道の駅「氷見 ひみ番屋街」

人の出入りの多い道の駅「雨晴」での車中泊は諦め、次の候補地「道の駅 氷見」を目指します。

f:id:owari-nagoya55:20210612133742j:plain途中市内のスーパーで地元の食材(ホタルイカ)を買い求めたりした、「道の駅 氷見」までの移動時間は実質15分ほどで到着。
地元スーパーで食料は買い求めて来た、もう車は運転しない、なのでまずはビール。

f:id:owari-nagoya55:20210612133804j:plain一息ついて施設を見て歩く。
施設東側の光景、立山連峰が綺麗に見られる、
道路の向かい側にも駐車場と小規模のトイレもあります。

f:id:owari-nagoya55:20210612133820j:plain芝生が敷き詰められた広場、その先に建つ小さな建物は無料の足湯で道の駅の建物はその奥になります。

f:id:owari-nagoya55:20210612133836j:plain道の駅の徒歩圏内にスーパー銭湯「総湯」や老舗の酒蔵「高澤酒造」があり、「ひみ番屋街」ではフードコートもあり、広い駐車場もあるので車中泊には最適だと思います。
何より道の駅から立山連峰のシルエットが良く見える。

施設も新しく、女性が一番気にするトイレもかみさん曰く「とても綺麗」と好印象。
コロナ禍の影響もあり、フードコートなど営業時間等はHPから確認される事をお勧めします。

f:id:owari-nagoya55:20210612133901j:plain到着したのが17時30という事で併設する「ひみ番屋街」は店じまいを急ぐ店が多く、施設内をじっくり見て味わう時間はありませんでした。
・・・・・多宝塔があるようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210612133925j:plain夕方のひみ番屋街、本来の姿ではないだろう。
道の駅の施設「氷見漁港 場外市場 ひみ番屋街」​HP

f:id:owari-nagoya55:20210612134002j:plain取り敢えず今夜の酒を調達しようと近くの老舗酒蔵「高澤酒造」へ。
マンホールのデザインは富山湾立山連峰、手前の島は?

f:id:owari-nagoya55:20210612134026j:plain道の駅駐車場から「高澤酒造」は歩いて5分もかからない、というか見えています。

f:id:owari-nagoya55:20210612134043j:plain県道373号線沿いに店舗があり、所謂酒蔵のイメージはなくガラス張りの綺麗な酒屋さんの趣です。

この道を少し歩いた右に「魚取社」と云う小さな神社が鎮座し、参拝を予定しましたが日没も近く見送ってしまったのが少し残念。

f:id:owari-nagoya55:20210612134101j:plain店舗入り口
曙・・・・・あの? 創業者が日本海から昇る美しい日の出に感動し付けた銘柄だそうだ。
明治創業の酒蔵でこうして訪れるのは今回初めて。
過去に曙は飲んだ記憶がある、すっきりしたのど越しのお酒だったように覚えている。
今夜のお酒は大漁旗曙の720mlで決め打ち、お土産は・・・・・どれにするか迷うところ。

f:id:owari-nagoya55:20210612134118j:plainこんな時期、ダメもとで利き酒できるか尋ねるがやはりだめ、恨めしコロナ。

f:id:owari-nagoya55:20210612134133j:plainラベルが気に入りしぼりたて純米生を家のお土産に、今どきの日本酒のパッケージは昔に比べお洒落になったものです、ラベルコレクションしたくもなるが、写真で事足りるか。
もれなく酒粕も頂けました。
高澤酒造
所在地 / 富山県氷見市北大町18-77

f:id:owari-nagoya55:20210612134155j:plainさあ、美味しいお酒を飲みながら晩御飯。
今回、車中泊に持参した装備はホータブル電源、電気毛布、湯沸かし器、新たにポータブルナビをネットで買い求めてきた。

期待のナビは時々方位を見失うけれど、持ち運びができる事、車中や緊急時の情報収集のアイテムだと思って買ったので付加価値は十分。
因みにこの宿泊地の受信状況は良好、複数選局ができTVを見ながら食事が出来るようになり環境はよくなった。
今後の課題としてコロナ禍でスーパーで食材を買い求める事も多くなり、クーラーボックスではなく冷蔵庫、夏を考えると小型のクーラーか冷風扇の方がいいのか、どれが本当に必要なものなのか考え中。

