
東に巨大な火力発電所があり、その西側の堤防下にある広場の一画に竜宮神社は鎮座します
竜宮神社の北には竜宮保育園が隣接し、堤防道路を更に5分も歩くと衣浦港
そこには竜宮橋と名の付く小さな人道橋もあります
正直なところ竜宮と云われてもピンとこない環境です
しかし一昔前の富貴村と呼ばれた頃は、堤防の東に波打ち際の続く富貴海水浴場があり賑わったそうです
そうした景観を思い描くと竜宮と呼ばれてもなんら不思議ではない
伊勢湾台風の被害で景観は一変、竜宮橋も流され、海岸は埋め立てられ火力発電施設に変貌
現在の景観は玉手箱を開けてしまった、そんな景観になっています

竜宮城の前の広場にはカラフルな遊具があり、子供達の集いの場になっていて、後ろには保育園の園庭もあり、竜宮神社はそれを見守るかのように鎮座します
子らの声を聴きながら乙姫様も退屈しないのでは

正面全景
石積みの台座の上に玉垣で囲まれ、各々に常夜灯が建っていて、一見するとそればかりが目に付きますが、小さな社が祀られています
この常夜灯、千石船で栄えた頃にこの地の船主達により、海上安全を願い1854年に建てられたもの
と云われるそうです
石積みの台座の上に玉垣で囲まれ、各々に常夜灯が建っていて、一見するとそればかりが目に付きますが、小さな社が祀られています
この常夜灯、千石船で栄えた頃にこの地の船主達により、海上安全を願い1854年に建てられたもの
と云われるそうです

右の竜宮神社全景
手前左に由緒書き、浦島伝説に所縁のある近隣スポットの地図も記載されています

神域の左に竜宮神社と右に常夜灯
由緒書きには以下の様に記されています
「この社は、天長二年(825年)七月、浦島太郎が竜宮城から帰ったのち、ありし日の竜宮を偲んで建立したと伝えられ、祭神は大綿津見神(オオワタツツミノカミ)である。
村人の信仰も厚く、昭和三四年伊勢湾台風による海水浴場閉鎖まで毎年旧暦七月十六日はこの社の前の砂浜で村の娘達総出の浦島音頭による竜宮踊りが奉納された。
常夜灯は、江戸時代後期千石船で栄えた、この市場地区の船主達が嘉永七年(1854年)海上安全を願って建てたものである。」とあります
そりゃあ連日、連夜の饗応は偲びたくもなるだろう・・・・・煩悩おやじだけか?

竜宮神社と秋葉神社が綺麗に並びます
それにしても浦島太郎、いつの時代の人なのか・・・・・
竜宮神社
建立 / 825年(天長2)
祭神 / 大綿津見神
住所 / 愛知県知多郡武豊町大字冨貴字竜宮
アクセス / 名鉄河和線「冨貴」駅下車東へ、徒歩10分程
桜の咲く時期はこの地区の山車が曳きまわされ、神社前の広場に勢揃いする様です
2019/05/18