岐阜県下呂市 『飛騨の水屋と天醫稲荷大明神社』

お国からの還元の恩恵は漏れなく利用しよう。
そんな趣旨で9月の終わりGOTOで下呂温泉へ。

f:id:owari-nagoya55:20201023211533j:plain宿から下呂の温泉街を徘徊した間、現地で見かけて目に留まった寺社を今回は記載します。
下呂の町には「ここは行っとけ」的な寺社がありますが、それは意識していません、どこまでも道すがらです。

f:id:owari-nagoya55:20201023211553j:plainまずは宿から少し下ったところに温泉寺の参道があったのでここから温泉街に向かいました。

f:id:owari-nagoya55:20201023211615j:plain山の斜面を切り開いた細い参道を下っていきます、下を眺めるとすぐ下に社が見えます。
かみさんに道草に付き合ってとお願いし、写真だけは収めてきました。

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神社に降りていく参道沿いには所々こうした石像が安置されています。
上は天保(1831~1845)の元号までは読めるがそれから下は今一つ分からない。
下は馬頭観音だろうか? こちらは元号すら分からない。

f:id:owari-nagoya55:20201023211724j:plain参道をさらに下ると左の斜面に水屋が現れる。
「飛騨の水屋」と云うようで、屋根が飛騨地方特有の建築様式だという。
栗の木を割った「板ぐれ」とよばれるもので葺いているそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201023211832j:plain水屋の中には石が組まれ、三つの碑が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20201023211747j:plain左が山之神、中央に水神、右が氏神とある。
山の神の後方斜面から清水が湧き出ています。
その水は松の木を刳り貫いて作られた水船に溜められ、中を二つに区切り片側は飲料水として、時には夏場に野菜や果物を冷やしたり、もう一方では洗い物に使い分けていたそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201023211901j:plain飛騨地方の水屋の解説板。

f:id:owari-nagoya55:20201023211922j:plain水屋の先が上から見えていた神社。稲荷神社の様です。

f:id:owari-nagoya55:20201023211941j:plain「天醫稲荷大明神社」
由緒書きには以下の記載。
・1856年(安政5)、温泉寺の鎮守として祀られた。
・温泉寺山号の「醫王霊山」に基づき天醫稲荷と伝わる。
明治維新後、神仏混合廃止令により当地若宮八幡宮へ合祀されたが、明治4年、寺の平安と温泉街の発展を願い、京都伏見稲荷大社より勧請、温泉寺境内に再び祀られた。
・平成20年、造営150周年を機に地元有志により新築落慶

f:id:owari-nagoya55:20201023212001j:plain鳥居から天醫稲荷大明神社の全景。
石で作られた流造の社、狛狐、灯篭など、2008年に建て替えられただけあって、緑に囲まれた環境の中で石の白さと鳥居の朱が鮮やかに見える。

f:id:owari-nagoya55:20201023212022j:plain鳥居の傍らの由緒書き。

f:id:owari-nagoya55:20201023212043j:plain今頃は緑の樹々は赤や黄に彩りを変えている事でしょう。

飛騨の水屋と天醫稲荷大明神
創建 /  1858年(安政5)
祭神 /  宇迦之御魂神
住所 / ​岐阜県下呂市湯之島
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『大神教本院』

大神神社境外摂社綱越神社 を後にして三輪山方向へ

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細い道筋に唐突に広い参道と鳥居が現れます。
これが大神神社の一ノ鳥居。
鳥居の先に見える反橋は渕本橋、橋を横目に参道を進みます。

f:id:owari-nagoya55:20201022173531j:plain参道の先に唐破風付きの建物が『大神教本院』
なんとなく『大神教本院』の鳥居にも思えてしまいますが、大鳥居が一ノ鳥居ではなくこちらの鳥居が大神神社一ノ鳥居。

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大鳥居からニノ鳥居へ続く車道と歩道が整備され、今では表参道の様になり、一の鳥居のあるこの参道から参拝に向かう方は少ないようです。