写真は銭湯帰りに撮った駐車場と道の駅
夜のとばりも降りると車の出入りは落ち着き、道の駅や周辺は静寂に包まれます。
後方には比実乃江大橋のタワーがライトアップされていて、それが妙に心強く感じる。

陽気のいい3月末とはいえ、陽が沈むと冷え込みはきつい、電気毛布はありがたい。
いつもの様に爆睡。

f:id:owari-nagoya55:20210612134214j:plainそしていつものように日の出前から目が覚める。
足湯のある小高い場所から富山湾方向を眺める。
赤く染まり始めた空に立山連峰のシルエットが浮かび上がり始めました。
急いでカメラを取りに戻る、丁度目覚めたかみさんに外綺麗だよと声をかけるが中から見るとの事。
早起きした者だけのご褒美です。

f:id:owari-nagoya55:20210612134251j:plain手前の小島は氷見港の沖に浮かぶ唐島。
この光景はひょっとしてマンホールのデザインか?曙の由来そのものか?

f:id:owari-nagoya55:20210612134307j:plainこうした光景が見られるのは一瞬だね、見る見る色合いが変わっていく。
いろんな事を忘れさせてくれる一時です。

f:id:owari-nagoya55:20210612134326j:plain「ひみぼうずくん」あったーらしい朝が来たァ、きぃぼーの朝だぁ・・・・

f:id:owari-nagoya55:20210612134344j:plainさてと、今日も暑くなりそうだ、上着を脱いで二日目動き出すか。
車に戻るとかみさんが宿泊モードから走行モードに変えてくれていました(いつもすみません)
日の出みた? 「車からしっかり見た〃、で朝御飯は来た道を戻り氷見漁港の魚市場食堂に行きます」
そこかぃ、かみさんのエンジンも始動したようだ。
了解「コーヒー飲んでから出発しよう」

足湯あり、銭湯あり、快適な一晩と美しい光景を見せてくれた「道の駅氷見 ひみ番屋街」機会があればまた訪れたいところです。

道の駅「氷見 ひみ番屋街」
所在地 /  富山県氷見市北大町25-5
「道の駅雨晴」から車ルート /  国道415線を北上⇒島尾橋を越え右➡漁火ロードで左折➡南大町右折➡県道302号線➡比実乃江大橋を越え左側 ​移動時間15~20分程

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三重県熊野市 花の窟(はなのいわや)神社

一泊二日で訪れた熊野三山
最後の参詣地那智大社の参拝も終え、大門坂駐車場から海岸線を走り帰路に就く。
やがて左手に「花の窟(はなのいわや)神社」の案内板を見かけたので参拝することにした。
ここは既に三重県に入ります、大門坂駐車場から所要時間は約一時間程です。
花の窟神社は道の駅「熊野・花の窟」に隣接し、駐車は道の駅で問題なし。
国道を渡るとその先は熊野灘が広がる七里御浜、とても解放感のある場所です。
海岸線から陸側を眺めると目の前に小高い山が見えます、そこが花の窟(はなのいわや)神社。

f:id:owari-nagoya55:20210611092734j:plain駐車場から神社は道の駅の「お綱茶屋」の間を抜け東側に進みます。

写真は施設の東外れにある熊野市指定文化財「口有馬道標」
上部が欠けた約1㍍ほどの石碑で「右 くまのさん  志ゆんれい」と記されていますが、建立年月日などは彫られていない。

解説によれば
「道標は本来「右」「左」と示すが熊野三山、西国巡礼はここから右に曲がって行くべしという指示のみ刻む。
右に曲がらず、眺めの良い松林道を真っすぐに行くと、行く手に志原川が海に注ぎ、橋もない当時は渡し舟が上流にあったものの、渡し賃を節約し波打ち際を渡ろうとして、高波にさらわれる人も多かった。
かつての志原川西岸の松林には十四基の無縁墓碑が並んでいたという。
ここ、花の窟の前は本宮道と浜街道の分岐点で、人々はともすれば風光明媚な浜街道を選んでしまうため、安全な道は有馬村本街道に廻るように道標を建て警告したもので、地元の人たちの他国からくる旅人を思いやる心情がうかがえる。
指定 平成十一年一月二十八日  熊野市教育委員会

