「山崎川の桜」ひっそりと見頃を迎えました

気分も滅入る空模様が続いたここ数日、今日はすっきり晴れてくれました

f:id:owari-nagoya55:20200402202711j:plain夕方、石川橋から向田橋間の山崎川沿いの桜を見に行ってきました

例年であれば桜を目当てに多くの方が行き交うのだけれど

f:id:owari-nagoya55:20200402202737j:plain桜はせっかく綺麗に咲き誇っていても、周囲は寂しい限り

生憎の強風もあり、歩道には花弁も落ち始めています

山崎川の桜はひっそりと見頃を迎えています

2020/04/02

例年と変わらず桜は咲いている

今日から四月

普段の年なら春を告げる桜だよりが飛び交い花見で賑わい、会社の中では初々しい新人さんを見かける時期になりました


今年は状況がちと違う
毎日暗い情報ばかり、酒蔵開きも、ウオーキングイベント、歓迎会も悉く中止が相次ぐ、この状況を見ればそれは受け入れなければならない

とはいえ巣ごもりばかりでは気分も落ち込み、体も固まってくる
何を信用していいのか分からない、過剰な情報に身を置くより、気分転換に名古屋郊外へ車で出かけて見ました

f:id:owari-nagoya55:20200401092105j:plain野山にはタンポポも咲き誇り、春の訪れを告げている
野に咲く花はいつも通り何も変わらない、摘む人もいないのか土筆は伸び放題

f:id:owari-nagoya55:20200401092130j:plain 郊外の神社の桜も5分咲きとなり、間もなく一年で一番華やかな装いを見せる時期を迎えようとしています
八幡社 瀬戸市西本地町2丁目158

f:id:owari-nagoya55:20200401092159j:plain訪れる方もなく、ひっそりとした境内、愛でるものはいなくとも桜は咲いています

f:id:owari-nagoya55:20200401092224j:plain薄墨桜は風に吹かれ花を散らしはじめ、境内を淡いピンクに染めようとしています
宝生寺  瀬戸市駒前町171

f:id:owari-nagoya55:20200401092252j:plain高台の神社の境内
ここも訪れる参拝者はなく、境内に咲く桜はひっそりと咲き誇っています

f:id:owari-nagoya55:20200401092317j:plain高台から眺める里山は、随分と新芽の緑が目立つようになってきました
いつ落ち着くか見通しは立たないだけに、しばらくは車で郊外に出かける事にしよう
そこには自然との濃厚接触はあっても、COVID19は漂ってはいまい
ましてやマスクも不要だろうから、今年の春を見て感じてやろう

尾張えびす大黒社 瀬戸市東本地町3丁目177-3

取り敢えず、しとやかな桜の香りは感じられるようだ
2020/3/29    

播磨国一ノ宮「伊和神社」

兵庫県宍粟市一宮町須行名 播磨国一ノ宮「伊和神社」
名古屋を出たのが朝6:00、高速を乗り継ぎ、「道の駅播磨いちのみや」に到着したのがほぼ11:00。
はるばる良く来たねぇ。

f:id:owari-nagoya55:20200330222715j:plain 社頭の目の前を走る道路は国道29号線で古くから山陽地方(播磨)と山陰地方(因幡)を結ぶ主要な街道で因幡街道と呼ばれ、これを南下すれば姫路城です。
個人的に播磨と聞くと姫路城と播磨灘が思い浮かぶけれど、なして山深い盆地に一ノ宮が作られたものなのか?

f:id:owari-nagoya55:20200330222740j:plain国道と云っても、間もなく昼だというのに交通量は皆無、そうめんで知られる揖保川沿いの道筋も長閑な山村の様相。
車でも不便な場所、まして電車も通っていない、良くぞここに一ノ宮を建てたものだ。
このあたりは縄文、弥生時代の遺跡も残るように、古来より人は住んでいたようです。
古くから磐座信仰や山岳信仰が崇拝され、祀場として特別な場所だったのかもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20200330222759j:plain 道の駅播磨いちのみや、地元のB級グルメ「ホルモン焼うどん」はこちらでも提供しています。
参拝後にはこちらで頂きましたがプルプルの食感と焼き肉のたれ風の味付けは結構おいしいものでした。
道の駅の偵察を終え、参拝に向かいます。
道路を渡れば即社頭です。

f:id:owari-nagoya55:20200330222824j:plain 見事に伸びた杉木立の参道は昼でも陽光が届かない、静寂で厳粛な空間を醸し出しています。
参道は二つ、写真のこちらは東参道で西にも参道があります。

f:id:owari-nagoya55:20200330222855j:plain 長閑な山間地に鎮座する伊和神社は、播磨国風土記にも記され、神戸市に鎮座する海神社とたつの市に鎮座する粒坐天照神社とともに播磨三大社として崇敬を受ける神社。
社頭左の社号標「國幣中社 伊和神社」、国道沿いに長い玉垣と杉の杜が続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200330222923j:plain

注連縄鳥居をくぐり参道へ、その先の明神鳥居が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200330222952j:plain 鳥居が間近に見えてきます、4本の控柱を持つ両部鳥居の様です。
その先に随神門もあるようです、一ノ宮の威厳が漂います。
かみさんは既に視界から消えた、相変わらず早い。

f:id:owari-nagoya55:20200330223019j:plain 木造の両部鳥居に掲げられた扁額に「正一位伊和大明神」とある。

f:id:owari-nagoya55:20200330223042j:plain 両部鳥居から望む社頭、鳥居を支える4本の控柱がよく分かる。
好きな形の鳥居の一つです。

f:id:owari-nagoya55:20200330223120j:plain 両部鳥居を過ぎるとその先に随神門、杉木立からさす木漏れ陽に温もりを感じます。

f:id:owari-nagoya55:20200330223141j:plain 随神を収めて見たもののアクリルで覆われ写りは今一つ、露出とコントラストで漸く随神の姿と胸の五七の桐と16弁の菊花紋が現れてきました。
年代の解説がないのでわかりませんが、分かり次第ここに書き加えておきます。

f:id:owari-nagoya55:20200330223204j:plain 斜めから見る随神門の全景、参道はそこから左に曲がり社殿へと続きます。
巨大な幹の杉は見事。