「三輪へ参らば上下かけよ どちら欠いても片参り」、大神神社を上の宮とすると『大神教本院』は下の宮にあたり、 ここは一ノ鳥居から参拝でしょう。

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大神教本院は「大三輪神祠大神教本院」とも呼ばれ、大神神社分祀に当たるようです。
大三輪神祠(神殿)には大神大物主大神、大己貴神少彦名神事代主神を主神として、天之御中主神天照大神伊邪那岐神、等神代七代の神々をお祀りする。

大三輪霊祠(祖霊殿)
幽世之大神(三輪大神の別称)・明治天皇・照憲皇太后の御神霊、歴代管長、歴代大神神社宮司、一般崇敬者の祖霊及び累代の零位が祀られている。

教旨
神ながらの大道を遵奉し、儀式・行事を行い敬神と崇祖を生活の信条とする。

大神神社との関係
明治5年、明治の大教院制度公布により、大神神社に小教院を付設したことに始まります。
同13年、大神神社小教院から大教会へ名称を改める。
同28年に神道大教から分離・独立する事で現在に至る。

・・・・・一杯書いてある、理解には到底及ばないけれど神仏分離令に大きく影響を受けているようだ。
なんか、沢山の神様がお祀りされているようです。

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神殿(拝殿)
味のある「大神教」の額。
この額はここから車で15分程北の、四世紀頃に築造された古墳、「柳本大塚古墳」から出土した木棺の蓋が再利用されているそうです、並大抵の味わいではない。
それにしても出土品が額に転用できるとは。

五七の桐の紋が際立つ神社幕。
ここに先程の多くの神が祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20201022173917j:plain手水鉢の龍、多くの神〃が見ているからか、えらく良く働いています。

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手水舎
その左に鳥居がある。

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ここにも龍はいるけれど、目が届かないからか、少しさぼっているような。
f:id:owari-nagoya55:20201022174040j:plain鳥居の先、神殿側に祓戸社。

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祓戸社
祭神 三輪大神
祓戸の四柱神 / 瀬織津比売神、速開都比売神、気吹戸主神、速佐須良比売
祓戸の二柱神 / 神直日神、大直日神
祓戸の三柱神 / 表筒男神、中筒男神、底筒男神
疫病除の神 / 速素盞嗚神
災難除の神 / 意富加牟豆美神

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覆屋は二段になっていて、上に社、下に古神符を収めるようです。
上段に社、ここも大所帯のようだ。

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祓戸社左に見た事のない三角形の鳥居。
所謂笠木と云われる最上段の横の柱が三角形に組まれている。指ではじいてみると金属音が響く。
三柱鳥居と呼ばれ、ムスビ鳥居とかヒフミ鳥居とも呼ばれるようです。

宇宙の元霊神の三つの神理に参入する特殊な鳥居とされ、古事記にも記され、始まりの神、天之御中主神高御産巣日神神産巣日神造化三神を表わしているとされ、心身を清めこの鳥居を通り抜けることで神縁を得られるとされる。

その先の右が稲荷大神、左が三寶荒神

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これから向かう大神神社には所謂本殿はなく、拝殿の先の三輪山そのものが本殿。
拝殿の先の禁則地「三輪山」に結界を張るように建つ三つ鳥居がありますが、それとは少し性格が違うようです。

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ここにも桐紋

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稲荷大神
小さな白い狐が社を守護しています。

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祭神 / 宇迦之御魂神、佐田彦神大宮能売神

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右手が三寶荒神
ここは小さな狛犬が見える

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こちらは三つ巴の紋
後方の白いのは?レンゲか?しゃもじ?か

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三寶荒神
祭神 / 火産霊神、奥津彦神、奥津媛神
防火、竈の神

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大鳥居から参道を歩いていると道路に面して上の写真の様に『大神教本院』と特徴のある三柱鳥居が見えます。
下の宮、素通りするにはもったいない。

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下の宮を参拝し更に東に進むと、大鳥居からの表参道に出ます、そこからは歩道沿いにニノ鳥居を目指します。

歩道は先程とうって変わって参拝客でいっぱいです、道路も近い駐車場を目指す車がならんでいます。
出口に近い大鳥居の駐車場を選ぶか、ニノ鳥居に近いけれど先の見えないこの列に加わるか?
視界の先に見えているのは目指す三輪山です。