この道標の後方には覆屋があり、中には「口有馬竜宮塔」と云う石標があります。
こちらは塩害を防ぐため湊切りで犠牲になった人々と海の神竜宮神の怒りを鎮めるために建立された塔があります、参拝後に寄るつもりでしたがすっかり忘れ見逃してしまった。

f:id:owari-nagoya55:20210611092807j:plain「口有馬道標」から道路を隔てた向かいが「花の窟(はなのいわや)神社」社頭。
右に社標と略記がある。

f:id:owari-nagoya55:20210611092824j:plain花の窟(はなのいわや)神社略記
「祭神 伊弉冉尊軻遇突智
神代の昔より花を手向け祀るので花乃窟と言う。
窟の頂上よりかけ渡すお綱は神と人をつなぎ神の恵みを授けて下さるお綱なり」

お綱茶屋はここからきているのか。

f:id:owari-nagoya55:20210611092840j:plain参道は杜の中に向かって真っすぐに続きます。

f:id:owari-nagoya55:20210611092858j:plain正面に社殿らしき姿と参道左に赤い鳥居が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20210611092913j:plain鳥居の主は稲荷社のようで、左奥に向かって奉納鳥居が連なっています。

f:id:owari-nagoya55:20210611092934j:plain参道の先には岩壁を背にした二つ社殿。

f:id:owari-nagoya55:20210611092952j:plain左は「稲荷大明神
本殿前には二対の狛狐が守護しています。

f:id:owari-nagoya55:20210611093013j:plain覆屋の中に丸い円盤状の石が山積みにされている、願いの数を表しているのか?
稲荷大明神について解説や由緒は見当たらず、残念ですが詳細は分かりません。

f:id:owari-nagoya55:20210611093030j:plain右の覆屋の中で祀られるのは「黄金竜神
幟に開運と書いてあり、しっかりお願いさせてもらいました。

f:id:owari-nagoya55:20210611093048j:plain花の窟(はなのいわや)神社には一般的な拝殿や本殿はありません。
参道の先に見える建物は境内唯一の建造物となる参籠殿。

f:id:owari-nagoya55:20210611093105j:plain

f:id:owari-nagoya55:20210611093121j:plain

f:id:owari-nagoya55:20210611093136j:plain参籠殿左の手水鉢と参籠殿前に狛犬

f:id:owari-nagoya55:20210611093200j:plain参籠殿を抜けると目の前に巨大な岩壁が現れます。
境内は杜が作る影に包まれ、静寂な空間に陽ざしを浴びて輝く白い岩。
その前に立つと優しく包み込まれているような錯覚すら感じます。

花の窟神社由緒書は以下
鎮座地 三重県熊野市有馬町上地一三〇の三
祭神 伊弉冉尊軻遇突智
例祭 春季大祭二月二日 秋季大祭十月二日

由緒
日本書紀に「一書曰(あるふみにいわく)伊弉冉尊火神を生み給う時に灼かれて神退去ましぬ、故れ紀伊国熊野の有馬村に葬しまつる土俗此神の魂を祭るには花の時に花を以って祭る。
又鼓 吹幡旗を用て歌い舞いて祭る」とあり、即ち当神社にして、其の由来するところ最も古く、花窟の名は増基法師が花を以て祭るより起これる名なり。
花窟神社は古来社殿なく、石巌壁立高さ45米。南に面し其の正面に壇を作り、玉垣で周う拝所を設く。
此の窟の南に岩あり、軻遇突智神の神霊を祀る。
この神、伊弉冉尊の御子なれば王子の窟という旧藩主に於いて、此の霊地保護のため寛文九年九月、及び元禄八年十一月四限界御定書を下付し、且つ高札を建て殺生禁断を布令された。
又、昭和二十三年四月十日上皇陛下が皇太子殿下の当時、熊野地方御見学の途次御立ち寄りあらせられる。
昭和三十七年五月二十一日昭和天皇が熊野行幸啓遊ばされ當神社前浜に奉迎台が設けられ、三万市民心からお迎えを申し上げた」

f:id:owari-nagoya55:20210611093229j:plain

伊弉冉尊
この岩自体が御神体、この拝所から参拝します。
祭神は伊弉冉尊
中央の大きな窟は伊弉冉尊の女陰とされる「陰石」、ゴトビキ岩は「陽石」とされ、それらで一対をなすとも云われるようです。
国生み、神生みの神はこの大きな窟に葬られているという。
御神体には複数の穴があいていて、境内の白石をここに納め祈願すると願いが叶うと云われています。

f:id:owari-nagoya55:20210611093305j:plain軻遇突智尊」
伊弉冉尊と向かい合う様に注連縄が張られた岩があります。
祭神は軻遇突智

