名古屋市緑区大高町字寅新田
寅新田とはこれまたすごい地名だこと
寅新田の開発が始まった1614年・1626年が寅年だった事から寅新田となったようです
北に巨大な堤防で天白川・扇川の氾濫から守られている海抜〇メートルの地域
現在では堤防のおかげでその事すら忘れてしまう環境です
県道59号線(名古屋中環状線)の二番割交差点を南に入ってすぐ東側に松の木が植えられ玉垣に囲われた一画が寅新田の秋葉社・津島社・御嶽社です
寅新田とはこれまたすごい地名だこと
寅新田の開発が始まった1614年・1626年が寅年だった事から寅新田となったようです
北に巨大な堤防で天白川・扇川の氾濫から守られている海抜〇メートルの地域
現在では堤防のおかげでその事すら忘れてしまう環境です
県道59号線(名古屋中環状線)の二番割交差点を南に入ってすぐ東側に松の木が植えられ玉垣に囲われた一画が寅新田の秋葉社・津島社・御嶽社です
石垣が積まれ、その上に瓦葺きの土塀で囲われた立派な門を二つ持つ
神域に社の屋根が三つ見える
神域に社の屋根が三つ見える
県道側から見た神社、狭い道路際の傾いた玉垣が気になるところ
境内東側からの全景
境内には立派な松が聳え、右隅には小さな堂もあるようです
境内には立派な松が聳え、右隅には小さな堂もあるようです
本殿全景
右の門が御嶽社
社の両脇に霊神碑が祀られている
江戸時代後期に出来た木曽御嶽山に対する山岳信仰
左が普寛霊神碑
1791年(寛政3)木曾の御岳山の王滝口登山道を修験道の道場として開いたとされる行者
右が覚明霊神碑
1785年(天明5)尾張の行者で黒沢口を開山し、御嶽信仰の開祖となった行者
岩作の御嶽山等ではこうした霊神碑が立ち並ぶ光景を目にすることが出来ます
江戸時代後期に出来た木曽御嶽山に対する山岳信仰
左が普寛霊神碑
1791年(寛政3)木曾の御岳山の王滝口登山道を修験道の道場として開いたとされる行者
右が覚明霊神碑
1785年(天明5)尾張の行者で黒沢口を開山し、御嶽信仰の開祖となった行者
岩作の御嶽山等ではこうした霊神碑が立ち並ぶ光景を目にすることが出来ます
門柱の木鼻の彫や、止め蓋瓦の亀の装飾といい、小さな神社ですが手間をかけ建てられたように見えます