大神神社 『大神教本院』

 奈良県桜井市三輪1198
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天王山古墳 春日井市大留

春日井市大留町6-13
「天王山古墳」
県道15号線中志段味交差点から県道214号線を春日井方向に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20201020144646j:plain庄内川右岸の堤防沿いに「天王山古墳」があります。

f:id:owari-nagoya55:20201020144709j:plain2004年測量、2007年発掘調査が行われる前の古墳の外観は竹藪の中にあり、それが古墳だということも知られていなかったようです。
その後古墳を含め一画は「天導塚公園」として整備され、古墳は保存された様です。

f:id:owari-nagoya55:20201020144732j:plain庄内川右岸堤防から北側の公園の眺め、古墳の公園といってもいいでしょう。
ここから西に徒歩5分の所に「大留町 神明神社」鎮座します、そこは古墳(親王塚古墳)の場所に神社境内が設けられ、この辺りではそうした神社と古墳がセットになったところが結構あります。
こちらは古墳単独で保存されています。

f:id:owari-nagoya55:20201020144753j:plain天王山古墳全景
築造は古墳時代前期(4世紀頃)とされ、2007年の発掘調査で根拠となる出土品として、赤彩を施した二重口縁壺や高坏が出土したそうです。
それ以前は古墳時代後期(6世紀頃)と云われていたいたそうですが、それらの出土品により現在では4世紀頃築造が定説のようです。

f:id:owari-nagoya55:20201020144813j:plain現在の墳丘の規模は高さ4㍍で直径は26㍍の円墳ですが、本来の高さは5㍍、直径は34㍍だったと考えられています。
すぐ前に庄内川が流れていることから、川砂や粘土質の土で盛り上げ、その斜面には川石を敷き詰め葺石としたようで、墳丘の周囲には周溝もあったようです。
そうして築造された墳丘の頂上、中断、下段には赤く彩色した壺型の埴輪が1㍍間隔で配されていたようです。埋葬者は不明。

f:id:owari-nagoya55:20201020144835j:plain「天導塚公園」の現況
竹藪はなくなり、公園に整備され、円墳の古墳が保存されています。
周囲は宅地化、区画整理が進み住居が建っていますが、公園になっていれば今後も今の姿を留めていくでしょう。

天王山古墳
古墳様式 /   円墳
築造年代 /   古墳時代前期(4世紀頃)
住所 / ​春日井市大留町6-13
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和歌山県紀の川市粉河寺 『千手堂から粉河産土神社』

粉河寺の最後となる今回は本堂左の千手堂の右から粉河産土神社方向を見ていきます。

 

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 千手堂の右奥が赤い鳥居が「粉河産土神社」
鳥居に続く石段の左に行者堂の案内、まずはそちらに向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20201019130311j:plain 石段左の小路を進み行者堂へ。
先が見えない道はどれだけ歩くのか不安になるけれど、この看板から50㍍(1~2分)もあれば行者堂です。

f:id:owari-nagoya55:20201019130331j:plain 行者堂、瓦葺のこぢんまりとした建物。

f:id:owari-nagoya55:20201019130351j:plain 石段を登ると森の一画を切り開いて造られた小さな空間、中央のこぢんまりとした建物が行者堂。
役小角(神變大菩薩)を安置し、年に一度正面の扉が開放されるそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201019130412j:plain 再び粉河産土神社に戻り参拝に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20201019130433j:plain 神社への参道は二通り。
右の赤い矢印が本堂右側の薬師堂から、左が写真の石段のある場所。

f:id:owari-nagoya55:20201019130451j:plain 入口左、延暦年間に始まったとされる「粉河祭礼渡御式縁起」の解説。
この渡御式は二年に一度開催されるそうで、とんまか通りを複数のだんじりが曳航されるそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201019130516j:plain 石段の先にある朱の鳥居をくぐると境内が広がり、拝殿が迫ります。

f:id:owari-nagoya55:20201019130537j:plainおんどり石
鎌倉時代末、元寇の時、元の大軍を前に日本の武士たちは勇敢に戦ったが大苦戦で退去を余儀なくされた。
その際、当社の祭神丹生大明神が鶏に乗り現地に赴き、神力で大風吹き起こした。
元の軍船は殆ど難破し、沈没して全滅した。
所謂、「神風」で敵を退けたのである。
この鶏が石となって産土神社境内に坐り続けて神社を守護している。
更に正月三日にはこの「おんどり石」が一声鳴いて石段を登ると云われ、鳴き声聞くものは長生きをすると言われている』

