名古屋市瑞穂区『北條八幡社』

瑞穂区丸根町「北條八幡社」

東部丘陵地帯の南西端といっても過言ではないかもしれない。
弥冨通りから南と西に緩やかに傾斜が続き、南は天白川、西は山崎川に続く。
神社は弥冨通の南の緩やかな傾斜地の小高い丘に鎮座します。
一方通行も多く車の往来はさほどではない。
現在のこの辺りは閑静な住宅街が広がる静かな街並み。

f:id:owari-nagoya55:20210921172634j:plain天白川方向の眺望が利くこの辺りは、戦国時代は戦略的拠点でもあり、近隣には複数の城が築かれました。「北條八幡社」は正にその城の一つ「中根南城」に鎮座する神社。
南と付けば他もあるのでは?、中根城は現在の県道221号線の弥冨通を挟んで、北に中根北城(瑞穂区日向町4)と南に中の城(瑞穂区丸根町1)、そしてここ南城の三つの城があり、現在は遺構などは残っていない。
この「中根南城跡」の現在は浄土宗鎮西派の北條山観音寺があり、八幡社はその境内の南西角の小高い場所に鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20210921172654j:plain北條八幡社の参道口は小高い丘の西側の通り沿いにある幼稚園の車庫が目印。
そこまでくれば写真のような案内板が導いてくれるはず。
因みに観音寺へはこの丘の南側の山門からになりますが、この参道を進むと観音寺に繋がっています。

f:id:owari-nagoya55:20210921172721j:plain緩やかな上りの参道を上がりきれば視界が広がり、観音寺境内が見えてきます。
今回は八幡社なのでさらっと流します。
左に見える六角形の建物が観音堂

f:id:owari-nagoya55:20210921172736j:plain参道の先に山門と右手に進むと本堂の様です。

f:id:owari-nagoya55:20210921172755j:plainむくり屋根の観音堂本堂。

f:id:owari-nagoya55:20210921172811j:plain目的地の北條八幡社は参道を上がりきった左、杜に包まれた小高い丘の頂に鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20210921172833j:plain北條八幡社社頭全景。
右に社標があり、少し上った丘の頂を整地し社殿が建つ。

f:id:owari-nagoya55:20210921172850j:plain拝殿は瓦葺の切妻で四方吹き抜けのもの。
建立年代は不明ですが、素木造りで飾りを廃した落ち着いた佇まいのもの。
八幡社の鎮座する「中根城」の城主は逸話の多い織田信照(1546~1610年)の居城とされ、城の鎮守として祀られたとすると長い歴史を持つ神社。
廃城時期は定かではないけれど、城址に建つ観音寺の開基が慶長10年(1605)とされる。
北城、中城ともに遺構はなく、ここ中根南城はこの高みが唯一それを感じさせるくらい。

f:id:owari-nagoya55:20210921172907j:plain軒下には素木の札に「北條八幡」と記されている。

f:id:owari-nagoya55:20210921172924j:plain拝殿から本殿の眺め。
左には注連縄が張られた大きな切株が目に入る。
樹齢400年を超す黒松の切株で、在城当時をしのばせるもので、名古屋市指定文化財にもなっていたという、昭和33年枯死によりそれも解除された。

f:id:owari-nagoya55:20210921172942j:plain本殿は切妻瓦葺の覆屋の中に祀られている。

f:id:owari-nagoya55:20210921173000j:plain本殿全景。
観音寺でお世話をされているのだろうか、こまめに榊がお供えされている。

f:id:owari-nagoya55:20210921173018j:plain覆屋横から拝殿方向を眺める、こうして見ると南側は随分見下ろす事ができ、天白川や更にその先も良く見通せたはずだ。

f:id:owari-nagoya55:20210921173038j:plain田畑や森から閑静な住宅地に変貌した現在、その環境の中に残る貴重な杜かもしれない。
枯死した黒松に代わり、今は大きな樹が聳えている、この木肌からみると楠かと思いますが、住宅街の高みに空を覆う様に枝を張り、嘗ての中根城はここにありと云わんばかりだ。
2021/09/13

