『西八龍社』名古屋市北区中味鋺

名古屋市北区味鋺
東龍神社​から庄内川右岸堤防の道路沿いを西(下流)へしばらく歩く
やがての堤防の下に鎮座する緑の屋根の神社が見えてきます
東があれば西もある、という事で西八龍社が今回の目的地です

現在は直線的に流れる庄内川も以前は蛇行を繰り返し、氾濫も頻発した地域
河は人々に苦難を与えると共に豊かな土壌を与えて来た
ここに住む人々はそうした河と共に生活を営んで来ています
その環境からは独特の文化や​水屋​という知恵も生まれてきます

f:id:owari-nagoya55:20191114103838j:plain西八龍社は堤防道路の下に鎮座していますが、昔の堤は現在より川側にせり出していた所に鎮座していたと云われます(上の写真は左が明治右が現在)
戦火で焼かれ本殿以外は焼失、1950年(昭和25)から始まった大規模な庄内川改修工事で、せり出し部分を北に下げて新しく堤を築く事になり、それに伴い西八龍社は移転を余儀なくされ現在地に幣殿・拝殿・社務所を再建したようです
それから時も過ぎ、2018年改築工事の手が入ったようです

f:id:owari-nagoya55:20191114103849j:plain庄内川の堤から右に降りていくと、右手に社殿も見えています
堤から下に続く参道?には神社幟を立てる柱があります

f:id:owari-nagoya55:20191114103902j:plain堤防の中ほどから境内全景の眺め
右に社号標、鳥居が建ち、境内には左手の榎など立派な木々が聳えています
榎の黄葉も終盤を迎え、落葉の時期を迎えています

f:id:owari-nagoya55:20191114103911j:plain鳥居前(昭和11)から下流側の眺め
堤防との高低差を感じる事が出来ると思います
近年の異常降雨、水位が堤を超えた時、周辺は二階部分のみならず、一体は湖沼の様になってしまう土地柄

f:id:owari-nagoya55:20191114103919j:plain 移転が昭和、改修が2018年なので、それを機に建てられたと思われる社号標
表面は鏡のように周囲の風景を映し出しています

f:id:owari-nagoya55:20191114103928j:plain鳥居から境内の眺め
楽殿の先に緑も鮮やかな屋根を持つ真新しい社殿が並びます
今は浮いた感じがしますが時間と共に落ちいていくと思います
綺麗な境内です

f:id:owari-nagoya55:20191114103935j:plain

境内左の榎の脇に手水石

f:id:owari-nagoya55:20191114103948j:plain 社殿全景
右が社務所、中央が拝殿、左が御神木の覆屋

f:id:owari-nagoya55:20191114103957j:plain 左の御神木
これがこの神社のシンボルと云える存在

f:id:owari-nagoya55:20191114104007j:plain 元は中が空洞の杉の古木
こうした古木には不思議な話がつきものです
雷が落ちた、中に住みついた獣を煙で追い出そうとした等、色々な謂れがあるようですが
どれが正解であろうが大きな問題ではないような気がします

人の力では何ともし難い自然の事象、そこから生まれる畏怖の念は神(摩訶不思議なもの)の存在を意識し、敬う心が芽ばえてくるのは当然のこと
「火のない所に煙りは・・・・・」ではないけれど、それにつながる事象があったのでしょう
個人的には落雷の痕跡に見えます

西八龍社の創建は921~938年(承平年間)と伝えられる古社ですが、1818~1830年(文政年間)にかけて雷除けの神、日乞いの神として厚く崇敬されたと言われます
それは現在もそのまま受け継がれています

f:id:owari-nagoya55:20191114104019j:plain解説板
「雷が落ちて焦げたとされる「杉の大木」
「雷除」神社として知られる西八龍社のシンボルとして伝えられる」
とあります
確かに杉の巨木の空洞の内側は真っ黒に炭化し、雷が落ちたと云われると頷けます

・・・・・? 雷が落ちた木が雷除け?
そこにはまた何かがあるのでしょうね

怖い物として「地震・雷・火事・おやじ」と良く聞いたものですが
最近「おやじ」の威厳は落ちるところまで落ち、街からは「雷おやじ」も絶滅危惧種
今のご時世は「地震・雷・火事・洪水」なのかも知れません

f:id:owari-nagoya55:20191114104029j:plain大きなガラス窓から外光が良く入る明るい拝殿、木肌は見るからに新しく清々しい
拝殿から回廊で左の社務所に繋がっています

通称「かみなり神社」と呼ばれ、古くから、雷除け・日乞いの神として敬われ、地元のみならず、遠方からも参拝に訪れるようです
神紋は三つ巴

f:id:owari-nagoya55:20191114104040j:plain 西八龍社略記
祭神 / 高龍神
創建 / 不明(承平年間931~938)、朱雀天皇の御代と伝えられている

