を語っているようです
町名の由来となった地蔵尊は拝観する事は出来ないようですが、境内で見かける多くの石仏が地名の由来を語っているようです
善昌寺本堂
境内右側に寺務所、庫裏などにつながります
境内右側に寺務所、庫裏などにつながります