北條八幡社
創建 /  不明
祭神 /   北条八幡大神
所在地 /   名古屋市瑞穂区丸根町2-43

中根南城
元はこの地を収めていた中根氏の居城
築城時期は定かではないが1561年(永禄4)~1590年(天正18)頃と云われる
廃城時期も定かではない。

公共交通機関アクセス /  地下鉄名城線「新瑞」から南東へ徒歩20分程

彼岸花 「尾北自然歩道」

過ごしやすい天気だった今日
心地よい風につられて江南市の尾北自然歩道を少し歩いてきました。

尾北自然歩道
犬山市から岩倉市まで、五条川に沿いに延長約27kmにおよび歩道が整備され、両岸には桜並木が続き桜の名所として知られます。
この時期は周囲の稲の緑も鮮やかで、歩道沿いは彼岸花が咲き、鮮やかな赤が川面を彩ります。

f:id:owari-nagoya55:20210920202510j:plain台風の影響もそれほどなかったようで稲穂は少しずつ垂れ始めている。
正面の堤が五条川
こうした歩道が延々と整備されている。

f:id:owari-nagoya55:20210920202527j:plain川沿いのそこかしこに彼岸花が咲き、季節の彩りにあふれています。

f:id:owari-nagoya55:20210920202544j:plain大きな群落はないけれど、こうした小さな群落が多く見られます。
桜で賑わう五条川ですが、彼岸花のこの時期は、秋風を感じながら家族でサイクリングする姿が多く見られました。

彼岸花の見頃は意外に短い印象がありますが、来週くらいまでは鮮やかな赤い彼岸花が見られると思います。歩いた限りでは白い花はあまり見かけませんでした。
2021/9/20

尾北自然歩道
撮影地 / ​江南市曽本町幼川添

生駒氏の氏神「神明社」

江南市田代町郷中神明社
以前掲載した「久昌寺」の南に鎮座する。

f:id:owari-nagoya55:20210919223741j:plain神明社社頭。
道は社頭で突き当る、正面には石の神明鳥居と蕃塀と拝殿が見通せる。
ここまでの道の左右は民家が立ち並び、この道を南に進むと県道171号線が左右に伸び、左側に松社天神が鎮座する。
県道を渡り、更に南へ進むと南山神明社へ真っすぐに続いている。
門前町の趣が漂う道筋です。

f:id:owari-nagoya55:20210920073454j:plain田代町神明社境内全景。
恐らく南北に長い社地で、東側は水田、西側と北側に住宅が点在するがまばらに水田が残っている。

f:id:owari-nagoya55:20210920073519j:plainこれは初めて見る、蕃塀なんだろう。
神域を壁で見通せなくし、真っすぐに進ませない見慣れた蕃塀から見ると随分様式が違う。

f:id:owari-nagoya55:20210920073537j:plain入母屋瓦葺の拝殿とその先に切妻瓦葺の覆屋が伽藍のようだ。

f:id:owari-nagoya55:20210920073553j:plain四方吹き抜けの妻入りの拝殿。
額は付かないシンプルなもので、ひょっとすると拝殿ではなく神楽殿かもしれない。
ここでは拝殿として記載を続けます。

f:id:owari-nagoya55:20210920073612j:plain拝殿から本殿方向の眺め。
拝殿内には由緒らしき額は掲げられていなかった。
手前に石灯籠と一段高く基礎が作られ、その上に覆屋が建てられ、正面は透塀、他は板垣に囲まれている。内部には朱塗りの本殿が見える。