「移設に際しては霊験を恐れ手がけられなかったところ、氏子総代などに依頼して移築が叶った」
「霊験を恐れて」とは以下のようなことらしい
1943年(昭和18)、春日井市にある名古屋陸軍造兵廠鳥居松工場の廃水施設のため、地蔵川の改修工事が行われたそうです
工事は水分橋の西から庄内川の右岸にかけて行われ、工事は進み西八龍社の境内に入ったところ、工事に従事していた作業者は次々に病気になった
それは神域を犯した祟りとされ、工事は頓挫してしまったそうです
1950年の移転の際も工事関係者はその事があり請け負うものがいなかったようです
それを形にしたのが氏子達と言う事です

f:id:owari-nagoya55:20191114104051j:plain本殿
光物の少ない素朴な流造
後方には杉が杜を作っています
御神木の幹の太さと比較すると植えられた年代は違うようです

f:id:owari-nagoya55:20191114104107j:plain本殿前の燈籠
竿の部分に何か彫られているようですが、年代ではなく奉納者のお名前の様です

f:id:owari-nagoya55:20191114104119j:plain角の取れた石を高く積み上げ、その上に本殿が祀られています
この高さも水を意識したものでしょうか

f:id:owari-nagoya55:20191114104132j:plain控えめな社殿にあって、金色にあつらわれたの三つ巴の神紋が輝いています

f:id:owari-nagoya55:20191114104321j:plain綺麗に改修された境内西側からの眺め

f:id:owari-nagoya55:20191114104333j:plain鳥居左の榎も移転の際に植えられたものでしょう、今では見上げるばかりに大きく根付き
空を遮るように枝が伸びています

f:id:owari-nagoya55:20191114104345j:plain この地の時の移り変わりを語り継いで行く榎
古い地名や古木、その地を伝える語り部であり、付き合い方を教えてくれるものです

西八龍社
住所 / 名古屋市北区味鋺1-203
アクセス / 名鉄小牧線味鋺」下車 西へ、​東龍(東八龍)神社経由で徒歩25分程
御朱印は​味鋺神社​で頂けるようです

蕎麦の花 野もの料理 『丸富』

諏訪大社四社参り、当初計画の日帰りから車中泊の二日工程となつてしまいましたが
目的を果たし家路へ
行きに発覚した​ETC作動不良​もあり、急ぐこともない小旅行
諏訪からの帰りは伊那谷経由で下道で返る事にしました
昔は白馬にスキーに行く時など、雪で高速が止まったりすると通っていた道です
ウン十年ぶりに走ってみました
道も随分と良くなり、道すがらにはワイナリーやら、気になる寺社などが次々に現れます
かみさんは車窓の景色を楽しんでいるかと思えばスマホばかり眺めています
昼ご飯を探すのに夢中です、検索Wordは「蕎麦」
県道14号線を1:30程で駒ケ根IC付近に到着、この辺りからかみさんのナビが始まりました

f:id:owari-nagoya55:20191112142902j:plain駒ケ岳に向かう道路から農道らしき道を5分走り、店も見当たらない「左の空き地に入つて」とナビが指を差します
左側の黒いフェンスを良く見ると小さく「丸富」と書かれた看板
運転者には全く見えない

f:id:owari-nagoya55:20191112142915j:plain駐車場に入ると赤い屋根の山小屋風の建物が見えてきます
駐車場から一段下がった場所に店舗があるため、道路からは分かり難い
多府県から訪れた車で駐車場は一杯です、余程おいしいお店の様です

f:id:owari-nagoya55:20191112142931j:plainかみさんは先に降り、待ちの列へ
駐車場の空を待ち、駐車場から階段を下りて行くと、正面に山小屋風の建物の玄関へ
店内の待ちスペースで合流
このお店、県外から訪れる程の人気店だそうな

f:id:owari-nagoya55:20191112142942j:plain入口右の看板
営業時間は11時30~15:00(売り切れ次第終了)
火曜定休

f:id:owari-nagoya55:20191112142954j:plain古民家をそのまま改装したものらしく、店内は木を前面に現わし、ゴチャゴチャした飾りのない薪ストーブのある落ち着いた空間

f:id:owari-nagoya55:20191112143005j:plainさり気なく飾られた草花がアクセントになっています

f:id:owari-nagoya55:20191112143016j:plain待つこと30分程でテーブルも空き、メニューを眺めオーダー
新蕎麦が食べたかったけれど、既に売り切れ
粗挽き蕎麦1,000円をお願いしました
蕎麦以外にもその時々の野の物を出してくれるようです