f:id:owari-nagoya55:20200330223226j:plain 随神門の正面に略記が掲げられています。
以下は伊和神社御由緒略記より
「御祭神 大己貴神   配祀 少彦名神下照姫神
創祀 大己貴神は国土を開発し、産業を勧めて生活の道を開き、我は医薬り法を定めて、治療の術を教えるなどして、専ら人々の幸福と世の平和を図り給うた神であります。
大神は播磨國に特別の御恩恵を垂れ給い、播磨國内各地を御巡歴になって国造りの事業をされ、最後に伊和里(現在当神社のある地方)に至りまして、我が事業は終わった「おわ」と仰せられて鎮まりました。
ここに於て人々がその御神徳を慕い、社殿を営んで奉斎したのが当神社の創祀であります。
その御神徳により、古来、農業、工業、商業等産業の神、縁結びの神、福の神、病気平癒の神、又、交通安全の神として崇敬されております。
一説に、成務天皇甲申歳二月十一日丁卯(144)、或は欽明天皇二十五年甲申歳(564)の創祀とも伝えております。」

f:id:owari-nagoya55:20200330223251j:plain 左に進むと鬱蒼とした杜は開け、降り注ぐ陽光を受け照らし出された社殿とその手前に手水舎、手水鉢が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200330223315j:plain 手水舎、手水鉢。
龍の眼は光り輝き、威厳のある姿でこちらを見据えています、この鉢はなかなか面白いもので龍口の下には亀、鉢を支える足の部分は縁の下の力持ち達が支えています。

f:id:owari-nagoya55:20200330223339j:plain 入母屋造り平入で千鳥破風と唐破風の向拝が施された拝殿。
一ノ宮ということなので派手な金色の飾り金具が輝く着飾った姿を想像していたけれど、周囲の杜に溶け込むように佇む姿は、質素で素朴な親近感のある魅かれるものです。

f:id:owari-nagoya55:20200330223401j:plain 東から斜めに見た拝殿。
右手に寄り添うように聳える大きな杉は「夫婦杉」と呼ばれ、幹の周りは二本合わせると10㍍くらいか、見上げる高さは・・・・・首が疲れる。自然の力が漲っている。
この大杉の左に西参道へ続く石段があり、隋神門を経て市杵島・姫神社に続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200330223426j:plain 境内に入り右に入母屋瓦葺の恐らく神楽殿だと思います。
正面は吹き抜けとなっていて、平入の奥の壁には1910年(明治43)に作られ、その後の補修で取り外された「鬼」が掛けられています。現在の鬼に比べると随分シンプルなもの。

f:id:owari-nagoya55:20200330223453j:plain 左の建物は社務所から渡廊で繋がっていますがなんだろう?、正面は本殿と横並びで境内社が並んでいます。
因みに、拝殿右にも同様の境内社がありますが、現在修復作業中で見ることができませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200330223518j:plain 西側から幣殿、本殿方向の眺め。
妙に温もりを感じる神社、それは差し込む日差しだけのせいではなさそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200330223539j:plain 十六花弁の菊紋の入った神社幕が吊るされた拝殿を守護する狛犬
彼らのキャリアを物語るその風貌は、その長い年月で随分傷みも進み、垂れた耳であること、僅かに温和な表情をしている様に見て取れます。

f:id:owari-nagoya55:20200330223601j:plain 向拝から拝殿の眺め。
鮮やかな彩色が施されているわけでもなく、派手さは全くないけれど白木の木肌は彩色に劣らぬ美しさがあります。
向拝を見上げれば丁寧に彫られた龍と翼を広げた長い首の鳥の彫飾り、これは鶴だろうか。

f:id:owari-nagoya55:20200330223624j:plain 拝殿内は奉納絵馬が飾られている、奉納年は1849年(嘉永2)と随分古いものもあり、今も明瞭にその色彩は残っています。

f:id:owari-nagoya55:20200330223645j:plain 拝殿から幣殿の眺め、外観同様、木を生かした美しさが漂います。

f:id:owari-nagoya55:20200330223706j:plain 東側から見た入母屋妻入りの幣殿全景。
幣殿の正面に鶴の飾りが置かれています。

f:id:owari-nagoya55:20200330223729j:plain 幣殿扁額も木の質感を生かしたシンプルなもの。
巧みに組まれた木組みも美しい、木鼻には細かに彫られた獏も施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200330223758j:plain 阿形、吽形の狛犬が定番かもしれないけれどここには狛犬の姿は見られない。
上は拝殿左で空を見上げ鳴く姿の鶴。
下は拝殿右で田で餌を啄むような仕草の鶴が飾られている。

f:id:owari-nagoya55:20200330223822j:plain 本殿は入母屋平入で伽藍の中で唯一檜皮葺。
外研ぎの千木と5本の鰹木が施され、唯一の光物がここに施されています。
本殿に見入り気付きませんでしたが、本殿前はベージュ色の狛犬が守護していました。

f:id:owari-nagoya55:20200330223843j:plain 幣殿から渡廊で繋がる本殿、その前でお互いを見合う様に佇む狛犬、精一杯寄ってここまででしか寄れませんでした。
白い大きな牙と見開いた眼は見て取れますが、表情や素材が石なのか木なのかまでは分かりません。

f:id:owari-nagoya55:20200330223906j:plain 本殿左に境内社が纏められています。
こちらの神社は北を向いて建てられ、境内社も同様に北を向いて祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200330223927j:plain 境内左の「御霊殿」はこの地の豪族伊和恒郷を祀ります。 

f:id:owari-nagoya55:20200330223951j:plain 中央は「五柱社」、右から天照皇大神、国底立大神、宇賀魂大神、猿田彦大神須佐之男大神を祀ります。

f:id:owari-nagoya55:20200330224014j:plain 右が「播磨十六群神社 東八群」
右から飾西群神社、飾東群神社、加西群神社、加東群神社、卯南群神社、加古群神社、美嚢群神社、明石群神社。
本殿右は「播磨十六群神社 西東八郡」
多可郡神社、神東郡神社、神西郡神社、宍粟郡揖東郡神社、揖西郡神社、佐用郡神社、赤穂郡神社ということでしょう。補修工事で見れなかったは残念です。

f:id:owari-nagoya55:20200330224035j:plain 本殿後方に鶴石と書かれた案内板。
本来は本殿左右から後方に回り込むことができるようですが、工事もあり当日は左側から鶴石へ。
正に本殿の真後ろの石段下に玉垣で囲われた鶴石があります。

f:id:owari-nagoya55:20200330224056j:plain 中には一つの大きな石、鶴石と呼ばれ案内板には
「昔、大神 伊和恒郷に託宣あり、驚きて見るに一夜のうちに杉桧生い繁りて聖地をなし、空に鶴群れ舞い、その中大き二羽北向きて眠り居たり、その跡に神殿を造り奉斎せり、これ当社の起源なりと伝う、鶴の居た石を鶴石または降臨石という」
とある、このことから神社が北向きなのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20200330224119j:plain 拝殿で見かけた由緒書きと鶴石の解説。