所謂、蒙古襲来。
文永の役(1274年)」、「弘安の役1281年)」大陸からの二回の侵略を受けます、何れも神風により救われますが、その風を起こしたのが鶏に乘った丹生大明神だという。

f:id:owari-nagoya55:20201019130558j:plain 拝殿
風猛山を背にして鎮座し、春日造の本殿が二棟並んで鎮座しています。
現在の本殿は江戸時代に再建されたものという、
創建は770年(宝亀年間)に粉河寺創始に際し、鎌垣庄の各村の氏神を勧請したのが始まりとされます。
祭神は丹生都姫命(にうつひめのみこと)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祀ります。

産土神はその土地の守り神、それらを纏めて祀る神社が粉河産土神社。

f:id:owari-nagoya55:20201019130622j:plain 粉河産土神狛犬

f:id:owari-nagoya55:20201019130642j:plain 粉河産土神社額

f:id:owari-nagoya55:20201019130702j:plain 中央の大麻で身を払い、二礼、二拍手、一礼。

f:id:owari-nagoya55:20201019130721j:plain 拝殿にはこちらに勧請された各村の氏神が記されています。

f:id:owari-nagoya55:20201019130740j:plain 拝殿から春日造の本殿の眺め。
煌びやかな彩りで各所に彫飾りが施されています。
本殿域左に須佐神社、大神社の二社が鎮座するようです。

f:id:owari-nagoya55:20201019130759j:plain 天福神社。

f:id:owari-nagoya55:20201019130826j:plain 耳垂れでややスリムな容姿の天福神社狛犬

f:id:owari-nagoya55:20201019130846j:plainとてもシンプルな天福神社の額。

f:id:owari-nagoya55:20201019130906j:plain 天福神社本殿全景。
祭神は天降大明神を祀り、擬宝珠の銘に1727年(享保12)と刻まれているという。
その両脇を小さな陶製?の狛犬が守護しています。
本殿左に熊野社、吉野社の二社が鎮座するようです。

f:id:owari-nagoya55:20201019130926j:plain 天福神社から鳥居方向の境内。
奥の右側に「ピーちゃん」と呼ばれる孔雀が飼われています、今一つ愛想がない。

f:id:owari-nagoya55:20201019130947j:plainそれに比べ「癒しの黒猫タンゴ」、この子は愛想がいい。

f:id:owari-nagoya55:20201019131011j:plain 手前の粉河産土神社から天福神社の眺め。
境内は更に右手に広がります。

f:id:owari-nagoya55:20201019131034j:plain 天福神社から右手に進むと遥拝所。

f:id:owari-nagoya55:20201019131054j:plain 左に猿田彦碑。

f:id:owari-nagoya55:20201019131115j:plain 更に進むと複数の社。

f:id:owari-nagoya55:20201019131133j:plain 手前の赤い社は左から楠神社、一言神社、多賀神社、日吉神社、北野神社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20201019131152j:plainその右が護国神社

f:id:owari-nagoya55:20201019131210j:plain 粉河白山神社、社殿は春日造で向拝が付く。

f:id:owari-nagoya55:20201019131230j:plainその右が粉河稲荷大明神の鳥居。
粉河寺薬師堂の鳥居から来るとこちらに続きます。

f:id:owari-nagoya55:20201019131251j:plain 正面を向いた狛狐が守護する粉河稲荷大明神

5回に分けて記載した「西国第三番霊場 粉河寺」。
多くの伽藍や句碑等見所が多く、境内の樹々や花の種類もいろいろあり、四季それぞれに表情を変え楽しませてくれそうです。