江南市の解説によると
神明社は小折の田代町郷中にあり、『神社明細書』によれば、明応年間(1492~1501)生駒家広が領主としてこの地に居住するにあたり、守護神として勧請(かんじょう)した社ということです。
尾張徇行記』によれば「当村五社祠官山田和泉書上ニ神明外宮社五畝歩、神明内宮社内九畝六・・・」と記されています。
即ち小折村には二つの神明社があり、それは外宮(南山神明社)と内宮(当神明社)でいづれも生駒家代々の氏神であった訳です。
勧請したのは明応のころというだけで年代は定かではありませんが、慶長15年(1610)第五代目生駒因幡守利豊の時に再建した古記録が残っています。
また、当神社には宝暦3年(1753)及び文化10年(1813)の屋根葺き替え工事の際の棟札が残っています。
平成17年には覆屋も含めた全体の修理を行い、かつての鮮やかな朱色がよみがえっています。
一間社神明造りでこの種の古い建物が残っているのは珍しいといわれています。

f:id:owari-nagoya55:20210920073630j:plain尾張名所図会久昌寺絵図。
黄色の久昌寺の上には神明社氏神として祀った生駒氏の屋敷(小折城)があった。
内宮とされる赤く塗った郷中神明社は確かに描かれ、外宮とされる南山神明社は切れて描かれていないが郷中神明社の下に位置している。
描かれた絵と現在を比べても昔の面影は今も色濃く残っている。

f:id:owari-nagoya55:20210920073646j:plain檜皮の赤い本殿は神明造で内削ぎの千木が付く。
右手に解説が掲げられています。

f:id:owari-nagoya55:20210920073700j:plain神明社本殿 江南市田代町郷中114番地
 指定文化財 昭和59年3月21日指定 
一間社神明造 檜皮葺
 当地には、もと内宮と外宮があり、尾張徇行記には「此両社生駒家代々氏神、勧請の年歴は不伝、再建は慶長15年(1610)生駒因幡守利豊造営地也」とあって、これはそのうちの内宮にあたり、再建当時のものとみられます。
 宝暦3年(1753)及び文化10年(1813)の屋根葺き替えの棟札があります。
このように時代の古い神明造が残されているのは珍しく、保護のうえから、瓦葺きの覆屋に納められています。 昭和4年5月江南市教育委員会
とある。

f:id:owari-nagoya55:20210920073720j:plain本殿の全容は板垣もあり見る事はできませんが、平成17年(2005)に葺き替えられた屋根や朱塗りも色鮮やかな状態、覆屋はしっかり本殿を守っているようです。

f:id:owari-nagoya55:20210920073737j:plain佇む姿からはそれほど歴史があるとは思えなかったが、一帯は生駒家と深いかかわりのある寺社が残っている。

f:id:owari-nagoya55:20210920073753j:plain名古屋から少し時間はかかるけれど、田んぼが育む蛙やトンボ、見知らぬ花など街中から消えた光景がまだまだ残っている。
2021/8/31

神明社江南市田代町郷中
創建 / 不明
祭神 / 天照大神
所在地 / 江南市田代町郷中114
公共交通機関アクセス / ​名鉄犬山線布袋駅から南東に徒歩22分程
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かみさんは狐の化身 「鹿島(かのしま)稲荷社」

名鉄本星崎駅から南へ徒歩十分ほど。
国道1号線鳴尾交番北を左に進む、鹿島(かのしま)稲荷社はその通りの左側に鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20210917152246j:plain 国道から曲がると周辺は工場などが立ち並ぶ一帯となります。
正面は名鉄名古屋本線

f:id:owari-nagoya55:20210917152329j:plainそうした環境の中に鹿島(かのしま)稲荷社がポツンと鎮座する。

f:id:owari-nagoya55:20210917152354j:plain 道路際に南区の史跡散策路の案内板と正面の鳥居から先に赤い稲荷鳥居が奥へと続いている。
社標は鳥居左側にあるが木々に隠れ気味。

f:id:owari-nagoya55:20210917152423j:plain 鹿島(かのしま)稲荷社は別名「久太稲荷」と呼ばれ、創建は四百年ほど前、キツネの化身だった女性をかみさんとして娶った久太夫の子孫が社を建てたという。

f:id:owari-nagoya55:20210917152448j:plain 参道左の手水舎。
手水鉢は古そうですが奉納年までは確認していません。
 

f:id:owari-nagoya55:20210917152516j:plain 南区史跡案内に鹿島稲荷社について以下のように紹介されていました。
天白川砂州が発達して出来たというこの地は、かつて鹿の島と呼ばれていました。別名「久太稲荷」とも呼ばれ、「狐の化身だった久太夫の妻がその正体を子どもに見られ、姿を消す際に恩返しにと一晩で田植えをし、家を出ていった。その年久太夫の田だけ豊かに実った。」という民話が伝わっています」