伊弉冉尊は火の神軻遇突智尊を出産時に自らの体まで焼かれ死んでしまいます。
母親と子が向かい合う様に祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20210611093322j:plain御綱掛け神事
紀伊風土記寛文記に「昔祭には 紅の縄 錦の縄 金銀にて造り散らし花の祭また火の祭と云いしと 錦の幡は毎年朝廷より献上されたが 何れの年に熊野川の洪水にて旗を積みたる御船破れしかば 土俗祭日に至り 俄にせんすべくなく 縄にて幡の形を作りしが 其後錦の幡の事絶えて縄を用ゆると」
今土俗の用ふる所は、縄を編みて幡三流の形を造り、幡の下に種々の花を括り、又、扇を結び付けて長き縄(一一〇尋)を以って窟の上より前なる塔に高く掛け、三流の幡窟の前に翻る。
この神事は昭和四十三年三月二十八日、三重県無形文化財に指定される。

平成十六年七月ユネスコ世界遺産登録
三重、和歌山、奈良の三県にまたがる熊野古道などを含む「紀伊山地の霊場と参詣道」の世界遺産(文化遺産)に花窟神社も登録。

f:id:owari-nagoya55:20210611093344j:plain高さ45㍍と云われる岩壁、この岩そのものが伊弉冉尊です。

f:id:owari-nagoya55:20210611093400j:plain旗縄
三神を意味するもので「三流の旗」と呼ばれるそうです。
三神とは伊弉冉尊の子の太陽の神/天照大神、月の神/月読尊、大海原、統治の神/素戔鳴尊を指していると云う。
解説だと地上の柱から45㍍の御神体の頂まで縄で繋がれるようですが訪れた時は写真の状態でした。
とはいえ、この縄は人と神を結ぶものである事に違いはない。

f:id:owari-nagoya55:20210611093428j:plain参籠殿には、御綱掛け神事の様子を伝える写真が掲げられています。
この神事や派手な伽藍を持たない花の窟(はなのいわや)神社は、自然(神)への畏敬と感謝の念を持つ日本人の根源を感じさせてくれる。
豊かな自然に育まれる熊野、八咫烏が飛んでいても不思議ではない。

花の窟(はなのいわや)神社
創建 / 不明
祭神 / 伊弉冉尊軻遇突智
境内社 / 稲荷大明神、黄金竜神
所在地 / 三重県熊野市有馬町上地130番地
那智大社から車移動 / ​大門坂駐車場から国道42号線と国道311号線を一時間程
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「庄内用水元杁」から瀬古1丁目「天王社」

「天王社」と「道標地蔵」から庄内川左岸を下流(西)方向に歩いていく。

f:id:owari-nagoya55:20210609004821j:plain30分ほど歩くと写真の用水路が進路を遮るように現れる。
「庄内用水元杁」
1910年(明治43)に作られたもので「現存する重要な土木遺産2800選」に選定されている。
庄内川の水を取り入れ、矢田川の地下を横切り、黒川樋門から再び地上に、ここで堀川(黒川)、庄内用水、御用水(ごようすい)、上飯田用水、志賀用水などに分けられました。
治水目的だけにとどまらす水上輸送路としても使われていたそうだ。

f:id:owari-nagoya55:20210609004842j:plain「庄内用水元杁」から下流方向へ10分程歩いていきます。
歩道が整備され、ゆったりとした流れの中に魚が泳ぎ、水草が躍る、暑気払いにはいい場所。
水質は庄内川次第で変わりますが、ちょっとした柿田川の雰囲気が楽しめるお気に入りの場所です。

