

赤い歩道橋を渡ると目の前に「事任八幡宮」が現れます

歩道橋から西方向の眺め、事任八幡宮を取り巻く様に水田と緑の山々広がります

遠江国一之宮「事任八幡宮」参道から境内全景
かつての令制国の一つで遠江(とおとおみ)国および、その領域にあたる現在の静岡県西部一帯を指します
古くは遠淡海(とほつあはうみ)とも呼ばれ、大和国から離れた淡水湖(現在は汽水湖)の浜名湖を遠淡海と呼んだようです
これに対し近淡海(ちかつあはうみ)は近江国の琵琶湖を指す様です
遠江国の一之宮はここ「事任八幡宮」と「小国神社」の二社になります
かみさん曰く「やらない」と言っていた全国一之宮参拝、地道に御朱印を集めているようです
かつての令制国の一つで遠江(とおとおみ)国および、その領域にあたる現在の静岡県西部一帯を指します
古くは遠淡海(とほつあはうみ)とも呼ばれ、大和国から離れた淡水湖(現在は汽水湖)の浜名湖を遠淡海と呼んだようです
これに対し近淡海(ちかつあはうみ)は近江国の琵琶湖を指す様です
遠江国の一之宮はここ「事任八幡宮」と「小国神社」の二社になります
かみさん曰く「やらない」と言っていた全国一之宮参拝、地道に御朱印を集めているようです

境内に入り右に由緒書き、左に社号標

太鼓橋から鳥居、参道は真っ直ぐに東へ伸びていきます

境内の杜を背景に鳥居扁額

境内は正面に楠木の巨木が聳え、手水舎と社務所、右に南鳥居、左に二つの鳥居があります



「金刀比羅神社」右に巨大な「夫婦杉」の株が祀られています
連理の木と呼ばれ参道中ほどに聳えていたこの巨木は、2018年の台風24号の強風で倒れます
金刀比羅神社と稲荷神社を避ける様に倒れ、倒れても夫婦と呼ばれる株は分かれる事はなかったそうです
その株の皮を剥ぎ、ここに祀ったものです
夫婦の絆の強さを表わすようなパワーを感じます
連理の木と呼ばれ参道中ほどに聳えていたこの巨木は、2018年の台風24号の強風で倒れます
金刀比羅神社と稲荷神社を避ける様に倒れ、倒れても夫婦と呼ばれる株は分かれる事はなかったそうです
その株の皮を剥ぎ、ここに祀ったものです
夫婦の絆の強さを表わすようなパワーを感じます



参道脇でその存在を主張する事任八幡宮のクスノキ
苔生した根回りは19.3m、樹高は31mの八幡宮を象徴する御神木は、樹齢500~600年と見られ天然記念物に指定されています
北側を除いた三方向に枝が広がり、強烈な日差しを程よく遮り参道に木陰を作ってくれています
苔生した根回りは19.3m、樹高は31mの八幡宮を象徴する御神木は、樹齢500~600年と見られ天然記念物に指定されています
北側を除いた三方向に枝が広がり、強烈な日差しを程よく遮り参道に木陰を作ってくれています

まるで城の様に高く積まれた石垣の上が事任八幡宮本殿になります

境内正面の社務所、右の鳥居は南鳥居になります

南鳥居から見た境内、拝殿右に杉の巨木が聳えています

清めを済ませて拝殿に向かいます


緑の木々に包まれて佇む拝殿

入母屋瓦葺の拝殿全景
1840年(天保11)に新築されたもので、壁の四面全てに彫が施されています

拝殿内を望む
神紋は左三つ巴と鹿の角・・・・・ではなくて亀甲に亀卜(キボク)
三河國一之宮「砥鹿神社」の御神紋と同じですね
主祭神 / 己等乃麻知比売命 / 誉田別命 / 息長帯比売命 / 玉依比売命
神紋は左三つ巴と鹿の角・・・・・ではなくて亀甲に亀卜(キボク)
三河國一之宮「砥鹿神社」の御神紋と同じですね
主祭神 / 己等乃麻知比売命 / 誉田別命 / 息長帯比売命 / 玉依比売命