何年前か定かではありませんが、以前は飯田市で開業していたようです
水に拘りがあるようで「駒ケ岳の伏流水」を求めてここに店を構えたようです

口コミの評価は二分するようで、県外からの支持層が多いようです、口コミは・・・・・

f:id:owari-nagoya55:20191112143028j:plain間もなく箸も用意されました、これも木を意識したものです

f:id:owari-nagoya55:20191112143042j:plain粗挽き蕎麦がやってきました
以下は個人の感想
見た目にそれほど粗挽き感は感じられません、香りも蕎麦を主張するものではありません
何もつけずに一口頂く、口に入れると漸く蕎麦の風味が感じられる
適度な濃さの蕎麦汁は出汁の旨みが印象に残るものではない
蕎麦は喉越しも良く、美味しく頂きました
率直に、普通においしい蕎麦です、十割蕎麦はまた印象が違うのかも知れません

ただ、緑に包まれた静かで落ち着いた雰囲気は好感が持てます
テーブルに季節の草花なんかあると、遠くから訪れた人の印象も変わるのではないでしょうか
おいしさには雰囲気や些細な飾り等、視覚から受ける印象も影響してくると思います
総合評価は5点満点で2.5くらいか
時間を掛けやってきて、長い時間待っただけの満足感があるかと云われると疑問符か付きます

評価は個人の嗜好が入ります、上手くマッチした方には絶品である事に間違いはないでしょう
多府県ナンバーが多いのはそうした事なのかな
どこかに地元客ばかりが集うお店もあったりして

里 蕎麦の花 野もの料理 丸富
住所 /   長野県駒ヶ根市赤穂中割23-180
営業時間   /   11:30~15:00まで、18:00~(予約)
定休日 / 毎週火曜日
電話 /   0265-83-3809
アクセス /    ​中央道駒ヶ根ICから 5分程

太清寺に続く嘗ての門前通りに鎮座する 『秋葉社』  

春日井市勝川町2丁目
観音堂​から南の地蔵川方向に向かいます

f:id:owari-nagoya55:20191111171344j:plain勝川第一公民館(左)の東に太清寺山門に続く通りが見えて来ます
勝川2丁目の秋葉社はこの公民館の敷地に鎮座します

f:id:owari-nagoya55:20191111171356j:plain三差路の角地に玉垣で囲われ、南を向いて鎮座する社がこの一帯の火伏を担う「秋葉社」です
生憎の雨の中、人通りも少ない街角に佇んでいます

f:id:owari-nagoya55:20191111171409j:plain境内全景
小さな敷地、境内に入ると常夜灯の直ぐ正面が社になります
見渡してみるも手水鉢は分かりませんでした

f:id:owari-nagoya55:20191111171419j:plain右側の燈籠
竿の部分に文字が刻まれているようですが内容は読み取れません

f:id:owari-nagoya55:20191111171430j:plain コンクリートの基礎の上に鎮座する社全景

f:id:owari-nagoya55:20191111171441j:plainソリッドな印象の神明造り対し、緩やかに曲線を描き向拝に続く流造
斜めから見た時が一番流麗に見えるような気がします

この秋葉社
そもそもここが秋葉社とする根拠を境内で見つけられませんでした
持ち帰って調べても良くわからない、すっきりしない
日を改め太清寺を尋ねたところ「秋葉社」という事を教えて頂けた
お話によると、名古屋から小牧に向かう小牧街道と多治見に続く下街道の分岐点で宿場があった
社前の東西の通りはその昔、現在の19号線あたりまで続く太清寺の門前通り
その通りには幾つかの社があったそうですが、それらは​勝川天神​社境内へ移されたが
秋葉社は町の火伏せとしてここに残った様です

f:id:owari-nagoya55:20191111171335j:plain当時の様子を留めたいい古地図を見つけきれませんでしたが
明治の頃と現在の比較を上に掲載します

マーカーの位置が秋葉社のある場所、南が地蔵川です
明治の頃ですら蛇行し庄内川に合流している事が分かります
今は流路も変えられ直線的に流れる地蔵川も、その昔は氾濫に悩まされた場所です
勝川天神社のあるあたりは勝川地蔵池と呼ばれ、池には地蔵に纏わる言い伝えも残ります

この池は庄内川の水位上昇時の調整池の役割と、江戸時代には勝川村から尾張徳川家へ旗竿が献上されていたそうです
勝川の竹薮はもともと少なかったそうで、坂下地区に御留場を設け、そこから切り出された竹は勝川地蔵池(庶民の立ち入りは禁止)に浸し虫を殺し、洗われた竹が藩や勝川天神に献上されていたそうです

勝川の旗竿は地名もあり縁起がよいとして名産品となり「勝川竿」と呼ばれ、縁起の良い竿として珍重されたそうです

f:id:owari-nagoya55:20191111171451j:plain かつては賑わったであろう太清寺に続く門前通り
今は静かな住宅地に変わっています、その火伏の神がこの秋葉社です
残念ながら創建などは分かりませんが、人の集まる公民館の敷地で大切に守られています