「庄内用水元杁」
所在地 /   名古屋市守山区瀬古味鋺
「天王社」と「道標地蔵」から西へ徒歩で20分程
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f:id:owari-nagoya55:20210609004904j:plainここまで来ると南側には矢田川の堤はもう目の前。
僅かな距離で大きな二つの川に挟まれていて、水害が起こりやすいのは容易に想像がつきます。
写真のこの堰堤? これ堰堤ではなく嘗ての名鉄勝川線の名残。
1931年(昭和6)名岐鉄道の城北線の一部として、味鋺 ⇔ 新勝川間で開業し、名古屋駅から岐阜県可児郡豊岡町(現在の多治見駅付近)を間を結ぶ構想の下に出来たが1937年(昭和12)に廃止となったもの。
この辺りにはこうした軌道跡が今も残っています。

f:id:owari-nagoya55:20210609004929j:plain道路(県道202号線)を挟んで庄内用水の治水目的の堤のようにみえるけれど、この上に線路が敷かれ車両が走っていたという。

f:id:owari-nagoya55:20210609004948j:plainその右の大きな施設は守西ポンプ所
二つの天井川に挟まれ、地盤の低い周辺一帯の治水対策の要と云っても過言でないだろう。
一帯に降った雨水や地下水はここで汲み上げ矢田川に放流されるそうだ。
水屋が必要なくなったのもこうした揚水施設の整備によるもの。

守西ポンプ所
所在地 /  ​名古屋市守山区瀬古1丁目​ 
「庄内用水元杁」から南へ徒歩5~6分

f:id:owari-nagoya55:20210609005007j:plain守西ポンプ所の南が矢田川堤。
その上を走る道路際に赤い覆屋の中に祀られた赤い社があります。

f:id:owari-nagoya55:20210609005027j:plain南を流れる矢田川を向いて祀られる社は天王社。
車で通りがかっても赤い存在はすぐに目につく、守山で見かける天王社の外観のイメージをくむものです。

f:id:owari-nagoya55:20210609005046j:plain正面から庄内川方向の眺め、後方の建物が守西ポンプ所。
これまで一度も扉が開けられているのを見たことがなく、御札は見た事はありませんが、巷の情報から天王社で間違いないと思います。
こうして堤の上から北の建物の屋根を見ると土地の低さが良く分かります。
この社とポンプ所が一帯を災いから防いでいる、そんな光景です。

f:id:owari-nagoya55:20210609005107j:plainこの天王社の創建は不明ですが、以前は矢田川に架かる三界橋の南側に祀られていたと云われ、水害の被害を避ける目的から堤の上に移されたと云われています。
天王社
創建 /   不明
祭神 / 不明
所在地 /   名古屋市守山区瀬古1丁目
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f:id:owari-nagoya55:20210609005123j:plain南側の矢田川の眺め。
普段は穏やかな流れも梅雨時や台風の時にはガラッと表情を変えます。

f:id:owari-nagoya55:20210609005142j:plain矢田川堤上流から眺める天王社。
目立つ存在です。
この辺りから北のポンプ所を見ると、東側に堤防らしき痕跡が見られます。

f:id:owari-nagoya55:20210609005203j:plainこれが先程道路から見た名鉄勝川線の軌道跡。

f:id:owari-nagoya55:20210609005222j:plain枕木や線路こそ見られませんが、その下に敷かれたバラストがここに線路があった事を語っています。
まだこうして残っているんですね。
所在地 /   ​名古屋市守山区瀬古1丁目1243

2021/5/31
「天王社」と「道標地蔵」から瀬古1「天王社」までの徒歩ルート /    ​約30分の工程
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大曽根駅から徒歩で天王社を巡った​ルート

稲置街道を行く 「本町通り」

稲置街道 「旧堀部邸と不明社」からの続きになります。
おやじの燃料計は警告灯が点滅している、いよいよおやじ待望の本町通。

f:id:owari-nagoya55:20210608010126j:plainここまで歩いて来た稲置街道は本町通り中ほどから一本東を平行し北上、新合瀬川を渡り木曽川方向へ続いていきますが、ここは街道は置いといて燃料補給のため直進。
それまでの通りとはうって変わって人通りが多くなります。

f:id:owari-nagoya55:20210608010143j:plain本町通り
1㌖に満たない通りですが、地域の活性化を目的として情緒ある犬山城下を再現したもの。
沿道には食欲をそそる店や土産店、古くから続く酒蔵など軒を連ね、人が集中するところでもある。
時期が卒業シーズンだったこともあり、若い衆が多い。
普通なら卒業旅行に海外や遠方へ・・・・・と行きたいところだろうがこんな世の中ではそうもいかん。
記録に残る時代に節目を迎えたことを前向きに捉えるしかない。