f:id:owari-nagoya55:20200330224141j:plainなんだろう、この神社。
静かな杜に空に漂う白い雲、妙に時の流れがゆっくりに感じられる。
遠くから参拝に来て「まあゆっくりしていきなさい」そう語りかけているようにも思えます。
かみさんはとっくに御朱印を頂き、ささっと一廻りしたのだろう境内に姿はない。

f:id:owari-nagoya55:20200330224209j:plain 夫婦杉の左の石段を下ると随神を経て左に市杵島・姫神社があります。
この西参道にも行きたいが先の予定もあるのでここまでにするか。

f:id:owari-nagoya55:20200330224233j:plain 北参道に戻る途中で随神門から右側で見かけた二羽の鶴の像と乙女の泉で見かけた石像。
新しい物だろうが表情に魅かれ写真に収めて見ました。

f:id:owari-nagoya55:20200330224304j:plain 随分と待たせてしまった、既に随神門から社頭にかけてかみさんの姿はない。
ささっと戻らねば。
ゆっくりと訪れたい居心地のいい神社だ。

播磨国一ノ宮「伊和神社」
創建 / 144年(成務天皇14)とも564年(欽明天皇25)とも伝わる
主祭神 / 大己貴神
配祀 / 少彦名神下照姫神
本殿 / 入母屋
境内摂社 /  五柱社、市杵島・姫神社、播磨十六郡神社、御霊殿
住所  /    ​兵庫県宍粟市一宮町須行名407

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「神明社・八幡社 合殿(杉ノ宮」

名古屋市北区中杉町『杉ノ宮神社』

八王子春日神社が鎮座する北区清水の上街道から東へ5分程に鎮座する神社。

f:id:owari-nagoya55:20200328183455j:plain 上街道から少し外れると一方通行ばかりの狭い道が迷路のように続く、そこに密集して住居が立ち並ぶ。
大きな車でこちらを訪れようなどと間違っても思わない方がいいでしょう。
袋小路のような道の先に複数の白い幟と玉垣が見えてきます、そこが『杉ノ宮神社』です。

f:id:owari-nagoya55:20200328183517j:plain 広い境内ではないけれど、住宅が軒を連ねる一帯にあって社殿の建つこの空間は解放感を感じます。
高く伸びた御神木が杜を形作っています。
社地を取り囲むように奉納幟が立ち並び、多くの氏子の方々に親しまれていることが分かります。

手前に広い空間はありますが、こちらは参拝者駐車場ではないようです。
ここは自転車がいいのかも知れませんね。

f:id:owari-nagoya55:20200328183601j:plain 社頭の眺め。
狭い、手持ちのカメラで正面全景が入らない。
恰も鳥居のような立派な提灯櫓と右に五七の桐と橘の紋が飾られた社号標「神明社・八幡社 合殿(杉ノ宮」とある。
グーグル先生の杉ノ宮は正式な呼称ではないようです。
相殿(あいどの)は比較的目にする機会もあるけれど、これは合殿(あいでん)の呼称でいいのかな。
いずれにせよ、明治政府により推し進められた神社整理の影響を受けているのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20200328183623j:plain 提灯櫓から拝殿の眺め。
櫓で隠れていますが、鳥居とその先に蕃塀と拝殿、右が社務所
両脇に脇参道があり左奥にも鳥居が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200328183646j:plain 社頭からはこの蕃塀が拝殿方向の全容を遮断しています。

f:id:owari-nagoya55:20200328183708j:plainここにも五七の桐と橘の紋が彫られています。
神明社と八幡社が一つになっているので、双方の神紋が彫られているのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200328183728j:plain 蕃塀(1931年奉納)背面から社頭の眺め。
鳥居の右が手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20200328183747j:plainCOVID-19対策でしょうか、龍口から注がれる清水は止められ、鉢は蓋がされていました。

f:id:owari-nagoya55:20200328183809j:plain 切妻妻入拝殿の全景とそれを守護する色白の狛犬

f:id:owari-nagoya55:20200328183830j:plain 良く見かける色白くっきりタイプ。

f:id:owari-nagoya55:20200328183851j:plain 拝殿の扁額。
神紋の橘は八幡社で神明社が桐?

合殿なのでどちらかがもともとここに鎮座していた訳ですが、調べて見ると、元は1630年(寛永7)に神明社として創建されたもの。
その後、ここから少し西の現在の清水小学校があたりに鎮座していた八幡社がやってきたようです。

八幡社は1552年(天文10)と神明社より前に創建されたものですが、明治初期に各地に小学校を建立するにあたり、1872年に前段として久国寺境内で杉村仮義校が開設、翌年の小学校建立に伴い八幡社は神明社に移されたようです。
建立された小学校は戦時中の空襲で焼失、一時は神明社・八幡社の社務所で授業が行われたようです。
そうした事もあるからでしょう、小さな神社ですが地元の方から大切にされているのが分かります。
祭神は国常立尊、應神天皇

f:id:owari-nagoya55:20200328183914j:plain 扁額の下に設けられた鳩除け?の柵の奥から視線を感じる。
よく見れば、柵の奥には龍の彫飾りが施され、眼光鋭い眼差しでこちらを睨みつけている。

f:id:owari-nagoya55:20200328183937j:plain 参拝を済ませ、拝殿内を窺う。
妻入り拝殿は渡廊と平入の幣殿が一体となり奥行きのあるもの。
拝殿内に二つの彫飾りがあるようですが、何が彫られているのか詳細は分かりません。

f:id:owari-nagoya55:20200328183958j:plain 切妻で緩やかな弧を描く銅板葺の屋根の破風飾りなどに黄金色の飾り金具が施され、破風飾りには合殿と記され、鬼飾りは入口側が桐、渡廊側は橘の紋が入れられています。

f:id:owari-nagoya55:20200328184026j:plain

幣殿から本殿の眺め、外研ぎの千木に5本の鰹木が飾られています。本殿右にも社があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200328184052j:plain  幣殿前の狛犬は年季が入っているようです。
本殿域の社は神宮、熱田社、天神社、春日社、八劔社の様です。
額の右の透塀の柱に春日社と八劔社の名札も掲げられています。

f:id:owari-nagoya55:20200328184120j:plainこの流造の社に七柱が祀られているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200328184142j:plain 本殿神域の東側からの全景。
本殿全景は見えませんが棟持柱から神明造の本殿の様です。

f:id:owari-nagoya55:20200328184213j:plain 拝殿左側の脇参道にある鳥居へ向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200328184235j:plain 幣殿の吽形。
渡廊で相方は見られません、孤独に耐えられない者にこの任務は務まるまい。

f:id:owari-nagoya55:20200328184254j:plain 左の境内には社が二つ祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200328184314j:plain 唯一東を向いて祀られる杉ノ宮龍神社。
後方の幟をよく見れば、この一画は「杉ノ宮龍神」の幟に変わっています。

f:id:owari-nagoya55:20200328184334j:plain 正面の鳥居には熊野社、津島社、金毘羅社、秋葉社愛宕社、大日社の六社が一つの扁額に書かれ掲げられています。

f:id:owari-nagoya55:20200328184353j:plain 社全景、こちらは妻入りの社で、破風尻などに金色の飾り金具が施され、右の社に比較すると華やかなもの。

f:id:owari-nagoya55:20200328184416j:plain 境内西から拝殿側面の全景。
脇参道から見ると今更ですが幟の違いに気づきました。