秋葉社
創建・祭神 /   不明
住所 /    春日井市勝川町2丁目16-1
アクセス /    ​JR勝川駅から南西に徒歩20分ほど

『白華山慈雲寺』

春宮の鳥居から東の秋宮に向け、南垂れの斜面に残る旧中山道を歩く事5分程

f:id:owari-nagoya55:20191109205009j:plain左側に石段が現れ、庚申塔と白華山慈雲寺寺号標が建っています
石段の右には龍の口がある

f:id:owari-nagoya55:20191109205017j:plainこの水は慈運寺を訪れる参拝者のために造られ、江戸時代は中山道を行き交う旅人の喉を潤したという

f:id:owari-nagoya55:20191109205026j:plain江戸時代中期に旧横山村(現在の岡谷市)の山田金右衛門により造形された竜頭水口は
通称「龍の口」と呼ばれ、龍の口からは今も絶え間なく水が注がれています

f:id:owari-nagoya55:20191109205034j:plain龍口後方の解説板

f:id:owari-nagoya55:20191109205041j:plain慈雲寺へはこの石段を上っていきます
巨木に包まれた石段の途中に山門が見え、参道は更に上へと続きます
急な石段の続く参道脇には複数の祠が建てられています

f:id:owari-nagoya55:20191109205050j:plain藤森、白鷺、駒形三社稲荷神

f:id:owari-nagoya55:20191109205102j:plain小さな狛犬一対の先に建つ堂、堂内の掛け軸に書かれた弘法大師の文字と白躰龍王
赤、黄、白の御幣は確認できるけれど、他の情報が読み取れません

f:id:owari-nagoya55:20191109205123j:plain堂の左に注連縄が架けられた小さな瀧
不動明王像と○×龍王の碑がある、修行の場?龍王水?

f:id:owari-nagoya55:20191109205112j:plain山門も近付いてきました、その右側にも急峻な斜面に石が積まれ三社祀られています
しっかりと表札も掲げられていながら、それを撮っていない大失態・・・・・思い出せません

f:id:owari-nagoya55:20191109205136j:plain静かな参道ですが山門の先から時折車の通り過ぎる音が聞こえてきます

f:id:owari-nagoya55:20191109205302j:plain先程の三社の上斜面にも祠

f:id:owari-nagoya55:20191109205315j:plain開運厄除不動明王とあり、自然石の上に大きな不動明王像が安置されています

f:id:owari-nagoya55:20191109205326j:plain全ての不浄を焼き払うと云われる火炎光背、明王や二童子像に施された彩色は随分色褪せています

f:id:owari-nagoya55:20191109205353j:plainこの像は1860年(万延元年)高遠の氷沼庄兵衛室宗寿の作とある
調べて見たけれど人物像を知る事は出来ませんでしたが、作品は威厳がありいいものだと思います

f:id:owari-nagoya55:20191109205406j:plain段々畑の様な参道脇
最上段に大きな覆屋があり、御柱が建っています、その脇に小さな社が祀られています
参道の上は車道になっているようです

f:id:owari-nagoya55:20191109205416j:plain厄除観音とあり、扉は閉ざされ像を見る事は出来ませんでした

f:id:owari-nagoya55:20191109205428j:plain覆屋には弥栄富神社とあるが、なんと読むの?
富町にあった弥栄神社? 違うよナ

f:id:owari-nagoya55:20191109205440j:plain弥栄富神社の右に「矢除石」と呼ばれる岩が在ります
慈雲寺中興の祖、天桂上人を師と仰いだ武田信玄
戦に行く際に慈雲寺に立ち寄った信玄は、天桂和尚に戦勝の教えを請うたそうです
和尚は境内の岩の上に立ち、信玄に「弓で射よ」といい射かけさせたそうです
信玄が放った矢全て岩にはじかれ、釈然としない信玄が訪ねると「この岩には矢除けの霊力がある」と教えられ、信玄はこの不思議な力が込められた矢除札を持ち戦に出向いていったそうです

f:id:owari-nagoya55:20191109205454j:plain急な石段も終わり、視界が開け、目の前は国道142号線
参道はここで一旦途切れ、国道を渡った先に二つ目の山門が現れます
山門右側には慈雲寺の寺号標と駐車場があります
車で通ると、ここが一の山門と思ってもおかしくないのでは
下で見かけた不動明王は見逃す事になる、歩いて正解です

f:id:owari-nagoya55:20191109205514j:plain二つ目の山門の奥にはもう一つ門がある様です

f:id:owari-nagoya55:20191109205530j:plain門をくぐり参道へ
両脇は杉並木が続き、石畳の両脇は緑も眩しい苔が絨毯の様に続きます
右手は延命地蔵を安置する地蔵堂

f:id:owari-nagoya55:20191109205543j:plain杉と桧に囲まれた参道脇と境内は一面緑鮮やかな苔の絨毯

f:id:owari-nagoya55:20191109205558j:plain真っ直ぐに続く石畳の先に二層の山門、その先に松の姿が見えます
癒しを与えてくれる清々しい空間です、初めて訪れましたがここはとても気に入りました
春宮には大勢の参拝客が訪れるものの、慈雲寺は静寂に包まれています
もっと着目されていい寺なのでは?