f:id:owari-nagoya55:20210608010200j:plain老い呆け来ず地蔵(元気地蔵)
縁起には
「おぼこ地蔵といけず地蔵、ふたつあわせて「老い呆け来ず」
二体の像は人の内面の善と不善を表し、頭にはちまきを結び「元気長生き、縁結び、安産、この成長」を祈願しています」
とあり、左がおぼこ地蔵で右がいけず地蔵で、詩画書作家の城たいが氏の作で京都市役所前ゼスト広場に設置されているという地蔵の原像だそうな。
所在地 / 犬山市西古券62

f:id:owari-nagoya55:20210608010219j:plainどんでん館
犬山祭りで使用される車山の実物や衣装が展示され、名称の「どんでん」とは犬山祭の車山が城下町の辻で180度方向転換する様から「どんでん」と事から名付けられているらしい。
犬山祭(毎年4月、第一土日開催)では13輌の車山(やま)が曳かれ、ユネスコ無形文化遺産に登録されていて、どんでん館にはそのうちの4輌が展示されているという。(入館は有料)
所在地 / 犬山市山東古券62

f:id:owari-nagoya55:20210608010240j:plain犬山牛太郎
飛騨牛にぎりのお店、どこに行っても「牛の握り」と聞くと引き付けられる。
列に並んで手にするだけに尚更おいしく感じるか。
所在地 / 犬山市山東古券70

f:id:owari-nagoya55:20210608010301j:plain森のマルシェ
多様な店舗が入っていて何を食べるか迷うスポット。
間口は狭く、うなぎの寝床の様で奥にテーブル席のある広場がある。
ここの二階はウッドデッキのオープンテラスになっていて、十分な間隔を保ってテーブル席があり、解放感満載の中で美味しいお酒が味わえる。
所在地 / 犬山市犬山西古券21-2

f:id:owari-nagoya55:20210608010321j:plainさあ、ここまで歩いてきたご褒美だ、燃料補給といこう。

f:id:owari-nagoya55:20210608010339j:plain壽俵屋 犬山庵 
醤油おこげ串にかみさんが捕まる、串にやきおりぎりと守口漬けがサンド、チビ太のおでんのように見える。上の焼おにぎりは必ずハート形ではないらしい、ハート型は当たりらしい。
おこげと守口漬が相性がいいのを初めて知った、おいしい。
所在地 / 犬山市犬山西古券15

f:id:owari-nagoya55:20210608010357j:plain犬山ローレライ麦酒 
食べ歩きしながら再びこちらで燃料補給。
左はローレライ麦酒「スタウト」、右が地元の酒小弓鶴の上撰。
みりんのような不思議な味わいだった、もれなく黒豆付きなのがうれしい。
犬山市大字羽黒字成海郷70番地にある小弓鶴酒造の犬山ローレライ麦酒館ではビアホールもあり、予めRVパークを予約しておけば帰りの心配は不要、腰を据えてじっくり味わえる。
丸の内店所在地 / 犬山市犬山北古券7-5 
犬山ローレライ麦酒館 /  犬山市大字羽黒字成海郷70番地

f:id:owari-nagoya55:20210608010417j:plain「本町通り」の街並みも間もなく終わり、正面に犬山城も近づいてきました。

2021/03/09
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富山県高岡市 「義経社」

越中國一之宮 氣多神社』の参拝を終え、氣田神社口交差点を左折、国道415号線でかみさんが予定していた宿泊予定地「道の駅 雨晴」に向かいます、移動時間は10分程。

f:id:owari-nagoya55:20210606174016j:plain

「道の駅雨晴」
国道415号線の海岸沿いにある道の駅で2018年に完成した三階建ての白い外観はあたかも船のようにも見える。
当然施設も綺麗で展望デッキは24時間開放されています。
駐車場は二つに分かれていますが、
そもそも国道を行き交う車も多く、景勝地が間近という事で駐車可能台数は少なく感じる。
人の出入りが多く
車中泊には適さないかもしれない、予定を変えよう。

