名古屋と瀬戸を結ぶ県道61号線、通称瀬戸街道と呼ばれる県道沿いに鎮座します
この道は善光寺街道へとつながり、信州へ塩を運ぶための重要な街道であったとされます

江戸時代初期に始まった新田開発、周辺を流れる矢田川等の河川より標高が高い事から、地形を生かして谷の出口等に堰を作り雨水や湧水を溜める農業用の溜池が多く作られていた事が分かります
田畑を潤す溜池は時に堰が切れ人的被害を受けますが、開墾の手が止まる事はありませんでした
やがて1905年の瀬戸自動鉄道開通に伴い、少しずつ農地から住宅地へと変貌を始めます
現在も農地が残り、緑豊かな住宅地として広がりを見せています
それに伴い溜池は農業用の水源から、治水や消防水源に用途を変え徐々に埋め立てられていきます

鳥居右の「霞ヶ丘バス停待合所」は現在バス停としては使われていませんが、少し前の名残りを留めるため取り壊される事なく今も残っています


ここから北側には大森八龍の山があり、そこを水源とした水の恵みや、水害を鎮める村人の信仰の場として祀られたものでしょう


鳥居は昭和54年合祀 大森新田嶋中とあり、社号標は昭和50年建之と彫られています
社ありきで考えると「龍神」と彫られた石碑は昭和54年に近隣からこちらに移されたようです
新田を潤す水を溜池に依存しなければならなかったこの地にあって、雨を司る龍神様は必要不可欠だったのでしょう
『白龍社』
創建、祭神不明
住所 / 名古屋市守山区大森5丁目2201
アクセス / 名鉄瀬戸線「印場」下車、西へ徒歩10分程