上は尾張名所図会に描かれた星崎周辺の眺め。
この絵の中には海は間近に描かれ、当時は塩田が営まれていた。
やがて新田開発により海岸線は沖に延び、塩田は水田と移り変わっていったのだろう。
この昔話はそんな頃の話なのだろう、こうした物語は正体が知られると姿を消すのが定番。
「働き者の狐の嫁さんと久太夫はその後も幸せに暮らしたとさ」とはいかないものだろうか。
そんな民話が生まれた水田の広がる光景も、今は工場が立ち並び、長城のような河川堤防と国道を頻繁に車が行き交う。今の風景からは当時の面影は全く感じられない。 f:id:owari-nagoya55:20210917152554j:plain

 鹿島(かのしま)稲荷社本殿。
狐の化身だった久太夫の妻は一説によれば京都の伏見で倒れた女性という説があるといい、伏見稲荷から発祥した神社なのかもしれないという。
高く積まれた石垣の上を赤い覆屋が建ち、その中に檜皮葺の本殿が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20210917152632j:plain 鹿島稲荷社本殿全景。
屋根は多少傷みがあるものの、境内含め綺麗に維持管理され、今も熱心な信者により支えられている事が分かります。
以前は稲荷講があり管理されていたようですが、それも20年ほど前に解散、以降は信者方々により維持されているという。
事実、訪れた時も自転車が停められ境内の清掃活動をされている光景を見た。
管理はそれまでの組織から鹿島稲荷を崇敬する個人に移り変わってきたようです。

f:id:owari-nagoya55:20210917152706j:plain 本殿は流造の檜皮葺で破損を進めないようにネットで養生されている。
社名札は「鹿ノ島稲荷」の表記されている。
屋根以外はしっかりしながら、屋根の痛み具合だけが残念だ、しかし見ての通り立派な覆屋が上を覆っているので吹きっ晒しに比べれば遥かにいい。
トタンで包んでしまうと安価で早いだろう。
反面。味気ないものになるだけに補修の手が入るといいが。
補修技術がある訳でもないので僅かな賽銭を足しにしてもらうしかできる事がない。

f:id:owari-nagoya55:20210917152739j:plain 本殿前には二対の狛狐が守護しています、どちらも栄養状態は良さそうで、時に見かける痩せこけて体の細い悲壮感漂うものではない。
後方には複数の境内社があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20210917152808j:plain 本殿右の覆屋。
中には二社祀られ、右は秋葉大神、左ら八幡大神が祀られています。
有難いことに境内社は社名札が掲げられているものが多く考える事がない。
 

f:id:owari-nagoya55:20210917152840j:plain 更に奥は稲荷鳥居が続き、岩を組み上げた一画に祀られた二社を赤の玉垣が囲う、参道はこの二社の外周を周回するように伸びている。
 

f:id:owari-nagoya55:20210917152906j:plain 見えていた二社以外に隠れる様にもう一社祀られていた。 

f:id:owari-nagoya55:20210917152940j:plain

 小さな板宮造りの社でありながら、狐の数はこちらは本殿以上に多い。
前掛けが付けられた四対の狛狐が確認できる。
余談ですが、最近こうして低い視線から眺めるのがきつくなってきた。
あわよくば三社を収めたかったがこれが限界、腰と膝が悲鳴を上げるようになってきた。

f:id:owari-nagoya55:20210917153038j:plainこの辺りだと本殿後方が良く見て取れる。
本殿の石垣の左右に大量の白い小さな狐がいる。
 