f:id:owari-nagoya55:20191109205558j:plain参道左に金刀比羅宮
左に一つだけの石燈籠がありその脇には解説板があります

f:id:owari-nagoya55:20191109205612j:plain

金刀比羅宮についての解説ではなく
石灯籠に対して解説されているものです
海印寺高麗形創作燈籠」
普段見慣れた一対の石灯籠、古くは一つが正式な形だったようです
韓国の海印寺にある六角形の石灯籠を原型にして、四角柱にアレンジしたもの
春日大社の石灯籠「柚ノ木型」の源流となったと云われているようです

直線を基調としたシンプルな燈籠です

f:id:owari-nagoya55:20191109205628j:plain金刀比羅社の右
日根野高吉の供養塔

日根野高吉は豊臣秀吉家臣で高島城の城主、江戸時代初期の1600年(慶長5)に没する
息子の日根野嘉明は1649年(慶安2)、高吉の50回忌供養の為に建立したものがこの五輪塔と云われます
諏訪にある五輪塔としては最大で、1970年(昭和45)に下諏訪町文化財に指定されたもの

f:id:owari-nagoya55:20191109205642j:plain三つ目の山門前、左右に石仏が建ち、良く見慣れた形の燈籠が一対
傍に寄りたいところですが、この見事な苔を踏みつける事は出来ないですね
観光客までが踏み入れる事で苔は痛んでいきます

f:id:owari-nagoya55:20191109205657j:plain三つ目の山門から境内
二層で左右に仁王像を配し、二階に梵鐘のある楼門
慈雲寺は​春宮の鎮護を目的に建てられた鬼門寺で、​下社春宮幣拝殿​が1780年(安永9)ですが、この山門は、1777年(安永6)に村田長左衛門矩重により建立されたと伝わります
慈雲寺は1806年(文化3)に本堂、庫裏、宝蔵など殆どの伽藍を焼失しましたが、唯一、この山門だけは焼失を免れまぬがれたそうです
建立当初から慈雲寺の移り変わりを見続けています

f:id:owari-nagoya55:20191109205714j:plain
f:id:owari-nagoya55:20191109205728j:plain両脇の仁王像
随分と状態の良さが目に付きます
それもそのはずで、1996年(平成8)に安置されたそうです
これから年月を重ね一層風格が増していく事でしょう

f:id:owari-nagoya55:20191109205746j:plain
楼門から境内
石畳が敷かれ左に伸びていきます
右手には赤松の一種で天桂松と呼ばれる見事な松が出迎えてくれます
その下は生き生きとした苔庭が広がります

f:id:owari-nagoya55:20191109205759j:plain「天桂の松」の樹齢は推定400年以上、苔庭一杯に広がったその枝振りは見事
慈雲寺を開山した天桂和尚の手植と伝えられる、松の古木は1972年(昭和47)に下諏訪町の天然記念物に指定されています

f:id:owari-nagoya55:20191109205815j:plain
本堂正面の枯山水「帰錫庭」
10個の巨石が配され、各々の石には意味がある様で、お釈迦様が修行から戻って来た時の弟子達の様子を石に見立てているそうで、「釈迦十大弟子の庭」とも呼ぶそうです
枯山水を含めこの庭園の手入れは、京都から庭師を呼び手入れされる様です
砂紋の白と石の周りに植えられた苔の緑のコントラストは美しい
これほど手入れされた庭を持ちながら、拝観料を取らない事に驚きを覚えます

f:id:owari-nagoya55:20191109205830j:plain本堂扁額
白華山慈雲寺
宗派 / 臨済宗妙心寺派
開山 / 1300年(正安2)
山号 / 白華山
本尊 /   千手千眼観世音菩薩
現在の本堂は焼失後の1808年(文化)に再建されたものです