手前の線路はJR氷見線で、この道の駅の展望テラスからだと海岸線を走る電車と踏み切り、夕陽に赤く染まっていく立山連峰絶景が見られる最高の場所。

f:id:owari-nagoya55:20210606174033j:plainテラスから眺める眺望、手前の踏切の先の小さな杜が義経社。
目の前に広がる海岸線は日本の渚百選の一つ「雨晴海岸」と呼ばれる景勝地です。
踏切を越えると岩礁が続く海岸に下りることが出来、海岸から眺める富山湾とすぐ沖に浮かぶ小島「女岩」、背景に
立山連峰と絶好の写真スポット。
手前の踏切は以前はなかったそうですが、絶景を見ようと線路を横断する観光客が多く近年設けられたもの。
テラスからだと運が良ければ
氷見線の電車、義経社、女岩、富山湾立山連峰を一枚に収めることも出来る、三脚を構えてその時を待つ写真愛好家が多いのは頷ける。

f:id:owari-nagoya55:20210606174055j:plainテラスから見る義経社社殿。
海岸の小さな岩山の頂に社殿が祀られています。​

f:id:owari-nagoya55:20210606174116j:plain踏切を越え義経社へ。
円錐形の岩山の手前に鳥居があり、岩山の斜度はとても急​です。
下から社殿に続く石段が組まれ、狛犬もいる。

f:id:owari-nagoya55:20210606174134j:plain鳥居左に「雨晴海岸と義経社」解説。
二上山の山裾が富山湾に没するこの辺り一帯は、白浜青松と日本海では数少ない遠浅海岸の「雨晴海岸」です。
この岩は「義経岩」といい、文治三年(1187年)に源義経が奥州下りの際、ここを通りかかった時、にわか雨にあい、この岩の下で家来ともども雨宿りをしたという伝説に由来します。
また、近在する女岩、男岩と共にこの海岸は秀景をなし、かつて越中国司として伏木に在住した青年歌人大伴家持もこの絶景を多くの万葉集におさめています。」

ここに記されている男岩とは、女岩から右方向に1㌔程離れているので双方を一枚の写真に収める事はできません。
また先程参拝した「越中國一之宮氣田神社」の「大伴神社」に大伴家持が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20210606174156j:plain鳥居から見上げる本殿、岩山(義経岩)の下から石段はあるものの・・・・・

f:id:owari-nagoya55:20210606174215j:plainこんな感じの高度差があり冒険するのは諦めて下から参拝させてもらいました​。

f:id:owari-nagoya55:20210606174233j:plain義経社​側面の眺め、こうして見上げると首が疲れる高低差。

f:id:owari-nagoya55:20210606174251j:plain義経社右方向から義経社と左が道の駅。
こうして義経岩を見ると大した事はなさそうに見えるのだが、滞在時間中に上まで登り参拝する姿は見かけなかった。​

f:id:owari-nagoya55:20210606174308j:plain

義経社​境内から女岩が目の当たりにできる。

f:id:owari-nagoya55:20210606174327j:plain​「女岩」
周囲に連なる小岩を子と見立ているようです、男岩は右の堤防の先となり親子の姿は捉えきれませんでした。 

f:id:owari-nagoya55:20210606174348j:plain訪れたのは3月末、立山連峰の山々にはしっかり雪が残る。

f:id:owari-nagoya55:20210606174422j:plain義経岩」​

頼朝に追われた​義経と弁慶の一行が雨をしのいだとされる義経岩は別名「義経雨はらしの岩」とも呼ばれるようで、雨に打たれ雨宿りをする義経が天候の回復を祈願すると瞬く間に雨は止んだと云う。

大きく張り出した岩は浸食により劣化し、柱で補修されたようですが、
違和感のない外観を意識した造になっています。
岩の下は広間のようになっていて、雨をやり過ごすにはいい空間が出来ています。
大勢入れるかというとそうでもない。

四季折々、朝な夕なと美しい自然の表情を見せてくれる雨晴海岸
富山を象徴するスポットと云っても良いかもしれない。

義経社」
創建不明 / 不明
祭神 / 不明

「道の駅雨晴」
所在地 / 富山県高岡市太田24番地74
氣田神社から車アクセス / ​氣田神社口交差点左折、国道415号線を直進10分程
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名古屋市千種区千種公園「ユリ」が見頃を迎えています

おはようございます

今朝はいつも以上に早く目が覚めてしまい

折角なので車で千種公園のユリを見てきました

5月26日訪れた時​には蕾の多かったユリ園

あれから一週間、今が見頃を迎えています

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f:id:owari-nagoya55:20210605085217j:plain園内南側は緑の中に鮮やかな色合いのユリ咲き誇っています

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甘い香りが一帯に漂っています

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一見平和なこのユリ園の南は「名古屋東部医療センター」、終わりの見えない病と闘う最前線がある。
いま外は鮮やかな色で溢れている、病いに勝ちその目で見よう
2021/06/05