戦時中の空襲で焼かれ、一時的とはいえこの境内で授業を受けた年代の方にとっては思い入れのある神社かも知れない。

2020/3/11
神明社・八幡社 合殿 (杉ノ宮)』
神明社創建 / 1630年(寛永7)
八幡社創建 / 1552年(天文10)
祭神 / 国常立尊、應神天皇
境内社 / 神宮、熱田社、天神社、春日社、八劔社、春日社、八劔社、杉ノ宮龍神、熊野社、津島社、金毘羅社、秋葉社愛宕社、大日社
住所 / 名古屋市北区中杉町1-18
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄名城線「志賀本通」下車南へ徒歩10分程

【白山神社】守山小幡の鎮守は古墳の上に鎮座する

名鉄瀬戸線瓢箪山」駅で下車。
瀬戸街道沿いに東の小幡駅方向へ歩く事5分程。

f:id:owari-nagoya55:20200327112338j:plain 市バス「小幡宮前」バス停、名前からしてお宮さんがあるぞと語っています。
分かりやすいネーミングだこと。

f:id:owari-nagoya55:20200327112403j:plainバス停のその先に小幡白山神社の看板が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112425j:plainそこから左に曲がれば住宅の立ち並ぶ参道の先に一の鳥居、その先にこんもり木々が生い茂った里山が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112450j:plainこの一帯の小幡ヶ原一帯は現在も古墳が点在し、古来より人が生活を営んできた場所、この杜のこんもり感は古墳のようにも見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112516j:plain 一ノ鳥居まで進むと前は開け、広い境内と左に保育園が視界に入ってきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112757j:plain 境内左にはこの地域の方で戦争により亡くなられ戦没者の慰霊碑が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200327112831j:plain 鳥居の右が手水舎と手水鉢、その奥の建物は社務所だろうか。

f:id:owari-nagoya55:20200327112901j:plain

 手水舎の左に補修時に降ろしたと思われる立派な鬼瓦が飾られています。

f:id:owari-nagoya55:20200327112930j:plainそこから奥を眺めると弁天池があり、柵で囲われた池を取り囲むように「小幡辨天宮」の赤い幟が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200327113005j:plain 池の中央の小島には、板宮造の辨天宮が瀬戸街道方向を向いて祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200327113030j:plain 弁天池左は山の斜面が迫っています、そこは複数の霊神碑が立ち並ぶ御嶽社。
左に階段があり、ここから拝殿に繋がっているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113058j:plain 斜面の最上部に御嶽大神の碑と右に摩利支天の碑が祀られています。
その先は視界が開け境内の様です。

f:id:owari-nagoya55:20200327113125j:plainニノ鳥居から拝殿の眺め。
小高い里山の鎮守の杜に包まれて佇む姿は一昔前は身近にあった光景です。

f:id:owari-nagoya55:20200327113219j:plain 鳥居両脇の略記と白山神社年中行事。
境内にはこうした案内板が建てられ管理の良さのみならず、地元の氏神を広く伝える意味で好感が持てる。

f:id:owari-nagoya55:20200327113248j:plain 石段を上り拝殿に向かいます。
石段を上りきり、三の鳥居の前では境内を守護する狛犬がお出迎えです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113314j:plain 目鼻立ちもくっきりし、化粧まで施された狛犬、苔の緑も化粧にマッチしている。

f:id:owari-nagoya55:20200327113344j:plain 山の頂にぽっかり広がる空間、そこに社殿は建っています。
素朴な拝殿と右は授与所だろうか?、その右には辨天社から続く脇参道がある。

f:id:owari-nagoya55:20200327113413j:plain 授与所の前に秋葉社の看板がありますが、社は本殿域に祀られていて見て取ることはできません。

f:id:owari-nagoya55:20200327113445j:plain 切妻、瓦葺の木造拝殿は落ち着いた佇まいです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113534j:plain

 拝殿を守護する狛犬は化粧気がありません。
赤系の御影石で彫られているのかな、温もりのある質感の素材です。

f:id:owari-nagoya55:20200327113720j:plain 拝殿から幣殿の眺め。
ふんだんに使われた木には温もりが伝わってきます。
小幡白山神社は約1400年前に遡る、この地に居住していた欽明天皇の皇子、小墾田王により創建されたと伝えられる、歴史のある神社。
祭神は伊邪那美命、火之迦具土命、菊理媛命天照大御神建御名方命を祀る。

略記には「東城にあった白山神社(村社)現在地にあった愛宕社、常燈にあった神明社、北屋敷にあった諏訪社とが、明治四十三年七月合祀されて現在の白山神社と称されることになりました。
当社はもと神饌幣帛料供進の指定村社でしたが、戦後社格制度が改って唯今は五等級社になりました。
五等級社とは戦前の県社級に相当します。
白山神社の社伝は詳ではありませんが姓氏録によりますと、欽明天皇の皇子小墾田王ゆうという方が此の地に居住せられ、王が創建されたものと言われ、今から約千四百年程前に当ります。
1.祭神 伊邪那美命、火具土命、菊理比売命、天照皇大神建御名方命
2.境内社 秋葉社、八幡社、山神社、弁天社
3.例祭日 十月十七日
4.御神徳 石川県の白山比咩神社のわかれで、生命の根源である水のことを司られ生む、生み出す、成功くくる(えんむすび)諸産業開拓、豊穣等のご神徳が著しくあります。
境内社の弁天宮は子授、安産にご霊徳が著しいです。」
とある。
元から白山神社として存在していた訳ではなく、そもそもは愛宕社だったようです。
そこに複数の神社が集合し1910年に白山神社に社名を変えたようです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113914j:plain 境内の左隅に東を向いて祀られた小さな山神社と山神碑。
ここは看板が欲しいところです。

