名古屋市南区星崎町阿原
この辺りも狭い道が迷路の様に続きます
この辺りは笠寺台地の南端にあたり、かつて「あゆち潟」と呼ばれ海岸線が迫る地域やがて徐々に地続きとなり笠台観音の東の東海道から分岐して知多へと続く知多街道が作られていきます
「石神社」は本星崎の駅から数分の所に鎮座します
前の通りは知多街道、神社の右側は緩やかに下っています
この僅かな勾配は知多に向けて陸路をつなぐため、信長が作らせたと言われる阿原堤の名残 り
神社の角に建つ「南区史跡散策路」の案内板
左に折れると石鳥居の先に祠は目の前
参道左の御神木
知多街道沿いで境内は幅の狭い縦長で、境内はさざれ石の様な石が複数置かれています
御神木の楠木は根本に小さな鳥居があり、幹は曲がり、大きな樹洞も開いています
何かが住み着いている、そんな気にさせます
社前を守る小さな狛犬
奉納年度は見ませんでしたが、それほど年月を重ねたものではなさそうですが可愛い狛犬です
祠前景
小さいながら瓦で葺かれた屋根を持つ重厚感のある祠です
祠の前には丸い石が祀られています「重軽石」なのかな?
祠の中にはしゃもじの様なものが見えます
参拝を終え、祠の中を良く見せていただきました
「しゃもじの様な」ではなく正真正銘のしゃもじです、それも無数に納められています特別な石を御神体とする「みしゃくじ信仰」と言う事でしょうその特別な石はひょっとすると隕石なのかもしれません
病気治療や歯痛、神経痛に御利益があるといわれ、治癒のお礼にシャモジを供えるのが慣わしとされ
オシャモジ様やしゃくじと呼ばれ、石を御神体とする神社は名は変われど多数あったようです
やがて神仏分離の影響を受け、大きな神社に合祀されたりして数を減らしていったようです
納められたしゃもじの数が御利益の数なのかもしれませんね
鳥居は昭和6年、燈籠には昭和2年と刻まれていますが、石神社の創建年代は良くわかりません
2019/07/03