粉河産土神社」
創建 / 770年(宝亀年間)とされる
祭神 / 丹生都姫命、天忍穂耳命

「天福神社」
創建 / 不明(擬宝珠に1727年(享保12)の銘)
祭神 / 天降大明神

 住所 / 和歌山県紀の川市粉河2787
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「神明社」雲龍図が見どころ

春日井市篠木町7  神明社

f:id:owari-nagoya55:20201016215633j:plain下街道(県道508号線)の南、かんね公園の西側に隣接する神社。
神社周辺は閑静な住宅街で公園区画の一部が境内で周囲を玉垣で囲われている。
境内は写真の様に大きな杜で覆われ、宅地化された環境の中で貴重な緑が残っています。
社頭は交差点の角に鳥居が建ち、参道は北に向かって真っすぐ拝殿に続きます。

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鳥居から拝殿の眺め。
鳥居右に由緒が彫られた碑が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20201016215719j:plain由緒
神明社 鎮座地 春日井市篠木町7丁目1-22
御祭神 天照大神
境内社 大宰府天満宮(菅原道真)、金毘羅宮(大物主命)、尾張大国霊神社 (尾張大国霊神)、津島神社 (須佐之男命)
沿革
創建は不明、昔からここには小さな祠があった。伊勢山と呼ばれ伊勢参宮の時、村の代表をここで見送り、帰ってきた時はこの地で人馬を出迎え酒食を出し「伊勢へ参ったかヨーイヨイ」と歌い労をねぎらったという。
昭和54年再建され、現在の神明社になった。境内に元文三年(1738)、天保8年(1837)の燈籠があり、300年以上昔から鎮座していると思われます。大自然の恵みや、先祖に感謝しながら家内安全、商売繁盛、事業繁栄、良縁成就、小授け、安産、交通安全などを祈願しましょう」

ここまで書かれていれば初めて訪れた者にはとてもありがたい。

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明治のこの辺りは左の様に西に下街道(緑の線)とその沿線や田園に集落が点在、其々に集落の神社が祀られています。
篠木町の神明社は集落の外れに鎮座し、「村の代表の見送り、出迎え・・・・・」のイメージが湧いてきます。
伊勢へは恐らく下街道から向かっていったはず、村の外れで代表を見送り、出迎えたとすると由緒にある村とはどこなんだろう?

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鳥居から境内へ、左手にも石碑があるようです。

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総社尾張大国霊神社(国府宮)裸祭りに鏡餅を奉納する奉賛会の記念碑のようです。

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正面が燈籠、拝殿、左に手水舎があり、拝殿左奥にも覆い屋が見えます。

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手水鉢の龍、今日はお休みの様ですが、鉢の清水は澄んでいました。

f:id:owari-nagoya55:20201016215928j:plain拝殿
四方吹き抜けの切妻瓦葺で彫飾りなどは抑えられシンプルな外観、正面に本殿が良く見通せます。
・・・・・拝殿内の天井に何か描かれているようです。

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天井の中央に雲竜図が描かれています。

拝殿からは本殿を守護する狛犬と6本の鰹木と内削ぎの千木が施された神明造りの本殿が見通せます。

f:id:owari-nagoya55:20201016220010j:plainここで雲竜図に出会えるとは予想外、京都に行かなくても済んでしまう?
作者やいつ頃描かれたものか詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20201016220029j:plain本殿域と境内社の全景
丸い石で二段に積まれた石垣の上に社が祀られ、肉付きの良いフォルムの狛犬が本殿を守護しています。
左に瓦葺の覆い屋がふたつ。

f:id:owari-nagoya55:20201016220050j:plain本殿全景
創建は不明ですが、祭神は由緒に記されていたように天照大神で間違いないと思われます。

f:id:owari-nagoya55:20201016220109j:plain本殿左の二つの覆い屋

f:id:owari-nagoya55:20201016220131j:plain右の妻入りの覆い屋には津島社

f:id:owari-nagoya55:20201016220150j:plain左の平入の覆屋に三社
右から金比羅宮、大宰府天満宮尾張大国霊神社と並び祀られていますが、これらがいつ頃勧請されたものかはわかりません。
道真公を祀る大宰府天満宮という事で牛か梅など見られるのかと思いきや、意外にそれを印象付けるものはありません。