この本堂の裏にも庭園があります

f:id:owari-nagoya55:20191109205846j:plain楼門の正面に地を這うように枝を張る天桂の松
白砂の上に浮かぶ姿は緑豊かな島のようにも見えます 

f:id:owari-nagoya55:20191109205900j:plain境内左の鐘楼
梵鐘は1368年(応安元年)の鋳造で町指定有形文化財
諏訪八景の7番目に「慈雲晩鐘」として、慈雲寺の夕暮の鐘声が諏訪を代表する一つとして選定されています

f:id:owari-nagoya55:20191109205915j:plain清浄光殿とその前の石灯籠
慈雲形石灯籠
現在採石が禁止されている三名石(奈良石、白川石、本御影石)を用い作られている

f:id:owari-nagoya55:20191109205932j:plain池泉庭園
本堂裏手にあり、この後方にバイパスを作る計画があるようです
少子高齢化、過疎化、車離れが進む中で継続的なインフラ維持を含め、慈雲寺が唱えるバイパスの必要性を問う幟は将来に向けての警鐘でもあるように思えます

f:id:owari-nagoya55:20191109205946j:plain本堂左手から枯山水の庭園の先の天桂の松、楼門、鐘楼の眺め

f:id:owari-nagoya55:20191109210155j:plain本堂全景と庫裏
桜、苔、紅葉、針葉樹の緑と一年を通じて表情を変える趣のある寺だと思います
信玄に庇護された慈雲寺、素通りするには惜しい寺です

住所 / ​長野県諏訪郡下諏訪町東町中606

1107庄内川夕景

「秋の日はつるべ落とし」というけれど
まさに陽が落ちるのが早くなってきました

f:id:owari-nagoya55:20191107205745j:plain

少し郊外に出て見ようと庄内川堤防までやってきました
今日の夕焼けのグラデーションは見惚れる程の美しさがありました
刻々と色合いを変え焼けていく空に、足を止め見入っていました
きれいです

・・・・・日暮れが早くなるにつれ、妙に損した気持ちになるのは自分だけか?
11/07 庄内川水分橋上流

春日井市勝川町の観音堂と温故知新碑

春日井市勝川町3
JR勝川駅からだと南西に徒歩で15分程の住宅街の中に勝川公園があります
今回は公園西側の勝川南部学習等供用施設の敷地内にある観音堂に向かいます

f:id:owari-nagoya55:20191107090652j:plain少し北には東名阪自動車道とその下には国道302号が走っています
今は区画整理により綺麗な住宅街の趣きですが、この一帯は過去に兜塚といわれ、野墓もあった地域
日頃何気に通っていても、過去にそうした場所だったとは全く知らなかった

それを教えてくれた地蔵堂は勝川公園南側の交差点角にあります

f:id:owari-nagoya55:20191107090700j:plain勝川南部学習等供用施設の敷地の南の一画に小さな瓦葺の堂が目的地
堂前には右に半僧坊大権現、左に金毘羅大権現の石標が建っています
堂は扉が閉じられ内部を窺う事はできません

f:id:owari-nagoya55:20191107090709j:plain堂の左は奥に広がりを持ち、左に地蔵が並び、その右奥には小振りな地蔵が多数安置された地蔵堂?があります

f:id:owari-nagoya55:20191107090717j:plain左の地蔵は全部で七体あり、横一列に安置されています

f:id:owari-nagoya55:20191107090726j:plain いずれも御揃いの前掛けが付けられ、公園のある東側を向いています
一番右の地蔵には、「元禄五年(1692)申三月十五日勝川村念佛講」と彫られています

f:id:owari-nagoya55:20191107090845j:plain後方にこの地蔵に纏わる「六地蔵様」の解説板
六? 歳なりに白内障が始まったおやじの目には七つあるのだが・・・・・

f:id:owari-nagoya55:20191107090733j:plain六地蔵の後方に温故知新碑
そこには以下の様に記されていました
「ここ勝川はその昔、賀智里といって早くから開けた村で、庄内川地蔵川などのお蔭で穀倉地帯であったが、一たん大雨が降ると、きまって河川が氾濫して折角の美田も土砂に埋まり、家や寺も幾度か危険にさらされてきた
それでも村の人たちは、この土地を見捨てないで、共同して復興に努め、以前に勝る肥よくな田畑をよみがえらせてきた
こうした厳しい水との戦に明け暮れた村の人たちの間に、自然に培われた根性は、土地への強い愛着心と、強固な結束力であった
史上希な惣中結成の大業はこれを端的に物語るもので、あたかも勝川を象徴するかのように今だにその名をとどめている
中世になって、下街道の中継場として栄え旅館業や飛脚、馬喰など職業も多様化し、村は活気を呈した
古書には戸数135、人口694、馬28とある
はるか元禄の昔、ここ兜塚の一角を選定して祖先永眠の聖地としてから悠久288年間続いた野墓は、昭和56年秋、春日井都市計画勝川土地区画整理事業の一環として取り除かれ、潮見坂墓園や檀那寺境内へそれぞれ集団で移転した
この画期的大事業は勝川の歴史を塗りかえて、明日への躍進を約束してくれることであろう
昭和57年4月」

温故知新、古きをたずねて新しきを知る
自分の中では久しく忘れていた言葉を思い出させてくれた
それにしても碑に刻まれている「画期的大事業」とは土地区画整理事業を指すのだろうか?

