前回掲載した上渡合町に鎮座する八柱神社から、車で県道33号線を北上、折平町地内で県道353号線へ
右手の田んぼの中のこんもりとした杜が今回の目的地折平町の八柱神社になります
移動時間は5分もかからないでしょう
県道33号線から県道353号線に入りそこから東方向の上渡合の八柱神社方向を眺める
飯野川沿いに開けた傾斜地に田んぼが広がり、ここから西側は折平山が迫っている
八柱神社(折平町)の社地全景を東から眺める
農地の中心に神社が鎮座し、古くからの集落は山側に集まっている
社頭は南東向きに鳥居を構え、社殿はお椀を伏せた様な杜に包まれています
杜は数本の杉の巨木と広葉樹で形作られ、桜の樹も見られます
社地の盛り上がり具合は古墳をイメージさせるものがあります
社頭の眺め
一対の常夜灯と右にある村社八柱神社の社号標は大正9年(1920)寄進されたものでした
石の明神鳥居から境内に入ると左に舞台らしき建物があり、社殿は城壁を思わせる高い石垣の上に建てられています
社頭右にこの辺りではお馴染みの由緒書きが立てられています
「十ニ等級 八柱神社 旧指定村社
元亀年中(1570-1573)の勧請には安政5午年(1858)、棟札に創建は貞享3丙寅年(1886)と記されている
古来は若宮八王子社と称した
明治5年(1872)9月村社に列する
昭和15年(1940)7月7日、社殿改修、社務所新築
同16年10月6日指定社となる
境内社の山神社は天福元巳年(1233)2月7日、琴平社は天保10巳亥年(1839)3月10日と棟札に記されている」
西加茂郡誌に目を通す、折平八柱神社の記載はあったが祭神以外は記されていなかった
手水鉢には配管から手水が注がれるようですが生憎と注がれていなかった
石段前の狛犬は標準的なもの(年代未確認)
入口から見上げる神門と拝殿
神門と拝殿に架けられている額はどちらも八柱神社とあり、劣化もないことから近年改修を受けたのかもしれない
社殿全景
切妻妻入りで向拝を持つ拝殿と切妻平入の鞘殿がひとつに繋がったもので、鞘殿には千木と鰹木が付く
拝殿の鬼には八柱の社名が入る
大きな拝殿額
拝殿や鞘殿は虚飾を廃したシンブルな外観です
ガラス越しに見た本殿、造までは分からなかった
祭神は天照大神と須佐之男命の誓約により生まれた五男三女神です
鞘殿左の境内社
由緒にあった琴平社や山神社はここに祀られている
左から津島神社、琴平神社、大神宮社、秋葉神社、山神社、御鍬社、山神社の七社相殿
琴平社はともかく、山神社が二社祀られてる、どちらが由緒にあるものだろうか
相殿の左に一社だけ離れて祀られている石の社
文字が刻まれているのだが全く読めない、これが由緒にある天福元巳年(1233)の山神社だろうか
もともとこれらは神社合祀令にともない、集落に点在していたものが八柱神社に纏められたものと思われます
神門から見下ろす境内
右手の建物の用途が良く分からなかった
農村舞台が多いこの辺り、これも農村舞台?と思いたくなる
まるで城壁
ここから西側の県道を越えた、折平山の東麓から続く尾根の高みには戦国時代に築かれた折平城址があるという
その一帯の地名が折平町中屋敷、地名から嘗てこの辺りを収めていた豪族の居館があったことが偲ばれる
三河志の折平城の項目には城主不明の記述だけで、築城年・築城主は不明
殉国の碑の先でどっしり聳える樹齢200年を越えるツブラジイの巨木
太い幹は途中から二つに分かれ、そこから更に大きく枝を広げている
樹高は目測15㍍以上あり、幹回りは約3.6㍍と見事な樹で、豊田市の名木に指定されている
創建 / 貞享3年(1886) 棟札の記録
祭神 / 正哉吾勝勝建日天忍穂耳命、天穂日命、天津彦根命、活津彦根命、熊野櫲樟日命、田心姫、湍津姫命、市杵島姫命
境内社 / 津島神社、琴平神社、大神宮社、秋葉神社、山神社、御鍬社、山神社、不明社
所在地 / 豊田市折平町姓敷329
氏子地域 / 豊田市折平町
例祭日 / 10月第4日曜日
上渡合八柱神社から折平八柱神社まで車アクセス / 県道33号線北上し県道353号線に入り右側5分以内
参拝日 / 2024/03/07
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