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一通り由緒に記された神社の参拝を終え後にしようと思いましたが、その前にもう一度雲竜図をよく見ておこう。
拝殿の上に上がらせて頂き、真下から一枚写真に収める。
新しいとか、古いとかは大きな問題ではない、心を込めて描かれたものには人を魅了するものがある。
絵心のない自分から見て、こうして形にできる技術は尊敬に値する。
篠木町の神明社の見所はこの雲竜図といってもいいだろう。

神明社
創建 / 不明
祭神 / 天照大神
境内社 / 大宰府天満宮 (菅原道真)、金比羅宮 (大国主命)、尾張大国霊神社 (尾張大国霊神)、津島神社 (須佐之男命)
住所 / 春日井市篠木町7-1-22
参拝駐車場 / 鳥居の右方向にありますが常時開放されているものではないようです。
公共交通機関アクセス / JR中央線春日井駅下車北へ徒歩30分
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綱越神社(おんばらさん) 大神神社境外摂社

奈良県桜井市三輪
国道169号線の三輪参道入口交差点に来ると嫌が上にも大神神社の大きな鳥居が目に入ります。
鳥居方向は県道238号線となり鳥居を過ぎてすぐに左右に駐車場があるので右側の駐車場に駐車します。
大神神社参拝はここに停めるのがお勧め。
当然歩く距離は長くなるけれどその代わりに参道沿いの社など見て行くことが出来、何より帰りの渋滞を考えると出口に近いのはストレスがない。

f:id:owari-nagoya55:20201015105545j:plainそれにしてもこの大鳥居の大きなこと、この鳥居は一の鳥居ではなく、後から作られたものです。
車を停め、さあ最古の神社と云われる大神神社参拝と行きたいところですが、まずはこの駐車場の南から直接アクセスできる大神神社摂社の「綱腰神社」に参拝していきます。

f:id:owari-nagoya55:20201015105611j:plain駐車場から綱越神社は歩いて1分、公園の様に広い空間にこんもりとした杜と玉垣が見えます。
大神神社参道は綱越神社の横にある道が一の鳥居へ続く本来の参道。
神社は境外の参道入口に鎮座する形です。

f:id:owari-nagoya55:20201015105632j:plain神社横の道路から参道があり、正面に手水鉢、本殿は右の鳥居の先。

f:id:owari-nagoya55:20201015105651j:plain鳥居脇の由緒書き
「祭神 祓戸大神  大神神社参道入口に位置し、「祓戸の大神」を祀る延喜式内社。
夏越しの社とも云われ旧6月晦日の大祓「夏越祓」が行われる古社として知られ、社名の綱越は「夏越」から転化したと云われる。
本社の最も大切な「卯の日神事」つまり例祭である大神祭の前日に神主以下奉仕員が初瀬川で禊の後、当社に於いて祓いの儀を受け、初めて本社の神事に携わる事ができました。
現在は7月30日、31日の両日、御祓祭が執り行われ、特設の茅輪をくぐり無病息災を祈願する。」

f:id:owari-nagoya55:20201015105710j:plain明神鳥居から拝殿方向の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20201015105733j:plain切妻瓦葺で平入のシンプルな拝殿。

f:id:owari-nagoya55:20201015105753j:plain拝殿内から本殿の眺め。
掲げられている「おんばら社」の額、これは御祓をする社からきているようです。
由緒に書かれているように、ここでお祓いを受けた者しか大神神社の神事に関わる事が出来ない。

大神神社参道入口を守護し、尚且つここで禊を行う、重要な役割を担う神社のようです。

f:id:owari-nagoya55:20201015105816j:plain本殿
檜皮葺春日造りの本殿。
創建は不明ですが、延喜式神明帳に859年(貞観元年)、従五位下の神階を贈られていると記録が残り、我国最古と云われる大神神社と関りがあるとなるとかなりの古社といえる。