f:id:owari-nagoya55:20191107090742j:plain六地蔵様の右奥は地蔵堂ではなく、観音さまを安置した観音堂でした

f:id:owari-nagoya55:20191107090750j:plain堂内には十二体の石の観音様が安置されています

f:id:owari-nagoya55:20191107090757j:plain

f:id:owari-nagoya55:20191107090807j:plain堂内壁面に空海と観音像が彫られた木片が掛けられていますが詳細は分からない

f:id:owari-nagoya55:20191107090817j:plain こちらも何か書かれてるが内容は分からない

f:id:owari-nagoya55:20191107090834j:plain お堂の中の説明文によれば次のとおりである
「……この地に遷された数基の「お観音様」の中に天明や文化の年代に勝川村念佛講建立と記されたものがあり、古書には当時の村人は五百余人とある。
念仏講による観音建立は村人の暮らしの中にあり観音信仰として深く結びついていた証である。
徳川、明治、大正、昭和と180余年の歳月をへた今日なお香華を手向ける者が絶えないのは「観世音」の名を唱える者は全ての危難から逃れ「観世音」に敬礼する者は福徳の得ると教示・・・・・・
ここに安置されている「お観音様」は200年近くの歳月を経た今日正確な識別は至難であるが、阿弥陀佛を中心として左に観世音菩薩、右に勢至菩薩を配した阿弥陀三尊と七観音と称される聖(正、大慈)、十一面、不空羂索、千手、馬頭、如意輪、准胝の七観音と思われる。
・・・・・昭和35年伊勢湾台風後に建物を再建した記録・・・・・。
昭和六十一年三月吉日観音堂移転対策委員会」

「お観音様」を中心に、良くも悪くも念仏講が広く信仰された事が温故知新碑に刻まれた「強固な結束力」の一つとなっていたのかもしれない
これらが何処から遷されてきたものなのかまでは記されていない

f:id:owari-nagoya55:20191107090855j:plain境内から勝川公園の眺め、金毘羅大権現の石標に昭和61年と63年の年号が分かる
観音堂移転とされる年号である、何処から遷されてきたものなのか気になる
近隣にある太清寺で尋ねると分かるのかも知れない
「古きをたずねて新しきを知る」・・・・・
分からない事がまた一つ増えた

観音堂
住所 / ​春日井市勝川町3-17

信濃國一之宮 諏訪大社 下社秋宮 Vo4

2社四宮からなる信濃國一之宮諏訪大社の四社巡りも最後に秋宮を残すのみとなりました

f:id:owari-nagoya55:20191105192125j:plain春宮​から三角八丁の旧中山道を経由し秋宮までは寄り道しなければ社号標まで徒歩20分ほどで到着です

f:id:owari-nagoya55:20191105192135j:plain参拝当日は神橋は生憎工事中
気のせいか、春宮に比べ訪れる参拝客は多いような気がします
鳥居正面に寝入りの杉が聳えています

f:id:owari-nagoya55:20191105192146j:plain秋宮の境内ガイド
御柱の場所や伽藍の解説が書かれ、初めて訪れた者にはありがたいものです

f:id:owari-nagoya55:20191105192203j:plain寝入りの杉の後方に神楽殿

f:id:owari-nagoya55:20191105192214j:plain 神楽殿左の階段は下社宝物殿に続きます
こちらには806~810年(大同年間)に平城天皇より御下賜されたと云われる「売神祝之印」が保管されています(重要文化財)、銅製の官印は実際に明治初年まで神印として使われ続けたもの

神宮遥拝所、その先は伊勢神宮へ・・・・・

f:id:owari-nagoya55:20191105192224j:plain楽殿前の狛犬は高さが1.7㍍と青銅製の狛犬としては日本一だそうです
1930年に奉納された狛犬は戦時中に供出され、1960年に再び奉納された二代目

f:id:owari-nagoya55:20191105192236j:plain 神楽殿全景
1835年立川流宮大工の立川和四郎により建てられ、正面に架けられた注連縄は長さが13㍍と出雲大社型では日本一の長さと云われています

f:id:owari-nagoya55:20191105192247j:plain シンプルな切妻造りの春宮の神楽殿に対し、秋宮の神楽殿は棟続きで横向きの屋根に繋がる

f:id:owari-nagoya55:20191105192257j:plain楽殿後方の幣拝殿
同じ絵図を基に作られているだけに、春宮と秋宮の写真を整理していると同じように見えて来ます
しかし飾り金具、彫など細部には其々を手掛けた棟梁の技の競いあいを感じます