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その右には仲睦まじく寄り添う道祖神も祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200327114155j:plain 拝殿左の脇参道に八幡社看板、社は本殿域に祀られています。
本殿は良く見えませんが神明造のように見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200327114225j:plain 八幡社全景、千木は内研ぎで5本の鰹木があしらわれている。

f:id:owari-nagoya55:20200327114255j:plain 拝殿の妻部分や軒下にはさり気なく金色の飾り金具が施されてています。
手水舎の横に飾られていた鬼瓦はここに飾られていたものでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200327114323j:plain 三ノ鳥居から参道の眺め、結構な高さを感じます。
白山神社境内には案内板はなかったように思いますが、この神社は南島古墳と呼ばれる墳丘の上に建てられています。
小幡周辺は小幡ケ原と呼ばれる台地が広がり、複数の古墳が存在します、小幡南島古墳は6紀前半の周濠を持った直径33m、高さ5mの円墳だそうです。発掘調査や出土品の有無は分かりませんでした。
こうした古墳の上に建つ神社は笠寺や味鋺などでも見かけることができます。

f:id:owari-nagoya55:20200327114352j:plainニノ鳥居の左側にこの辺りでよく見かける赤い社。

f:id:owari-nagoya55:20200327114415j:plain 神社の略記には書かれておらず、お札も確認できませんが、恐らく天王社ではないかと思われます。
白山神社の北側の小幡中にも天王社があり、何れも特徴のある赤で塗られています。

白山神社
それは古墳の上に作られた1400年の歴史を持つ、守山小幡の鎮守に相応しい神社だと思います。
創建 / 不明
祭神 / 伊邪那美命、火具土命、菊理比売命、天照皇大神建御名方命
本殿 / 神明造
境内社 / 秋葉社、八幡社、山神社、弁天社
住所 / 名古屋市守山区小幡中1丁目13-8
公共交通機関アクセス / ​名鉄瀬戸線「瓢箪山」駅下車、瀬戸街道沿いに東へ徒歩5分程

兵庫・岡山・香川・徳島一泊二日車中泊で一之宮巡り 3/24・25

名古屋発6:00
3/23~3/24兵庫県岡山県香川県徳島県の一ノ宮を車中泊で巡ってきました。
名古屋西ICを6:00に出発。
今回は全工程約1,000㌔の道中が予想されるだけに緊急車両のご機嫌がとても気がかり、内心心配している部分(アイドリング乱れ)を抱えながら、かみさんに悟られない様に平静を装い運転。

名古屋西IC発6:00
東名阪自動車道をひとっ走りして新名神高速道路へ。
平日で出勤時間に重なるので交通量が多少心配でしたが、意外に交通量は少なく順調。
本来なら観光バスが多く走る時間帯ですが、その姿は見かけない。

f:id:owari-nagoya55:20200326102742j:plain8時頃琵琶湖を望む大津SAに到着、展望デッキで比叡山の山並みを眺めながら朝マック
SAでも団体ツアー客の姿は皆無。
これほど閑散とした光景は見たことがない。

f:id:owari-nagoya55:20200326102822j:plain 中国自動車道に入り10時に葛西SAで二回目の休憩。
途中から自衛隊の車列について走っていたけれど、SAで一台の自衛隊車両の横に駐車。
休憩を終え戻ってくるとこんな感じ、我家の旧車は迷彩車両の中に佇んでいた。
かみさんに「どこでも行けてこの車は良いよ!」妙に喜んでいるおやじに、「何がいいのか分からない」と冷たい一言。
迷彩車両とお別れして再び本線へ。車は制限速度+5㌔で巡航走行、快調に走ってくれている。
燃費も高速を走る分には好調、liter10㌔は行きそうだ。
最初の目的地は播磨国一ノ宮 「伊和神社」を目指す。

f:id:owari-nagoya55:20200326102903j:plain 播磨国一ノ宮「伊和神社」到着は11時頃。
社頭向かえにある道の駅「播磨いちのみや」に車を停め参拝に向かう。
厳粛な雰囲気の漂う杜に包まれる伊和神社。参道は奥へと続く。

f:id:owari-nagoya55:20200326102929j:plain 鳥居と山門をくぐり、参道は左に続きます、その先に陽射しに照らされた社殿が現れます。

社殿は北を向いて建てられていて、本殿裏に「鶴石」と云われる石が祀られています。
この地の豪族・伊和恒郷に大己貴神から「我を祀れ」との神託があり、一夜にして木々が生い茂り、大きな2羽の白鶴が石の上で北向きに眠っていたそうです、恒郷はその場所に社殿を造営したとされます。
社殿が北向きなのはそうした事からだそうで、幣殿両脇には鶴の像が飾られています。

播磨国一ノ宮「伊和神社
創建 / 144年(成務天皇14)とも564年(欽明天皇25)とも伝わる
主祭神 / 大己貴神
配祀 / 少彦名神下照姫神
本殿 / 入母屋
境内摂社 /  五柱社、市杵島姫命播磨十六郡神社、御霊殿
住所  /    兵庫県宍粟市一宮町須行名407

f:id:owari-nagoya55:20200326103002j:plain参拝を終え道の駅で遅い昼ご飯、地元のグルメ「ホルモン焼うどん」「ホルモン焼うそば」を食べる。
この辺りでは知られたB級グルメらしい、かみさんは甘辛い味付けのプルプルで柔らかいホルモン焼うどんに大満足。
「え~?」と思いながら焼きそばを注文した、これが意外に美味しい、肉は臭みもなく、柔らかく食べやすかった。
2011年B級グランプリではシルバーグランプリを受賞したそうです。
地元のグルメでお腹を満たし二番目の目的地「石上布都魂神社」に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200326103036j:plain 約1時間ほど山道を走ると備前国一ノ宮「石上布都魂神社」社頭に到着、時間は14時15分。
近年造られたばかりの真新しい鳥居、その脇の細い車道を車で進みます、道は細いままま登りとなり、林道の様相になります。
やがて道路脇の駐車場に到着、そこから山肌に付けられた山道を5分程歩いて登ります。

f:id:owari-nagoya55:20200326103102j:plain5分程山道を登り、境内が近づくと道は石段に変わり、見上げるような斜面に手水舎が現れます。
手水舎の横にある最後の石段を登り切ると境内が広がります。
備前国一ノ宮「石上布都魂神社」は山の中腹に建つこぢんまりとした社殿です。

拝殿左から大松山山頂の本宮に続く山道が伸びています。
そこには以前は拝殿、幣殿、本殿、神楽殿など建っていたが焼失、現在は本宮の小さな社と磐座があります。
徒歩で約10分程ですがヒールでは登らない方が賢明でしょう。
素盞嗚尊の八岐大蛇退治の伝承があり、明治に行われた発掘調査でその時に使われた十束剣と思われる赤錆びた剣が出土した。