f:id:owari-nagoya55:20210917153113j:plain 本殿左の二社全景。
この趣は御嶽神社をイメージしてしまう。

左の社は文字神社とある。
聞いたことのない社名、拝み倒すと字が上達するとか?調べて見る価値がありそうです。
右は住吉神社
 

f:id:owari-nagoya55:20210917153157j:plain 本殿西側からの眺め。
日没も早くなり、境内は周辺の建物の影が伸びてきた。 

f:id:owari-nagoya55:20210917153229j:plain

本殿。
大きなものではないけれど、素木の流造で脇障子と高欄が付く本殿は堂々とした佇まい。
どうしてもネットに視線が行ってしまう。
創建や再建等は定かではないけれど、言い伝えからすれば随分と古くから鎮座しているようで、祭神は倉稲魂命 

f:id:owari-nagoya55:20210917153312j:plain

両脇に子狐たちが寄り添う。 

f:id:owari-nagoya55:20210917153355j:plain

本殿から社頭の眺め。
稲荷鳥居は本殿に真っすぐに繋がる感じではなく、本殿後方へ導くように建てられている。
水田が広がっていた当時と様変わりし、現在は工場が林立し周辺の景色は見通せなくなっている。
そんな立地の鹿島(かのしま)稲荷社ではあるけれど、手入れされた境内や日々参拝に訪れる方がいるのを見るとまだまだ途絶えることはなさそうだ。 

f:id:owari-nagoya55:20210917153442j:plain

境内で見かけた猫。
途中で姿を見なくなったが、こんな場所でくつろいでいた。
触らしてはくれないが、怪しいおやじは気になるみたいだ。
後ろを走る電車には気を付けろ。

鹿島(かのしま)稲荷社
創建  / 不明
祭神 / 倉稲魂命
境内社 /  秋葉大神、八幡大神、文字神社、住吉神社
所在地 / 名古屋市南区星崎2丁目 
公共交通機関アクセス / 名鉄名古屋本線「本星崎」駅下車、南へ徒歩10分​。
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「朝宮神社」春日井市朝宮町

春日井市朝宮町朝宮神社。
鳥居松3の神明社から徒歩で20分程北西に鎮座する。
町名の朝宮の由来は朝宮神社から付いたとされます。

f:id:owari-nagoya55:20210915092032j:plain朝宮神社全景。
静かな住宅地の一画に東を向いて社頭があり、右手に春日井市朝宮地区集会施設がある。
境内へはここの他に社地北側にも鳥居を構えた脇参道があります。

f:id:owari-nagoya55:20210915092052j:plain左手に朝宮神社社標、一段上がって境内が広がります。
鳥居の先右手に手水舎、その先に蕃塀と拝殿が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20210915092109j:plain石の神明鳥居の左に石碑が見える。

f:id:owari-nagoya55:20210915092124j:plain朝宮神社由緒
「朝宮神社
祭神 阿太賀田須命 建手和爾命 菊理比売命
 鎮座地 春日井市朝宮町7054
由緒 創建不詳 延喜式神名帳(延喜5年927年)の式内社和爾良神社と伝えられるが定かではない。
 建保6年1218年  加賀白山より菊理比売命を合祀し朝宮白山宮と称した。
寛永19年1642年徳川源敬公により改造営され朝宮神社となる。
 文禄4年1595年の「奉再建和爾良白山宮御本殿」の棟札が残る。
今回、区画整理に伴い境内地の変更があり本殿・拝殿とも鉄筋コンクリート造りで再建し境内も整備し、
 昭和63年1968年遷座祭を行う」

和爾良神社ですかぁ、名東区の和示良神社や春日井市宮町の両社宮神社、上条町の和爾良神社の他に新たに候補が増えたようだ。
正直な所どこが本家でも構わない、はっきりしなくてもいいものの様に思える。

f:id:owari-nagoya55:20210915092141j:plain境内全景。
由緒にもあるようにコンクリート造りの伽藍は全てが新しく、境内は良く手入れされ居心地のいい空間。

f:id:owari-nagoya55:20210915092157j:plain手水舎後方に古い鉢と左に「和爾之井」と掘られた空井戸、江戸初期には「和爾清水」という湧き水が湧出していたという。

