高台の頂に広がる境内
二の鳥居をくぐり、左に手水舎、手水鉢には絶え間なく静水が注がれています
高牟神社拝殿
上段唐破風が施された拝殿
高牟神社は1994年旧社殿を焼失、現在の社殿は1996年再建されたものというが、新しいとはいえ優美な姿をしています
中段 拝殿扁額と下段 拝殿内
高牟神社
以下は名古屋市名東区高針・牧野池コース(詳細)より
「創始は明らかではありません、延喜式内の神社として伝えられています。
昭和25年までは八幡社と呼ばれていました。
現在の社殿は平成8年12月26日に再建されました。春岱師作の狛犬一対が社宝として残っています。」
・・・・・とある
ここ高牟神社が果たして延喜式神名帳が指すものなのかどうかは良くわかりません
それを否定する知見もなく、それなりの由縁もあっての事だと思います
上段唐破風が施された拝殿
高牟神社は1994年旧社殿を焼失、現在の社殿は1996年再建されたものというが、新しいとはいえ優美な姿をしています
中段 拝殿扁額と下段 拝殿内
高牟神社
以下は名古屋市名東区高針・牧野池コース(詳細)より
「創始は明らかではありません、延喜式内の神社として伝えられています。
昭和25年までは八幡社と呼ばれていました。
現在の社殿は平成8年12月26日に再建されました。春岱師作の狛犬一対が社宝として残っています。」
・・・・・とある
ここ高牟神社が果たして延喜式神名帳が指すものなのかどうかは良くわかりません
それを否定する知見もなく、それなりの由縁もあっての事だと思います
上段
橘の神社幕の掛けられた拝殿
下段
拝殿から本殿、流造の優美な屋根
橘の神社幕の掛けられた拝殿
下段
拝殿から本殿、流造の優美な屋根
左は名古屋市内で見る杉、拝殿前の夫婦杉
右は拝殿から二の鳥居のある境内の眺め
右は拝殿から二の鳥居のある境内の眺め
境内の西側に高針護国社
1971年、それまでの敬徳殿に変わって新たに建てられたもの
1971年、それまでの敬徳殿に変わって新たに建てられたもの
護国社の守護担当
上段
境内西側の脇参道と鳥居、その先は高針小学校になります
下段
脇参道脇にある保存庫
棒の手の武具、鳥毛、馬具などが保存されているそうです
良く耳にする棒の手ですが、由来は諸説ありますが農民の自衛手段として成熟した武術で
10月の例祭(体育の日)で奉納されるそうです
境内西側の脇参道と鳥居、その先は高針小学校になります
下段
脇参道脇にある保存庫
棒の手の武具、鳥毛、馬具などが保存されているそうです
良く耳にする棒の手ですが、由来は諸説ありますが農民の自衛手段として成熟した武術で
10月の例祭(体育の日)で奉納されるそうです
上段
境内右から社殿と護国社の全景
下段
市内では珍しい杉と桧、これは神域が一時荒廃し空地となったものを、本来の神域を取り戻すために1977年に氏子の方々により植林されたもの
社殿を取り囲む神域として、現在では見事に育っています
これを後世に語り継ぐ碑も境内に建てられています
境内右から社殿と護国社の全景
下段
市内では珍しい杉と桧、これは神域が一時荒廃し空地となったものを、本来の神域を取り戻すために1977年に氏子の方々により植林されたもの
社殿を取り囲む神域として、現在では見事に育っています
これを後世に語り継ぐ碑も境内に建てられています