備前国一ノ宮「石上布都魂神社」
創建 / 不明
祭神 / 素盞嗚尊
本殿 / 流造
境内社 / 稲荷神社、拝殿右脇に小社
住所 / 岡山県赤磐市石上字風呂谷1448

食後の腹ごなしはこちらでしっかり終え、再び車に乗り込みここから高速を経由し一時間程走り
備前国一ノ宮「吉備津彦神社」へ。

f:id:owari-nagoya55:20200326103130j:plain 備前国一ノ宮 「吉備津彦神社」へ15時45分に到着。
吉備の中山の北東の麓に鎮座する広い境内を持つ神社です。
別名を「朝日の宮」とも云われ、夏至の日に正面鳥居から祭文殿の鏡に陽光が当たる様に巧みに計算された伽藍となっているそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200326103156j:plainここは桃太郎伝説のモデルとも云われる大吉備津彦命を祀ります。
境内には桃太郎のお供猿(楽々森彦命)、キジ(留玉臣命)、犬(犬飼武命)、浦島太郎の中で鬼を演じた温羅を祀る温羅神社など桃太郎の出演者が勢ぞろい。
広い境内の右端には作家の中山森造氏の手による桃太郎と家来のセメント像が東を向いて立っています。
後方の御神体中山の裏には桃太郎伝説を伝えるもう一つの神社、吉備津神社があります。

備前国一ノ宮「吉備津彦神社」
創建 / 不明
祭神 / 大吉備津彦命
本殿 / 流造
境内社 / 子安神社、天満宮霧島神社、亀島神社、稲荷神社、十柱神社、牛馬神社、温羅神社、祖霊社、七つの末社など
住所 / 岡山県岡山市北区一宮1043

それではもう一つの浦島伝説を伝える吉備津神社に向かいます。
この時点で16:20

f:id:owari-nagoya55:20200326103225j:plain
吉備津彦神社から車で5分を走り、中山の西の麓に回り込むと備中国一ノ宮「吉備津神社」到着です。
二つの国の一ノ宮が中山を境に背中合わせで鎮座している形になります。
置石の右から続く緩やかな石段、その先に赤い髄神門が見えています。
こちらの見所は個性的で美しい本殿とそこから鳴釜神事の行われるお釜殿に続く廻廊ではないでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200326103258j:plain 髄神門をくぐり、目の前に広がる境内建つ個性的な社殿。
本殿・拝殿(国宝)は1425年(応永32)に再建されたもので、特徴的な屋根構造は「比翼入母屋造」と云われる様式。他に類を見ない造から吉備津造とも呼ばれるそうです。
複雑な屋根構造ですが側面から見る姿は優美な佇まいをしています。

備中国一ノ宮「吉備津神社
創建 / 不明
祭神 / 大吉備津彦命
本殿 / 吉備津造
境内社 / 一童社、若山宮、えびす宮、祖霊社、水子慰霊社、三社宮、本宮社、滝祭神社、宇賀神社
住所 / 岡山県岡山市北区吉備津931

おかま殿はコロナ対策の為開場・御朱印は16時まででした。
それが事前に分かっていれば・・・・・先に両社の御朱印を頂きゆっくり巡る手もあったのでしょうが
残念ながら備中国一ノ宮の御朱印は取りこぼしてしまいました。
その要因はまたしてもおやじにあるようです。
17:20気を取り直して吉備津神社を後に、瀬戸中央自動車道に乗っていよいよ本州を後にします。

f:id:owari-nagoya55:20200326103324j:plain18時過ぎ瀬戸大橋の手前で丁度夕陽が落ちるところ、随分と陽は長くなってきたものです。
車を与島PAに寄り道し夕陽を眺めていく事に。
瀬戸大橋も夕陽を受け淡く赤に色付いてきました。

f:id:owari-nagoya55:20200326103348j:plain 与島PAの展望台から本島に沈む夕陽の眺め。
長い道のりの疲れも忘れさせてくれる。
これが展望露天風呂から一杯やりながらの眺めであれば最高なんだが、今回は車中泊、暗くなるまでに目的地に着けるかな?

f:id:owari-nagoya55:20200326103418j:plainさて慌てることなく本線に戻り四国に渡ろう。
目指すは香川県綾歌郡宇多津町浜一番の道の駅「うたづ臨海公園」

f:id:owari-nagoya55:20200326103505j:plain19:10目的地道の駅「うたづ臨海公園」到着、既に暗闇です。
コロナの影響で新規オープンを見合わせている四国水族館に隣接する道の駅です。
今回は寝る準備は遮光カーテンを閉めるだけだ、エアベッドはやめて後席は全てフラットにして敷布団を敷いてあります。寝袋出して寝るだけです。

f:id:owari-nagoya55:20200326103531j:plain 近くの海鮮酒場で晩御飯、というより酒盛りか?
今回は本当に運転時間が長く疲れました、かみさんもグーグルさんを相手に気を使ったことでしょう、また旧車もよく頑張ってくれた、最初はビールでお疲れさんの乾杯です。

落ち着いた店内では瀬戸内の鯛やアジを主にした刺し盛りは新鮮そのもの、やはり酒が刺身には酒、純米酒金陵に決め飲み進む、フルーティーな香りと爽やかな喉越しはなかなかのもの、かみさんも好印象でした。
刺し盛りのアジは骨せんべいにしてくれます、あげ加減が絶妙でこれがお酒のお供に絶品、魚嫌いなかみさんにして美味しいを連発
それにしてもこれだけ美味しいお店なのに店内の客はやはり少ない、日本全体疲弊してる感が漂っている。
元気は取り戻せるのだろうか?