かみさんには悪いが今日が一回目ワクチン接種の日

千種公園 ゆり園
所在地 / ​名古屋市千種区若水1丁目1


 茶屋ヶ坂公園  あじさい

今朝の紫陽花

f:id:owari-nagoya55:20210605085457j:plainこちらもいい感じ

f:id:owari-nagoya55:20210605085519j:plain茶屋ヶ坂公園
所在地 / ​
名古屋市千種区鍋屋上野字汁谷

「天王社」と「道標地蔵」

瀬古東2の「天王社」を後に、一部下街道を歩き庄内川方向の瀬古東3「天王社」に向かいます。
小学校の西側の路地を北に進み右に進みます。

f:id:owari-nagoya55:20210603163958j:plain幸心の交差点の西側にある東春酒造、この西側の細い路地に入ります。

f:id:owari-nagoya55:20210603164037j:plainここの路地は水屋が残り、その石垣はまるで城壁の様。
周辺の光景とは一味違った、落ち着いた雰囲気が漂います。
矢田川を越え間もなく庄内川も近づいてきました。
二つの一級河川に挟まれたこの一帯、古くから川の氾濫に見舞われ瀬古村輪中とも呼ばれるそうです。
そうした環境から、そこに住むための知恵が生まれます、水屋もそうです。
この高さの石垣が必要な土地柄だった、そう考えると少し怖いものがある。
今は堤防や導水路、揚水施設が整備され、それらが水屋の役割を担っている。
水屋の石垣沿いに進と左右に延びる細い道が現れます、左に進みます。

その道は下街道、ここを進むと瀬古東3の「天王社」は近い。

f:id:owari-nagoya55:20210603164150j:plain瀬古東2の「天王社」から徒歩15分もあれば瀬古東3「天王社」に到着。
写真は今歩いて来た下街道方向の眺め。
手前の交差点を左に進むと目の前は国道19号線の「勝川橋南」交差点です。
駐車場はないので歩きが一番。

f:id:owari-nagoya55:20210603164221j:plain交差点の角に社地が与えられ、瓦葺の覆屋の中に板宮造りの赤い社殿が下街道を見守る様に佇んでいます。
左にはトタン屋根のお堂があります。

f:id:owari-nagoya55:20210603164239j:plain低い玉垣で囲まれていて瀬古東2のやたら広い境内の「天王社」を見た後だと狭いけれど、樹々はなく鳥居や狛犬がいる訳でもないのでスッキリした印象があります。

f:id:owari-nagoya55:20210603164255j:plain境内に入ると右に篝火台と手水鉢(石臼か?)

f:id:owari-nagoya55:20210603164313j:plain覆屋の中は遠目に見た時は一社だけのように見えましたがよく見れば手前に2社と鳥居もある。
手前の二社は扉が開けられ、中が見通せ神札は入っていません。
中央の社には中に神札が収められているのがわかります。
頑丈に施錠された賽銭箱に賽銭を入れ参拝。
こちらがいつ頃祀られたものか調べて見ましたが辿り着けませんでしたが、町内の神社当番により神札は入れ替えられているようです。
神社のある町に住むと神社当番がついて回ってくるもので、それは時に面倒臭いと感じかもしれない。
ご近所さんを知るいい機会だと思うのだが。

f:id:owari-nagoya55:20210603164332j:plain左のお堂。
内部に一体の地蔵が安置されています。

f:id:owari-nagoya55:20210603164349j:plain良く見ると像の左右に何か刻まれているように思える。
嘗ては街道の分岐点に祀られた道標だったのかもしれない。
この辺りは下街道、そこから分岐するとなると庄内川沿い上流の龍泉寺方向か。
いずれにしてもこの地蔵さんは長年の不風雨で風化し、顔の表情すら分からない。
右の天王社より古くからこの辺りで行き交う人々を導いてきたものだろう。
赤い前掛けがかけられ、堂前に生花も手向けられ今も地元から崇敬されているのがよく分かる。

f:id:owari-nagoya55:20210603164406j:plain天王社から先の下街道、右手のコンクリートの壁は国道19号線、その先の勝川橋を越えれば春日井です。

名古屋市守山区瀬古東3「天王社」
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 /  名古屋市守山区瀬古東3
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瀬古東2天王社から徒歩ルート /   ​東春酒造経由徒歩15分程