守山区「医王山 長命寺」

名古屋市守山区白沢町「長命寺

f:id:owari-nagoya55:20210729172549j:plain市内から車の場合、県道30号線を龍泉寺方向に走り「松川橋南」交差点で右折、「川村」交差点を左折、直進した左側で参拝者駐車場も確保されています。
前回掲載した守山区白沢町「天王社」の東に隣接する臨済宗のお寺です。

f:id:owari-nagoya55:20210729172600j:plain長命寺山号は医王山。
道路南に面し白壁が続き、中ほどに重厚な山門を構えています。

f:id:owari-nagoya55:20210729172611j:plain山門左の石碑には「長命を 祈りてまいる この寺は 清く流るる 川村の里」と記されている。

f:id:owari-nagoya55:20210729172626j:plain山門から境内の眺め。
正面に入母屋瓦葺の本堂と右方向に庫裏、寺務所と繋がっている。
本堂左方向に濃尾震災慰霊碑などがある。

f:id:owari-nagoya55:20210729172638j:plain山門右の手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20210729172650j:plain山門から左方向。
右から蓬莱七福神の寿老尊を祀る壽老殿と鐘楼、その左に観音堂の伽藍。

f:id:owari-nagoya55:20210729172701j:plain境内から山門の眺め。
四脚の瓦葺の山門、木鼻や蟇股など手が掛けられ、趣のある佇まいをしています。
境内西側に戦没者慰霊碑が建っている。

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長命寺はもともとは川嶋神社付近に長母寺を開山した無住国師が旧号で光常寺として開山したとされ、小牧・長久手の合戦(1584年)で本尊の薬師如来像を除き伽藍を焼失。
後の1700年(元禄13)に長母寺末寺、「医王山 長命寺」と改号し再興され現在に至るようです。
(上の地図の左のマーカーが川嶋神社で右が長命寺)

また周辺にはかつて南北に城があり、ゆとりーとラインの「白沢渓谷」付近の小高い場所に川村北城が、長命寺の南東付近に川村南城があったとされ、どちらも今は痕跡は残っていません。

長命寺と川村南城は所縁があり、織田信長の家臣とされる水野右京進が築城し、城主5代に続く水野氏の菩提寺長命寺だという。本堂裏手には1720年(享保5)に建てられた石碑も存在する。
現在の本堂は1956年(昭和31)に再建されたもので、伽藍は新しいけれど長い歴史を持つ寺。

f:id:owari-nagoya55:20210729172713j:plain本堂全景
向拝木鼻などには意匠が施され、コンクリートにはない暖かく落ち着いた佇まい。
本尊は薬師如来

f:id:owari-nagoya55:20210729172727j:plain瓦葺、入母屋造りの妻入りの壽老殿全景。
蓬莱七福神の寿老尊を祀る。
蓬莱七福神とは守山区尾張旭など名鉄瀬戸線沿線の霊場巡り。
守山区小幡の長慶寺(大黒天)、同区大森の法輪寺(福禄寿)、同区小幡の弘法寺(布袋尊)、同区市場の宝勝寺(毘沙門天)、春日井市松河戸の観音寺(弁財天)、尾張旭市印場元町の良福寺(恵比寿)、別格として守山区竜泉寺の龍泉寺(宝船)、そしてここ白沢町長命寺の寿老人の霊場を巡るもの。

f:id:owari-nagoya55:20210729172744j:plain木造瓦葺の鐘楼
緑青に覆われつつある梵鐘、銘文は見当たらず、いつ頃鋳造されたものかは分からなかった。
梵鐘の下帯には蓮?が描かれているけれど、全体の姿はシンプル。

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観音堂
鐘楼の左にある切妻の建物でこの背後が白沢町の天王社。
堂中には複数の観音像と右に地蔵が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20210729172817j:plain観音像
前列の像は主に昭和の頃の像が多いが、奥の方には寛政や文政の頃に奉納されたものが見られます。
一番奥に安置された丸みのある素朴な表情の像などは更に古く見える。
そうした像はきっちりと刻まれたものにはない、人の思いが感じられいいものです。
2021/07/27


長命寺
宗派 / 臨済宗
本尊 / 薬師如来
開基 / 無住国師
創建 / 不明
所在地 / ​名古屋市守山区白沢町319-1
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