「回遊」
住所 / 香川県綾歌郡宇多津町浜一番丁6-21

車に戻りTVを見るもどれもこれもcovid-19ばかり、寝る。

f:id:owari-nagoya55:20200326103611j:plain 翌日、いつものように陽の出と共に目覚め、一人散策。
新しい道の駅らしく花も綺麗に植えられチューリップが咲き誇っています。
遠距離から車中泊組も多数見られました。
正面の建物は結婚式場。
さてかみさんも目覚め身支度を整え終えたようなので朝ごはん。

f:id:owari-nagoya55:20200326103659j:plain 香川の朝食は「讃岐うどん
朝からうどんです、喫茶店のように早朝から営業しています。
出汁、麺の好みにより人気店は星の数ほどあるようです、素人の私達は口コミで決めるしかない。
そんな中で選択したのが「讃岐うどん がもう」
郊外にある「がもう」へ7:30に到着、朝8:30の開店なのに既に一人の方が店の前で待っている。
他に車の中に一人、我が家は3番手。
まだ1時間あるので一人で長閑な田園風景にある寺社を探して歩く。
戻ってくれば広い駐車場は地元や他府県ナンバーの車で溢れ、店前には行列が。
念願の本場讃岐のうどん、感想はイメージした程に腰は強くなかった事、出汁は上品で名古屋人から見ると薄味。これも幅広い個性の中の一つなのでしょう。
常連さんはかけの小をペロッと食べて次に向かう、これが流儀の様だ。

f:id:owari-nagoya55:20200326103845j:plain 本場の讃岐うどんを堪能し二日目最初の訪問地を目指し高松道を東進。

f:id:owari-nagoya55:20200326103909j:plain9:00讃岐国一ノ宮 「田村神社」の参道に到着。
真っすぐに伸びるとても長い参道を持つ神社で、社頭から眺める参道は随神門は見通せるけれど、この鳥居や拝殿は見えない。
拝殿近くに参拝駐車場があるけれど、一旦社頭に戻りここに辿り着く。
いかにも古くからここに鎮座する神社の趣を感じさせるものがあります。

f:id:owari-nagoya55:20200326103952j:plain 水神信仰を基盤とした神社で一帯が湧水地、奥殿は淵の上に建てられている、それを象徴するかのように境内には巨大な龍のモニュメントが祀られている。
正面の拝殿と右に宇都伎社、素婆倶羅社、一宮天満宮が主要な伽藍。
境内には稲荷社、弁財天、お迎え布袋、桃太郎伝説の碑、七福神巡りなどお賽銭が足りなくなる程のお参り個所が多数あり、全て見て行くと結構時間が必要。
何か不思議な空間が漂う神社でした。

讃岐国一ノ宮 「田村神社
創建 / 709年(和銅2)
祭神 / 倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命、猿田彦大神、天隠山命、天五田根命の五柱
本殿 / 春日造
宇都伎社
祭神 / 大地主神、倉稲魂神
素婆倶羅社
祭神 / 少彦名神
一宮天満宮
祭神 / 菅原道真

住所 / 香川県高松市一宮町字宮東286

10時を少し過ぎて一通り参拝を終え再び高松道を東進し次の目的地の阿波一ノ宮「大麻比呂神社」へは1時間ほどの道のり。

f:id:owari-nagoya55:20200326104049j:plain11時15分「大麻比呂神社」大鳥居に到着。
駐車場を探すも社頭周辺にはなく、やむなく車で参道を進むが一向に表れない、これほど参道が長いと大鳥居までは戻りたくないので、一旦大鳥居まで引き返し、大鳥居を撮影し駐車場を求め参道を進む。
参道を横切る坂東谷川に架かる祓川橋の袂の駐車場までは結局800㍍程あり、橋から先も更に参道が続きます。これは今日一番の長い参道を持つ神社です。

f:id:owari-nagoya55:20200326104140j:plain 橋を渡ると天然記念物の巨大な幹の楠木が参道の中央に聳え立ち、その先に漸く社殿が広がります。
本殿後方に境内は伸び、奥にはドイツ橋と呼ばれる第一次世界大戦で捕虜となったドイツ人により作られた橋や眼鏡橋がある。

阿波一ノ宮 「大麻比呂神社」
創建 / 神武天皇年間(伝)
祭神 / 大麻比古神
本殿 / 流造
境内社 / 西宮社、水神社、中宮社、山神社、豊受社、丸山稲荷社、丸山社
住所 / 徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13

巨大な楠の樹と長い参道が印象に残る落ち着いた佇まいの神社。
ここでもスルーしながら参拝し1時間を超えてしまいました。
12:30大麻比呂神社の長い参道を走り再び東進する、ここでかみさんからのスケジュール変更「徳島ラーメンで昼ご飯の予定を見送り渦潮を見に行こう」との事。
この日は大潮でこの時間から渦の道を目指せばいい条件で見られるらしい。
四国初めて、渦潮初めての彼女の意向を尊重し高松自動車道神戸淡路鳴門自動車道を乗り継ぎ約30分の工程です。

f:id:owari-nagoya55:20200326104245j:plain 鳴門第一駐車場に到着したのが13:00。
そこから大鳴門橋の下に作られた歩廊を歩き展望室まで向かいます。
高速を行き交う車の振動が伝わる歩廊を進む、川のように流れる鳴門海峡です。

f:id:owari-nagoya55:20200326104342j:plainガラス張りの床や窓から眺める初めての渦潮は、できては消えを繰り返すもの。
巨大な渦が巻いている光景を思い浮かべていた彼女は多少イメージとは違っていたようですが自然が作る壮大な現象を楽しみ13:50渦の道を後にしました。
最終目的地の淡路國一ノ宮「伊弉諾神宮」までは約一時間の移動時間です。

f:id:owari-nagoya55:20200326105619j:plain15時頃伊弉諾神宮社頭に到着。
ここに来るまでの県道88号線沿いには、随分長い距離で常夜灯が立ち並び社頭まで案内してくれました。
昼ご飯も食べていなかったので社頭の前のカツ丼屋で遅い昼ご飯。
ボリュームがありながら柔らかく美味しいポークかつ丼、690円の安さに多少驚く。
さて腹ごなしの参拝です、社頭から一ノ鳥居とニノ鳥居の中間あたりによく見るとやたらと背の高い人物が視界に入る。なんと馬に乗り参道を闊歩する光景に出くわす。
意外に歩きは早く歩行者信号が変わったころには既に姿はなかった。なんとワイルドな事。

f:id:owari-nagoya55:20200326105656j:plain 「伊弉諾神宮」は古事記日本書紀にも登場する、国生み神話の発祥の地、最初にここが陸地となり日本となった、そうした意味合いから日本でもっとも古い神社とも言われる。
境内の岩楠神社の前には樹齢900年を超える見事な「夫婦楠」がある。
面白いものでは頭髪感謝之碑と呼ばれる、先端はつるつるで黒光りした丸い石碑がある。
本殿の檜皮葺は随分と傷みが進み、国生みの神を祀る日本最古の神社として痛々しい姿、補修の手が入る事を願わざるを得ない。

淡路國一ノ宮「伊弉諾神宮」
創建 / 神代の時代に創祀と伝わる
祭神 / 伊弉諾尊伊弉冉尊
本殿 / 流造
境内社 / 根神社、竈神社、鹿島神社住吉神社、岩楠神社
住所 / 兵庫県淡路市多賀740