f:id:owari-nagoya55:20191105192306j:plain楽殿
右から
八坂社 祭神 / 素戔嗚尊、八柱御子神奇稲田姫命
加茂上下社 祭神 / 賀茂別雷神玉依媛命・建角身命
子安社 祭神 / 高志沼河姫神
諏訪大社の祭神建御名方神の母神である高志沼河姫神を祀る
よろずの縁を結び、子宝、安産、子育を司り、女性には縁の深い神様
「お子安さま」として親しまれている
奉納されている底の抜けた柄杓はお産が軽く済むようにと願いをかけるもので、毎月22日に安産祈願が行われます
鹿島社 祭神 / 武甕槌命

f:id:owari-nagoya55:20191105192316j:plain 左の片拝殿
1781年(安永10)に立川和四郎により造営された

f:id:owari-nagoya55:20191105192329j:plain幣拝殿全景
1781年(安永10)に建立された1983年に神楽殿と共に県の指定文化財に指定されています

f:id:owari-nagoya55:20191105192338j:plain祭神は建御名方神八坂刀売神をお祀りしています

f:id:owari-nagoya55:20191105192348j:plain右の片拝殿

f:id:owari-nagoya55:20191105192530j:plain 秋宮では宝殿の奥に建つ櫟の古木が御神体として祀っています
昔の自然信仰で、大きな山や石、木など自然には神が宿るとして崇拝していました
諏訪大社はその自然信仰をそのまま受け継いでいます

f:id:owari-nagoya55:20191105192546j:plain宝殿左奥の四ノ御柱

f:id:owari-nagoya55:20191105192643j:plain 幣拝殿全景
右に一ノ御柱

f:id:owari-nagoya55:20191105192655j:plain

f:id:owari-nagoya55:20191105192706j:plain 神楽殿
右から
稲荷社 祭神 / 倉稲魂神・大宮賣命・佐田彦命
若宮社 祭神 / 建御名方彦神別命・伊豆早雄命・妻科比賣命・池生神・須波若彦神・片倉辺命・蓼科神・八杵命・内県神・外県神・大県神・意岐萩命・妻岐萩命
皇大神宮社 祭神 / 天照大神豊受大神

f:id:owari-nagoya55:20191105192716j:plain 寝入りの杉の右に温泉手水
龍神伝説に因んでいるのか、こうした形の湯口は​上社​や町内でも見かけます
「長寿湯」と呼ばれ、これから寒くなると湯で清められるのはありがたい事です

f:id:owari-nagoya55:20191105192729j:plain鳥居まで戻り一旦境内を出て、鳥居右側の小高い場所(八幡山)に見えている二つの鳥居へ向かいます
手前とその奥に小さな社が2つ祀られています
左が八幡社、右が恵比寿社

f:id:owari-nagoya55:20191105192741j:plain 手前の八幡社正面全景

f:id:owari-nagoya55:20191105192755j:plain 八幡社から奥に進んだ先に祀られるのは秋宮恵比寿社
広々とした境内に二社が佇んでいます

f:id:owari-nagoya55:20191105192809j:plain社の右に建てられた由来
「諏訪大神の父神である大国主神と御兄事大主大神を祀る、この二神は農漁業の開祭・商工業の発展にあらたかな神様で家繁栄の守護神として世に大黒様、恵比寿様として知られ、諏訪大神と縁の深い神様
御本社出雲大社及び三保神社から分霊、昭和23年諏訪大社末社として鎮座祭を行った」

右に鳥居が見えます、進んでみました

f:id:owari-nagoya55:20191105192819j:plain それは秋宮恵比寿社の裏参道
その向かいには広い駐車場と車道に架かる赤い橋

f:id:owari-nagoya55:20191105192831j:plain 赤い橋を渡った先は「霞ヶ城址
南に諏訪湖を一望できるこの場所、今は駐車場も兼ねているようですが、そこにはいま正に矢を放たんとしている銅像が建てられています、像の主は霧ヶ城の城主だった手塚光盛
手前の植え込みをよく見れば、そこには温泉手水と同じ龍神が顔を出しています

f:id:owari-nagoya55:20191105192846j:plain駐車場入口に建てられている霧ヶ城の解説
これが無ければ見晴らしのいい展望台にしか思えないかもしれません

諏訪大社四社巡りもこれで2宮4社全て参拝させていただきました
自然豊かなこの地、奥深い山々に豊かな水、そこに育つ木や巨石
それらを神として尊ぶ古来の風習が今も引き継がれています

f:id:owari-nagoya55:20191105192858j:plain信濃國一之宮 諏訪大社 下社秋宮御朱印
下は四社全てお参りし、御朱印を受けると頂ける参拝記念

f:id:owari-nagoya55:20191105192912j:plain 信濃國一之宮 諏訪大社 下社秋宮
住所 /   ​長野県諏訪郡下諏訪町下諏訪町5828
アクセス /   ​岡谷ICから国道20号線経由東へ20分程