9月6日に訪れた猿投山南麗神社巡りも鈴ヶ滝不動明王社で終わりとなります。
この日10社目の鈴ヶ滝不動明王社の所在地は豊田市加納町馬道通、というより猿投温泉といった方が分かりやすいかも。
亀首熊野神社から猿投神社方向に北上し加納川に架かる加納橋の手前を左折、ひたすら直進し猿投温泉に向かいます。移動時間は10分程で到着できると思います。
鎮座地は猿投温泉の前を流れる加納川を堰き止めた灌漑用の溜池鈴ヶ滝湖の下流に位置します。
駐車場は猿投温泉駐車場に駐車し、帰りは温泉でひと汗流して帰ることができる。
写真は駐車場脇のマップ、不動明王社はマップの一番奥に架かる橋の袂に鎮座します。
「山容が秀麗で深山の趣にことかかない猿投山は「神霊が鎮ります山」として古くから崇められ、猿投山に詣ずる修験者や信者たちは加納の澤 (現、猿投温泉内の加納川)を通り、滝(現、岩風呂棟に隣接)で身を清めて 頂上に向った。
鐸杖の音が絶えなかったことからこの滝(落差10米)は「鈴ヶ滝」と呼ばれ、滝前の「不動明王社」にお参りすることを常とした。
北の明王である「鈴ヶ滝不動明王」は、不動明王の中でも一番力をもっており、あらゆる災難を除き参拝者を強いパワーで守ります。
「不動明王社」と「鈴ヶ滝」周辺は中部有数のパワースポットで温泉内で一番美しい場所です。
御神体
不動明王尊(三体)、御嶽山大神、白龍霊神、猿投大神、天戸御中大神、 白蛇霊神、観音菩薩、弘法大師、道祖神、南無大師遍照金剛」とある。
駐車場から大和橋を渡り、右手奥の鈴ヶ滝橋に進みます、ここから先は車は通行不可。
すぐ正面に不動明王社、傍らの鈴ヶ滝橋から鈴ヶ滝を正面から眺められます。
橋を渡ると左手に鈴ヶ滝湖への散策路、直進すれば金泉の湯を通り駐車場に至ります。
ここから先は森の木陰に包まれ、昼でも薄暗く、滝から噴き出す涼やかな風が心地いい。
しかし蚊がいるので、虫除けは持って行った方がいいと思います。
下を流れる加納川。
名古屋からも近く、地下鉄東山線藤ヶ丘駅から無料巡回バスも運転されており手軽に温泉を楽しめます。
その昔、事故に遭った際、後遺症の療養や、猿投山散策後の汗を流すのに足繁く通った馴染みのある存在です。
長らくご無沙汰していましたが、今日の目的は不動明王社なので温泉はあとまわし。
道の正面に石の明神鳥居を構える不動明王社が見えてきます。
社頭全景。
左手に南無大師遍照金剛や道祖神が安置され、鳥居の先の朱塗りの堂が不動明王社になります。
鳥居の束には「鈴ヶ瀧大神」と彫られているようで、鳥居は昭和39年寄進のものでした。
岩と真砂土の印象が強い猿投山ですが、ここも後方の大きな岩や川底など通じるものがあります。
鳥居左の経塔と道祖神。
光背に「右??」「左 山??」…ピントが甘く読み取れない。
鈴ヶ瀧を正面に眺める堂内、昼でも灯りが灯されています。
正面右奥が猿投大神、左の祠は文字が刻まれていませんが恐らく鈴ヶ瀧不動明王と思われます。
後方の大岩の上に石の祠が見られますが詳細は不明です。
鈴ヶ滝橋から大蛇の体を祀ったとされる堂と猿投大神の眺め。
大蛇が傷を洗い清めたとされる滝壺。
鈴ヶ瀧の由来と伝説
「昔から山は信仰の場になっており、猿投山(標高629㍍)もその一つ。
猿投山に詣ずる修験者たちがこの沢を通り、この瀧で身を清めて頂上に向かった、錫杖の音が絶えなかったことから、この瀧を鈴ヶ瀧と称した。
