「藤森神明社」名古屋市名東区本郷

名古屋市名東区本郷
東名と東名阪、名古屋高速がリンクしジャンクションの高架が聳え立つ物流の大動脈である
市内を東西に走る名古屋初の地下鉄東山線、ここでは地上に現れ終点藤が丘までは高架を走ります
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子供の頃にこの地に縁があり、当時は東名高速建設が急ピッチで進み、造成進む光景が広がる記憶が残ります、今では交通の要でもあり周囲はベットタウンへ変貌を遂げました
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市営地下鉄本郷駅から北へ10分程にある小高い丘陵地を目指します
本郷公園の北側が50年ぶりに訪れる「藤森神明社
訪れたのは2019/1/2、道路左側には神社幟が建ち一目瞭然です
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公園の北側の道路に住宅と住宅の僅かな空間に石鳥居を構えた新明社参道があります
参道は小高い頂きに続く石段をあがって行くことになります
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苦手な石段の先に二の鳥居の姿が見えます
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石段を登りきると道路の先に境内が広がります
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新明社二の鳥居前から正面全景
番塀を持ち、境内左に手水舎、その先に神明造りの拝殿が覗えます
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拝殿前の狛犬
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拝殿全景
小高い丘の頂に広がる境内はそれ程広くはないけれど、ゴチャゴチャ感を感じる事はありません
子供の頃は頂きに続く小路を登り、拝殿の西側から境内に入った記憶が残ります
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神明造りの屋根には8本の鰹木が施されスクエアな印象をうけます
当時の社殿の印象が思い浮かびませんが近年建て替えられているのでしょう
拝殿、本殿共に新しいもの
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拝殿に掲げられる扁額と拝殿内
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手水舎から見た拝殿から本殿全景
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拝殿左の英霊社と狛犬、此方の狛犬は拝殿前に比較して重鎮の風貌を漂わせています
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上段
英霊社前の手水鉢
下段
手水舎の後方にある石碑群
右から御嶽山大権現、和尓良以神舊墟、郷土碑碑でしょうか?読み取れません、明治維新100年記念事業碑
和尓良以神舊墟・・・・・
和爾良神社は1185年(文治・建久の頃)荒廃し、所在不明の神社ですが、所在地は今も特定できていません
新明社のこの碑も現在地に程近い、旧地から移転したとも云われています

和爾良神社の伝承地の候補は複数あり過去に掲載した、名東区猪高町の​和爾良神社​や春日井市宮町の​両社宮神社​などもそれらの一つと云われます
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青空に向かって伸びる新明社本殿(上段)と拝殿(下段)の千木、印象的だったので一枚
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境内の碑
上は明治維新100年記念事業碑
明治維新百年祈念事業として氏子崇敬者相計り、新規に社殿敷地を定め神明社造営計画を進め社殿様式は総て御祭神に依り神明風として社殿、社務所、水屋、参道林苑計画を施行し建物はすべて耐久性の構造を主体に一部木造を配し新時代の神社建築の粋を集め計画施行し尚社号標 灯籠等は特(篤)志家の寄贈による」
下は二の鳥居左に置かれる由緒
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眼下の本郷公園にはこんもりと盛られた一画が残り、この地に伝わる藤森城址ではないかとも言われています

高台から見下ろす風景は昔とは程遠く変貌したけれど
当時、高台を登った頂きにあった神社のイメージは今も残る神明社です


御祭神 / 天照皇大御神豊受大御神
その他に迦具土之命、国常立尊菊理姫之命、木花開耶姫命、小碓之命、大山祇之命の六神が祀られる
創建 / 棟札に、1347年(貞和三)天照坐大御神社一宇再建とある
境内社 / 英霊社
住所 / 名古屋市名東区本郷1-22
アクセス / ​市営地下鉄東山線「本郷」下車、北に徒歩10分程