緩やかな上りの先は左曲がっていきます、今来た道を振り返り一枚
東側は石垣が延々と続きます、周辺は山を切り開いた造成地、太古から氾濫を繰り返した庄内川もここまで上がれば何ら影響はないだろう
東側は石垣が延々と続きます、周辺は山を切り開いた造成地、太古から氾濫を繰り返した庄内川もここまで上がれば何ら影響はないだろう
駐車場手前の左の道に入ります、正面には春日井の街並みと王子製紙から立ち上がる煙が見えます
参道はこの道の右にあります
参道はこの道の右にあります
木々で囲まれた真っ直ぐ伸びる参道、正面に拝殿が見えています
参道入口の右側に社号標、その先に狛犬と石鳥居
参道入口の右側に社号標、その先に狛犬と石鳥居
鳥居前で守りを固める肉付きの良い面々
石鳥居と大神宮と刻まれた石灯籠は昭和初期に建之されたもの
参道を進む、玉垣で囲われた境内
その手前には表情が個性的な二の狛犬達
左の吽形は右足に何かを持っているようですが鞠なのか子なのかが良くわからない
鞠にしては潰れています、軟式?
阿形は口に球を咥えているようですが、細目い目は嬉しさに満ちているようにも見てとれます
その手前には表情が個性的な二の狛犬達
左の吽形は右足に何かを持っているようですが鞠なのか子なのかが良くわからない
鞠にしては潰れています、軟式?
阿形は口に球を咥えているようですが、細目い目は嬉しさに満ちているようにも見てとれます
境内左に手水舎、龍が絶え間なく手水鉢に静水を注いでいます
右の碑は社殿改築記念碑
右の碑は社殿改築記念碑
拝殿前の三の狛犬
吽形は頭部に角を持つ♂阿形が♀で其々にシンボルが彫り込まれていて一目で♂♀の識別ができる
ポケモンに出てくるキャラクターの様な外見も含めて初めて見るものです
ユニークでありながら勇ましさを感じる、この神社最大の見所かも知れませんね
吽形は頭部に角を持つ♂阿形が♀で其々にシンボルが彫り込まれていて一目で♂♀の識別ができる
ポケモンに出てくるキャラクターの様な外見も含めて初めて見るものです
ユニークでありながら勇ましさを感じる、この神社最大の見所かも知れませんね
コンクリート製の社殿、扁額も新しい
嘗ての八幡社は現在地から東北の八幡ヶ嶺の頂に鎮座していたとされ、中世に庄内川の肥沃な土地を耕す
様になり、住民もそれと共に次第に生活の拠点を山から低地に移っていき、八幡ヶ嶺の頂きから西の山沖と呼ばれる場所に遷座します
現在の様に強固な堤防のない時代、当然ながら度重なる庄内川の氾濫に見舞われます
再び住民は川から離れた山沿いへと移り住む様になり、現在の地に八幡社も落ち着く事になります
神社の棟札から、ここに遷座したのは1656年(明暦元年)と云われます
1984年(昭和59)に入り区画整理に伴い、嘗て鎮座した八幡ヶ嶺、山沖共に姿を変え地名もなくなった
嘗ての八幡社は現在地から東北の八幡ヶ嶺の頂に鎮座していたとされ、中世に庄内川の肥沃な土地を耕す
様になり、住民もそれと共に次第に生活の拠点を山から低地に移っていき、八幡ヶ嶺の頂きから西の山沖と呼ばれる場所に遷座します
現在の様に強固な堤防のない時代、当然ながら度重なる庄内川の氾濫に見舞われます
再び住民は川から離れた山沿いへと移り住む様になり、現在の地に八幡社も落ち着く事になります
神社の棟札から、ここに遷座したのは1656年(明暦元年)と云われます
1984年(昭和59)に入り区画整理に伴い、嘗て鎮座した八幡ヶ嶺、山沖共に姿を変え地名もなくなった
上段
一之御前社から本殿の裏側へ回り込むと後方の大本宮へつながります
当初の鎮座地に本宮の石碑を建て語り継いできたが、1984年(昭和59)に入り区画整理に伴い石碑は現在地の本殿後方に移されたもの
下段
本宮から更に先に進み本殿の右横に護国社
一之御前社から本殿の裏側へ回り込むと後方の大本宮へつながります
当初の鎮座地に本宮の石碑を建て語り継いできたが、1984年(昭和59)に入り区画整理に伴い石碑は現在地の本殿後方に移されたもの
下段
本宮から更に先に進み本殿の右横に護国社
八幡神社の東の釜ヶ洞北公園、この通りを奥に進めば、今は全く面影もない嘗ての鎮座地へ続きます
八幡神社
創建 / 不明、現在地には1656年(明暦元年)遷座
祭神 / 譽田別命/比咩大神/須佐之男命/菊理姫命/大山祗命
住所 / 名古屋市守山区吉根南808
アクセス / 市営地下鉄名城線「大曽根」から「ゆとりーとライン」中志段味行「下島」下車、東に徒歩10分程
八幡神社
創建 / 不明、現在地には1656年(明暦元年)遷座
祭神 / 譽田別命/比咩大神/須佐之男命/菊理姫命/大山祗命
住所 / 名古屋市守山区吉根南808
アクセス / 市営地下鉄名城線「大曽根」から「ゆとりーとライン」中志段味行「下島」下車、東に徒歩10分程