


一の鳥居左に社号標、常夜灯、境内左に手水舎となります
金山神社由緒書き
「当社は金山彦命を主神として金山姫命、石凝姥命、天目一筒命、天津眞浦命等鍛冶鋳造の祖神を奉祀する
社地は熱田神宮修理の鍛冶職であった尾崎氏宅跡で実に尾張鍛冶の発祥の地とするところである
今より約六百年前の應永年間に尾崎善光が勧請して神社を創建した
熱田神宮の境内社として年中両度の祭典には同神宮の祢宜が奉仕した
德川末期に至って金物商の信仰が起り、金属業界の有志が集って金榮升榮の二講を結び
社殿の造営を勧進した
その後二講が合併して全盛講となり昭和31年迄神社の運営に奉仕せるも
同年十一月発展的解消をして、広く金属業界の篤信者並びに地元氏子に呼びかけて金山神社奉賛会を結成なし浄財を勧進して昭和三十三年十月現在の社務所を新築せり
当社は金山町西金山町及び花町の氏神として多数の氏子崇敬を有し名古屋市内外金属業種の厚い崇敬を集めている、例祭は「ふいごまつり」の十一月八日である」
尾崎善光は後に熱田区中瀬町に移り住み、それまでの住居に金山神社が建てられた様です
刀の需要、宮宿の馬寄せや寺社もあり鍛冶屋さんの需要は高かったのかも知れない
金山神社由緒書き
「当社は金山彦命を主神として金山姫命、石凝姥命、天目一筒命、天津眞浦命等鍛冶鋳造の祖神を奉祀する
社地は熱田神宮修理の鍛冶職であった尾崎氏宅跡で実に尾張鍛冶の発祥の地とするところである
今より約六百年前の應永年間に尾崎善光が勧請して神社を創建した
熱田神宮の境内社として年中両度の祭典には同神宮の祢宜が奉仕した
德川末期に至って金物商の信仰が起り、金属業界の有志が集って金榮升榮の二講を結び
社殿の造営を勧進した
その後二講が合併して全盛講となり昭和31年迄神社の運営に奉仕せるも
同年十一月発展的解消をして、広く金属業界の篤信者並びに地元氏子に呼びかけて金山神社奉賛会を結成なし浄財を勧進して昭和三十三年十月現在の社務所を新築せり
当社は金山町西金山町及び花町の氏神として多数の氏子崇敬を有し名古屋市内外金属業種の厚い崇敬を集めている、例祭は「ふいごまつり」の十一月八日である」
尾崎善光は後に熱田区中瀬町に移り住み、それまでの住居に金山神社が建てられた様です
刀の需要、宮宿の馬寄せや寺社もあり鍛冶屋さんの需要は高かったのかも知れない

金山神社の常夜灯、刻まれた年号は今一つ識別できませんが、特に古いものではないようです

龍はお休み、手水鉢の水面は鏡の様です

二の鳥居から拝殿全景、右手に社務所があります
広いとは言えない境内ですが商業地金山に鎮座する事を思えば広いくらいなのでは
広いとは言えない境内ですが商業地金山に鎮座する事を思えば広いくらいなのでは


上段 拝殿に掲げられた扁額、鳩除けなのか金網がとても邪魔です
下段 拝殿内の「敬神愛国」の額
下段 拝殿内の「敬神愛国」の額



拝殿脇の手水鉢は半ば埋もれているような
燈籠の元号は読めそうで読めない
燈籠の元号は読めそうで読めない