祭神は『祓戸大神』とある、いわゆる祓戸四神(織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩)と呼ばれ、お祓いや禊を司る神々。

大神神社の境内には「祓戸神社」もあり、綱越神社が関係者用と形容すれば「祓戸神社」は参拝者用の位置づけになるのかナ。

f:id:owari-nagoya55:20201015105836j:plain本殿右に注連縄が張られた大きな岩「磐座」があるも解説等はなく詳細は不明。

ここから細い道路に出て東に、三輪山を眺めつつ少し進むと一の鳥居だ。
大鳥居のある通りに比べるとここを通る参拝客はとても少ない。
古都奈良の雰囲気を感じることができます。

  綱越神社(おんばらさん)
創建 / 不明
祭神 / 祓戸大神(織津比咩、速開津比咩、気吹戸主、速佐須良比咩)
住所 / ​奈良県桜井市三輪1172
公共交通機関アクセス(名古屋より) / 近鉄名古屋駅名張駅⇒近鉄大阪線⇒桜井駅⇒JR桜井線「三輪」駅下車
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大渡地区の白山神社

勝山市平泉寺町大渡

白山山麗の山地を切り開き、田んぼや畑が点在する自然豊かな山間地です。
自然が豊かなのでクマの出没情報もあり、人を襲う(2020/10時点)などの記事が目に付く。
それほど山深いと感じないけれど、最近はクマの方が里山に近づいている。
長閑だねと感じる場所は、思いもよらぬ生きものに「出逢うもの」と認識しておく必要があるのかも。

f:id:owari-nagoya55:20201013192301j:plain平泉寺白山神社に向かう道すがら、県道169号線(平泉寺大渡線)沿いで見かけた白山神社
明るく開けた境内を持つ神社ですが、つい最近までは境内は大きな杉の杜に包まれていたようです。
境内の至る所に名残の切株が無数に残っています。

県道沿いから眺める大渡地区の白山神社、こうした神社が集落ごとに点在しています。
玉垣などで結界が張られ、敷居が高そうな神社に対し身近に感じる特別な空間。

f:id:owari-nagoya55:20201013192327j:plain嘗ては豪雪地帯だったこの辺り、それを実感する機会も減ってきているでしょうが、伽藍を見ていると高く積まれた石垣や渡廊など雪を意識して作られている。

f:id:owari-nagoya55:20201013192351j:plain大渡地区案内板。
集落の外れに白山神社は鎮座します。(赤丸)

f:id:owari-nagoya55:20201013192412j:plain社頭から拝殿の眺め。
右手に社号標、左が手水舎、参道は真っすぐ拝殿に向かう。

f:id:owari-nagoya55:20201013192435j:plain清水は井戸からの汲み上げるようです。

f:id:owari-nagoya55:20201013192456j:plain1925年(大正14)の社号標。

f:id:owari-nagoya55:20201013192518j:plain白山神社明神鳥居(1947年(昭和22))

f:id:owari-nagoya55:20201013192541j:plain手前の狛犬、素朴な石灯籠と入母屋造の拝殿。

f:id:owari-nagoya55:20201013192601j:plain子持ちの狛犬と奥に小さな社がある。

f:id:owari-nagoya55:20201013192619j:plain板宮造りのこの社、詳細は分からないけれど、随分と朽ちてきている姿は痛々しい。

f:id:owari-nagoya55:20201013192643j:plain阿形は毬を持っている。

f:id:owari-nagoya55:20201013192702j:plain拝殿から幣殿、本殿の眺め、暗くて見通す事はできなかった。
こちらの由緒等福井県神社庁で調べて見ました。
創建など詳細な記載まではありませんが、境内社に王子社、祭神は天照皇大神とありました。
上の朽ちかけた社が王子社なのだろうか?
それだけでもどこぞの神社庁と比べれば情報は載っている、ありがたいものです。

f:id:owari-nagoya55:20201013192724j:plain拝殿から西方向の眺め。
見通しがきくようになった境内から、その先の集落に住む氏子たちを見守っている。

大渡地区の白山神社
祭神 / 天照皇大神
住所 / ​勝山市平泉寺町大渡28白山神社小沢4
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