戦国時代は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、北条早雲など割拠し、この地方は三河北部の重要拠点をなしていた。
当時、松平清康がこの地を治め、現在の豊田を中心に広瀬城、上野城、寺部城、衣城、福谷城、八草城が在り、この城主たちは共謀して松平清康に反抗したが敗退。
天文18年、この地を中古広見城主中条将監秀正が代って治めていた。
文和4年(1554)秀正の育てていた鷹が沢の大樹に巣をかけた、これを猿投山を徘徊する大蛇が見つけ窺っていたので、秀正は村人に命じて監視させていたが、ある日大蛇が現れ巣を襲わんとしていた。
村人は弓矢で18本の矢を放った。
この時空は一天俄かにかき曇り大雨が降り出し、その凄さに村人は恐れ震え逃げ帰った。
大蛇は矢に耐え切れず猿投山の山中に姿を消し、猿投山の西北の鈴ヶ瀧の滝壺に逃げ込み傷を洗い清めた。
村人は鈴ヶ瀧で喘ぐ大蛇を切り、体を鈴ヶ瀧の傍らの祠に祀り、頭は村へ持ち帰り弁財天として祀った。
その時大雨が降ったことから、旱魃の時はここで難を祈れば効果があるとされ、鈴ヶ瀧のすぐ下流の釜石に供え物をして雨乞いをするようになった。
猿投山麗は5世紀末から窯業がはじまり、平安・鎌倉・室町時代にかけて発展し、日本の6古窯のひとつに数えられ、数千基の古窯が発見されています。
陶工は定住せず、燃料を求め次々に窯を作っていき、瀬戸や常滑に流れ受け継がれていった。
鈴ヶ瀧のある加納村から、赤津村三軒屋へ至る道は、後に瀬戸と交流する道路となり、加納川の水を利用した水車小屋で陶土を作り、瀬戸へ供給する交通の要道となり、この道を通る人は鈴ヶ瀧で休憩し鈴ヶ瀧不動尊でお参りするのが常となった。
現在も猿投神社や鈴ヶ瀧不動尊に厄除け参拝する人々は多い。
釜石は鈴ヶ瀧下流20㍍に今も現在する。
鈴ヶ瀧不動尊は瀧の洞から、現在の場所に移されたが、その年代は定かではない。
猿投神社創建は西暦313年の創建で、主祭神に大碓命、両側に景行天皇、垂仁天皇が祀られており、猿投山周遊道の入口である。」
解説から鈴ヶ滝不動明王社の創建は文和4年(1554)、当初の鎮座地とされる鈴ヶ洞は特定できなかったが、解説からすると、さほど離れてはいないだろう。
下流の村に祀られた弁財天についても所在は分からなかった。
いずれにせよ、猿投山周辺では蛇の姿を見かけることが多かった、山中には大碓命が猿投山で蛇にかまれたさいに血を洗い流したとされる血洗いの瀧などがあり、蛇やら龍は縁がありそうです。
不動明王社から200㍍奥に進むと鈴ヶ滝湖がありますが、そこに至る道もそんな道です。
猿投山はせめてトレッキングシューズで足固めして行くべきところで、今は蛇よりも世代が代った熊や猪の方が怖い存在かもしれない。
役に立たないかもしれないが念のため熊鈴も必要な所です。
鈴ヶ滝不動明王社
創建 / 天平元年(729)
祭神 / 不動明王尊(三体)、御嶽山大神、白龍霊神、猿投大神、天戸御中大神、 白蛇霊神、観音菩薩、弘法大師、道祖神、南無大師遍照金剛
境内社 / …
祭礼 / …
所在地 / 豊田市加納町馬道通21-21
参拝日 / 2024/09/06
亀首 熊野神社から車移動 / 亀首熊野神社から猿投神社方向に北上し加納川に架かる加納橋の手前を左折、猿投温泉に向かいます。 移動時間10分程。
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