今回の一ノ宮巡りもこちらで終了です。
ここからは帰途に着くことにします、時間は16時になろうとしています。

f:id:owari-nagoya55:20200326105738j:plain 今回こちらで買ってきたお酒は「三笑」と「奥播磨」の2種類。
利き酒は出来ないので飲んでからの感想になりますが、その時が楽しみです。


帰りの高速もゆっくり走って名古屋到着は19:45。
走行距離は920㌔、燃料は100リッター弱、重量級の旧車にしてはよく頑張ってくれた燃費です。

それにしても帰りの高速も全く渋滞はなく、走っているのは物流のトラックばかり、定速走行が得意な彼らの列に加わり流れに乗る、とてつもなくストレスのない快適なドライブができました。
途中では追い越し車線を快調に走りっぱなしの車が何台か取り締まりに遭っていました。

御朱印が頂けなかった所は残念ですが次の課題として取っておきます。
これから写真も整理しないとね、それにしても久しぶりのロングドライブは疲れました。

今回の走行ルート

『大聖山 安栄寺』

兒子八幡社から上街道沿いに北に歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20200321200708j:plain 玉垣が途切れたらそこが『曹洞宗 大聖山 安栄寺』
兒子八幡社の北隣に位置します。

f:id:owari-nagoya55:20200321200754j:plain 安栄寺山門
随分の年月を経た「不動明王」と彫られた一対の常夜灯に目が行きます。

f:id:owari-nagoya55:20200321200823j:plain 竿には「キヨス本町 柴山藤蔵」と彫られています。
1865年(元治2)に寄進されたもので、この柴山藤蔵という方、1792年(寛政4)に愛知県清須市で生を受け、質屋・油屋を生業とし、米屋や酒造業も創業し現在の清須桜醸造の基礎を築いた方らしい。

南隣の『兒子八幡社』には伊藤萬蔵が寄進した狛犬がありましたが、柴山藤蔵も多くの寺社にこうした常夜灯を寄贈した事で知られるようです。
それらには「キヨス本町 柴山藤蔵」と彫られていて、色々なところで彼の寄贈した常夜灯を見ることができます。

f:id:owari-nagoya55:20200321200849j:plain 山門右に水埜重咲居士碑。
人物像はよく分からないが、山門脇にこれだけの碑があるのだから安栄寺に深く関わりのある方なのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20200321200914j:plain 山門前の右に「曹洞宗安栄寺」の寺号標。
石畳が敷かれ真っすぐに境内に続いています。

f:id:owari-nagoya55:20200321200939j:plain 山門から境内の眺め、右に本堂。

f:id:owari-nagoya55:20200321201005j:plain 山門左は見上げる位置に『兒子八幡社』の本殿が間近に迫っています。
ここから見ると本殿の千木、鰹木が良く見渡せます。

f:id:owari-nagoya55:20200321201032j:plain 山門をくぐり境内へ。
真っすぐに続く石畳は右に続き、庫裏、本堂へと続いています。
芝生の境内には多くの庭石が配されています。

f:id:owari-nagoya55:20200321201056j:plainこうした庭石が目に付きます、奥には七体の地蔵と石碑が見られます。

f:id:owari-nagoya55:20200321201122j:plainお地蔵様の表情は風化により窺い知ることすらできません、中央の石碑にも何か彫られているのですが読み取れません。

f:id:owari-nagoya55:20200321201150j:plainお地蔵様の先に綺麗な御影石の祠。
右には名古屋市教育委員会の解説板があり「安永寺六地蔵石仏」とあり、それによれば「室町時代の紀年のある、県内では最も古い石仏」とあります。

f:id:owari-nagoya55:20200321201215j:plain 僅かな隙間から内部を覗かせてもらう。
内部には高さが約40㌢程、幅は約30㌢程の薄茶色の砂岩質の板があり、そこには上下二段に三体ずつお地蔵様が彫られています。
表情は既に消え失せ、浮彫のシルエットのみですが、素朴な姿は庶民には身近な崇拝対象だったと事でしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200321201242j:plainもともとは志賀公園北東の共同墓地にあったもので、解説によれば「像の右に「尾州山田庄志賀郷」、左には大永7年(1527)と刻まれている」とある。

f:id:owari-nagoya55:20200321201313j:plain 六地蔵の先にも大きな石碑が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200321201336j:plain 芝生の上に舞い落ちた椿の花弁、見頃を終えても鮮やかな色はそのままです。

この寺の境内に石が目に付くのは、その昔この地に住む百姓で珍しい石を拾ってきては磨き上げ、それをコレクションに加え愛でる事を何より楽しみにしていた百姓源吉がいたそうです。

源吉が収集し手をかけた石はやがて噂となり買取の希望があったそうですが、彼は死ぬまで手放す事はなかったそうです。源吉の意を引き継いだ女房の菊もまた同様だったそうです。

しかしそれも孫の代に全て売られ、源吉が丹精込めて磨いた石は一つも残らなかったそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200321201402j:plain 本堂の右に金牛岡と刻まれた丸い石碑があります。
この石碑は私利私欲に走ることなく、好きなことに没頭する「志賀の源吉」の姿を見て、そんな彼を慕う有志により建てられ石碑だという。

f:id:owari-nagoya55:20200321201427j:plain 安栄寺本堂。
入母屋瓦葺で白壁に木の色が浮き立ち、いかにも寺の外観そのもの。

f:id:owari-nagoya55:20200321201453j:plain安栄寺は大須万松寺の末寺で名古屋城の鬼門除けとして1614年(慶長19)に建立されたもので、城内から大聖不動明王が移されたという。
門前の柴山藤蔵が寄贈した常夜灯に刻まれた不動明王はそれを指しているのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20200321201520j:plainシックな外観に浮き立つことなくさり気無く要所要所に彫が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200321201544j:plain 木鼻には獅子と獏が施され、白壁に施された火灯窓が印象に残ります。
近年再建されたような趣です。
山門前の寺号標に「本堂再建落慶記念」とあったので、帰りに年号を見ようと思いながら見忘れました。
最近忘れ物が多くなってきました。

f:id:owari-nagoya55:20200321201612j:plainストーンコレクターの「志賀の源吉」とそれを優しく見守り続けた女房の菊、素朴な姿の六地蔵
安栄寺には何か温かいものを感じます。

2020/3/18
曹洞宗 大聖山 安栄寺
宗派 / 曹洞宗
山号 / 大聖山
創建 / 1614年(慶長19)
本尊 / 釈迦如来
住所 / 名古屋市北区志賀町1-67
公共機関アクセス /  市営地下鉄名城線「志賀本通」下車西へ10分程
経王大菩薩⇒兒子八幡社から安栄寺のアクセス / ​上街道を北上、徒歩1分