f:id:owari-nagoya55:20210915092215j:plain蕃塀と拝殿正面全景。

f:id:owari-nagoya55:20210915092240j:plain石造の蕃塀の下部には波が描かれ、波間を飛ぶ鳥が描かれている。

f:id:owari-nagoya55:20210915092257j:plain銅板葺の平入拝殿、こうして屋根を見ると僅かにむくりが入っているように見える。
拝殿左に注連縄の架けられた覆い屋がある。

f:id:owari-nagoya55:20210915092313j:plain拝殿、幣殿、本殿が一体となり連なっている。
新しく綺麗な社殿に対し、その脇の狛犬は同時期のものとは思えない風貌だ。

f:id:owari-nagoya55:20210915092329j:plain年代までは確認していませんが、建て替える以前の面々か。

f:id:owari-nagoya55:20210915092346j:plain東から見た社殿、全体的にシャープな印象を受ける。
本殿は四本の鰹木と内削ぎの千木が付く。

f:id:owari-nagoya55:20210915092402j:plainまずは朝宮神社参拝。
拝殿の額と拝殿内から本殿方向の眺め。
1968年にコンクリート造りに建て替えたとあったが、半世紀を経たとは思えない程綺麗な印象を受ける。

f:id:owari-nagoya55:20210915092419j:plain拝殿左脇の覆屋には津島神社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20210915092438j:plain津島神社の左に朝宮神社由緒。
一部抜粋
「祭神の和爾命は当地と関係のある和爾族の祖神である。
社殿によれば尾張藩徳川義直および二代目光友は当社の崇敬厚く義直は社殿の造営、光友は亡母貞松院の祈願所とされた。
なお、神社の近くには源敬公の朝宮御殿跡の碑があり、これは春日井原においてお鷹狩りの折の休憩所の跡である」

はて?それらしき碑は見つけられなかった、近くとはどこだろうか。
家に帰りグーグル先生に聞けば、社頭左の道路を西に行けば玉垣の切れ目があり、そこから階段を上るとその碑があったようだ、少し悔やまれるが後の祭りだ。
またの機会にしよう。

f:id:owari-nagoya55:20210915092456j:plain
境内から北側参道の眺め、鳥居の先は参拝者駐車場ではなさそうでした。

社頭方向の眺め。、鳥居からセミの鳴き声が聞こえてくる。

f:id:owari-nagoya55:20210915092516j:plain鳴き声の主はアブラゼミ
石の鳥居が好みなのか、ひと際大きく鳴きまくっていた。
参拝を終え、車を停めさせてもらっている慈眼寺まで急いで戻るとする。
2021/8/16

朝宮神社
創建 /  不明
祭神 /    阿太賀田須命 建手和爾命 菊理比売命
境内社 /  津島社
所在地 / 春日井市朝宮町1-12
徒歩ルート /   鳥居松3「神明社」から​北へ徒歩20分
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長野県戸隠 鏡池

鏡池
戸隠では知名度の高い絶景スポットとして知られている。
鏡池へは以前記載した「戸隠 蕎麦処 そばの実」の前から県道36号線を左に進んで10分程の所にある。
幅員の狭い対面通行の山道で、途中に一部すれ違いの難しい場所もあり、バックや幅寄せが苦手な向きには厄介な道かもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20210914061136j:plainそんな山道を抜けると前方が開け、右手に湖が見えてきます。
鏡池到着。
ここには「どんぐりハウス」というガレットを提供するレストハウスがあり、駐車はその前かもう少し奥に進んだ左側に広い駐車場があります。
広々とした奥の駐車場から歩いても鏡池まではたかが知れています。
写真は鏡池の湖畔に建つ周辺案内図。

f:id:owari-nagoya55:20210914061153j:plainここから眺める戸隠連峰はなかなか見ごたえがあり、紅葉の時期などは山々と周囲の紅葉が湖面に映りこみ絶景の写真スポットとして賑わうそうだ。
この鏡池は天然の湖ではなく人造湖
この写真の左側は人工的な堰堤が築かれています。
戸隠山を撮るなら堰堤側に進むと全景が入ると思いますが、そうしたところは人が集まります。
この日も山を撮影しようと結構な人がカメラを構えていました。