拝殿左側から透塀に囲まれた流造の本殿域を望む
煌びやかな飾りの無いシンプルなものです
事任八幡宮の由緒に依れば創建は成務天皇の131~190年頃と云われ、807年(大同2)坂上田村麻呂が勅使を奉じて再興したと伝わり、己等乃麻知比売命を祭神とします
再興以前は本宮山へ参拝していたが現在地(里宮)に遷座、現在に至ります
枕草子の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があり、平安時代には「ことのままの神」は都にまで知られていたと言われます
後の1062年(康平5)、源頼義が京都から石清水八幡宮を勧請、八幡神が武家の守り神として広まりを見せ、八幡宮と称する様になります
己等乃麻知神社の己等乃麻知比売命は本宮と周辺に分霊され表には現れなくなります
社名も家康の頃には誉田八幡宮と呼ばれていた様です
1947年(昭和22)社格撤廃に伴い、昔の社号「ことのまま社」に基づいて事任八幡宮へ改称されますが
神社本庁で認められた祭神は八幡大神のまま
「願い事のまま叶えてくださる神」己等乃麻知比売命が祭神として戻ってきたのが1999年(平成11)とつい最近のことです
煌びやかな飾りの無いシンプルなものです
事任八幡宮の由緒に依れば創建は成務天皇の131~190年頃と云われ、807年(大同2)坂上田村麻呂が勅使を奉じて再興したと伝わり、己等乃麻知比売命を祭神とします
再興以前は本宮山へ参拝していたが現在地(里宮)に遷座、現在に至ります
枕草子の中に「ことのまま明神いとたのもし」と書かれた項があり、平安時代には「ことのままの神」は都にまで知られていたと言われます
後の1062年(康平5)、源頼義が京都から石清水八幡宮を勧請、八幡神が武家の守り神として広まりを見せ、八幡宮と称する様になります
己等乃麻知神社の己等乃麻知比売命は本宮と周辺に分霊され表には現れなくなります
社名も家康の頃には誉田八幡宮と呼ばれていた様です
1947年(昭和22)社格撤廃に伴い、昔の社号「ことのまま社」に基づいて事任八幡宮へ改称されますが
神社本庁で認められた祭神は八幡大神のまま
「願い事のまま叶えてくださる神」己等乃麻知比売命が祭神として戻ってきたのが1999年(平成11)とつい最近のことです



拝殿右の建物内部には大笛と神輿が保管展示されています

大きな笛が二つ、アルペンホルンの様でもあります

黄金色の飾り金具が施されたピカピカの神輿は、1835年(天保6)に修理した棟札も残り、2007年(平成19)に大修理を経て今も華やかに輝いています


拝殿右から赤門の眺め、右に緩やかに下る階段は手水舎へと続きます

赤門から拝殿と石垣の眺め
木々の緑、石垣の苔、いずれも緑が鮮やかです
木々の緑、石垣の苔、いずれも緑が鮮やかです

事任八幡宮境内案内図

南口の鳥居
南側の駐車場整備に伴い、2010年(平成22)に建てられたもの
本宮参拝しないのであれば南側駐車場は境内アクセスに一番便利
南側の駐車場整備に伴い、2010年(平成22)に建てられたもの
本宮参拝しないのであれば南側駐車場は境内アクセスに一番便利


南には昔ながらの長閑な水田風景が続いています、ゆっくりと時は流れ、夜には蛍に逢えるかもしれませんね
水田の遥か先は、ひっきりなしにトラックが行きかう国道一号線と掛川道の駅が見えます
時の流れの対比が面白い、この後はいよいよ事任本宮まで参拝します
水田の遥か先は、ひっきりなしにトラックが行きかう国道一号線と掛川道の駅が見えます
時の流れの対比が面白い、この後はいよいよ事任本宮まで参拝します

車を停めた本宮前の駐車場の正面が参道口となります

道路際の本宮鳥居から271段の石段を上っていきます
斜度もきつくはないのでシャシャツと本宮に辿り着くはずです
斜度もきつくはないのでシャシャツと本宮に辿り着くはずです

ところがその日は夫婦揃って睡眠不足
そのせいでしょうか271段のこの石段がとてもきつい、歩きづらい
鳥居から時間にして10分程なんですが、登る前には軽くストレッチをお勧めします
そのせいでしょうか271段のこの石段がとてもきつい、歩きづらい
鳥居から時間にして10分程なんですが、登る前には軽くストレッチをお勧めします

ようやく本宮の二の鳥居と奥宮が見えて来ました

木々に包まれひっそりと佇む本宮

里宮から己等乃麻知比売命が消えても、ここで綿々と祀られ続けてきました
参拝します、願い事叶えてください
参拝します、願い事叶えてください

木立の間からは里宮のある八坂を僅かに望むことが出来ます
周囲は杉や広葉樹に包まれ、静まり返っています
里宮には無い特別な世界がそこにありました
2019/06/20
遠江国一之宮「事任八幡宮」
創建 / 131~190年頃
祭神 / 己等乃麻知比売命 / 誉田別命 / 息長帯比売命 / 玉依比売命
境内摂社 金刀比羅神社、稲荷神社、五社神社
住所 / 静岡県掛川市八坂642
アクセス / 神道名高速道路名古屋ICから新東名経由約120分
遠江国一之宮「事任八幡宮」御朱印
周囲は杉や広葉樹に包まれ、静まり返っています
里宮には無い特別な世界がそこにありました
2019/06/20
遠江国一之宮「事任八幡宮」
創建 / 131~190年頃
祭神 / 己等乃麻知比売命 / 誉田別命 / 息長帯比売命 / 玉依比売命
境内摂社 金刀比羅神社、稲荷神社、五社神社
住所 / 静岡県掛川市八坂642
アクセス / 神道名高速道路名古屋ICから新東名経由約120分
遠江国一之宮「事任八幡宮」御朱印
