
ここから5分も東に進めば津賀田神社に続きます
突然路地から現れたおやじ、工場前で転寝していたトラ君?を起こしてしまったようです

『白龍神社』参道口全景
細い参道の左脇に社号標と石鳥居
その先に石垣が二段に積まれた神域に社が見えます
細い参道の左脇に社号標と石鳥居
その先に石垣が二段に積まれた神域に社が見えます

参道脇の近隣にある寺社案内板
小さ目の玉砂利を踏みしめながら境内へ
小さ目の玉砂利を踏みしめながら境内へ

細い参道は鳥居前から境内は広がりを見せます
鳥居前から『白龍神社』を望む
鳥居前から『白龍神社』を望む

右に手水鉢がありますが静水は注がれていません

左手に白龍神社を語り継ぐ由緒書き
そこには
「戦前、この地域一帯は、蛸ヶ池(田光ヶ池)という灌漑用池であった。
都市化によって埋め立てる際、村人の伝説となっていた『池の主』白龍大王と呼ばれる。
おろち(大蛇)の魂を鎮めるために祭ったのが白龍神社である。
終戦後の一時期堀田小学校の疎開先として開校した事がある」・・・・・とある
そこには
「戦前、この地域一帯は、蛸ヶ池(田光ヶ池)という灌漑用池であった。
都市化によって埋め立てる際、村人の伝説となっていた『池の主』白龍大王と呼ばれる。
おろち(大蛇)の魂を鎮めるために祭ったのが白龍神社である。
終戦後の一時期堀田小学校の疎開先として開校した事がある」・・・・・とある

由緒書きはこの玉垣の中に建てられ、中には複数の岩がある
ここにおろちが祀られているのだろうか?
ここにおろちが祀られているのだろうか?

上は左が明治頃、右が現在の白龍町
津賀田神社の西の麓、田光ヶ池周辺に複数の集落と農地が広がる
この辺りは埋め立て整地された事がわかります
池の埋め立て工事に伴い、様々な災いが起きます、村人は池の主の怒りに触れ災いが起きていると考え、池の畔に社を立てお祀りした
現在の町名の由来は、ここ白龍神社から付けられたと言われます
津賀田神社の西の麓、田光ヶ池周辺に複数の集落と農地が広がる
この辺りは埋め立て整地された事がわかります
池の埋め立て工事に伴い、様々な災いが起きます、村人は池の主の怒りに触れ災いが起きていると考え、池の畔に社を立てお祀りした
現在の町名の由来は、ここ白龍神社から付けられたと言われます

白龍神社全景
一段目の石垣は北側道路の高さに合わせるためだったようです
神域には千木、鰹木をあつらった社が南を向いて祀られています
一段目の石垣は北側道路の高さに合わせるためだったようです
神域には千木、鰹木をあつらった社が南を向いて祀られています

右にも狛狐が守護する稲荷社があります、こちらについて案内板はなく詳細は不明

北側車道からの眺め、こう見ると石垣は一段、北から南に傾斜している事が良くわかります