f:id:owari-nagoya55:20210914061210j:plain鏡池左側から見る戸隠連峰
尖った頂が続く山が西岳(標高2053㍍)で、左に見える標高1980㍍の第三峰から、標高1981㍍の第二峰、標高1989㍍第一峰と続き、中央の三角形のピークが標高2030㍍の本院岳で、そこから右に標高1900㍍の八方睨、同1904㍍の戸隠山、同1882㍍の九頭龍山と連なっています。

f:id:owari-nagoya55:20210914061227j:plain少し右に視線を移すと八方睨から戸隠山、九頭龍山が望める。
滞在中は今一つ快晴に恵まれなかったけれど、戸隠神社を参拝し、御神体戸隠山をこうして眺められれは幸運なのかもしれない。
朝や夕方はまた別の表情を見せてくれるのだろう。

この鏡池、正式には「西原温水溜池」といい、聞きなれない温水が付いています。
高冷地で水温の低い楠川の水は稲作には適さず、それを可能とするため、楠川源流のこの場所に堰堤を築き、一旦ここで流れを止め、水温を温めて田に引くことを目的とした人造湖
築堤されたのは意外に最近の事で1974年(昭和49)だという。
堤を写さなければ自然の造形に見えるが、築堤は稲作に適した水源の確保とこの絶景をもたらしてくれました。
周囲は散策路も整備され歩いて見たいところですが「クマ出没注意」はどうしても気になるところ。

f:id:owari-nagoya55:20210914061243j:plain戸隠神社御神体である戸隠山、昔から伝わる伝説に天の岩戸隠れの伝説があります。
天照大神が、弟神の素戔鳴尊の乱暴振りに堪忍袋の緒が切れて、天の岩屋へ籠ってしまった。
暗闇に閉ざされ困り果てた八百万の神々は、岩屋の前に集まり天照大神を岩屋から出てもらうための相談をする、天八意思兼命の提案で岩戸の前で鶏を沢山集めて鳴かせ、踊り上手な天鈿女命が舞を踊り、岩屋の中に籠ったままの天照大神の気を引き、岩戸をあけて外を覗いた時に天手力雄命が岩戸を開け放つこととした。
策は見事に成功し天照大神が岩戸を少し開け外を窺った時に、天手力雄命は一気に岩戸を下界に向かって投げたという、その岩戸が飛んで戸隠山にあたり、今の戸隠山になったのだという。
その立役者ともいえる天手力雄命を戸隠山の麓に祀ったのが戸隠神社奥社であり、策を提案した天八意思兼命を祀ったのが中社の始まり。
高千穂からここまで岩戸を飛ばすとは、天手力雄命はなんという怪力。
天照大神、なまめかしい踊りや外の騒ぎに釣られるとはなんとも人間味のある話だと思う。
戸隠山はそんな伝説から誕生した山だ。
その山の全貌を見るには、ここ鏡池が最適、風が無ければ湖面に写り込んだ戸隠山の姿も味がある。
時間に余裕があれば立ち寄ってみて損はない。

f:id:owari-nagoya55:20210914061300j:plain「どんぐりハウス」
樹々に包まれ、鏡池を眺められるやや高い場所に建つ。

f:id:owari-nagoya55:20210914061322j:plainガレットが自慢のようで「おすすめ!」や「大人気!」の文字が躍る。
先程蕎麦を食べて来たばかり、写真を見ていると食べたくなるがそんなに食べれるはずもなく。
今回は見送る事にした。

鏡池
所在地 / 長野県長野市戸隠
車アクセス / 上信越道長野ICより七曲経由、戸隠方面へ1時間10分、蕎麦処そばの実から約10分程
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夏から秋へ

つい先日まで暑い日が続いていましたが
 随分日暮れも早くなり、枯れ葉が舞い落ちる光景を見ると
秋の深まりを感じるようになってきました
 里山では僅かですが彼岸花も咲き始めました

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栗の樹を見上げれば
 重そうに立派な実を付けています
かみさんの言葉にも栗が良く出る様になってきた
 食欲の秋到来