迫 磯崎神社から引き返し迫八反田交差点を右折、国道を150㍍程進んだ緩い上り坂の右側に雑木林の中に今回の目的地「津島神社・二十三夜塔」が鎮座します
所在地では豊田市迫町石田となります
写真は国道から迫八反田交差点方向の眺め、目的地は左側の斜面を登り切った先になります
国道沿いには駐車余地がありません
私は迫 磯崎神社に車を置き、田んぼの中を10分程歩いて訪れました
歩道から見る津島神社に続く小路
鳥居や社標がないのでこの小路を目印にするしかない
歩道から少し上れば樹々が伐採された小高い丘になり、左奥に神社が鎮座します
津島神社・二十三夜塔鎮座地全景
左が津島神社の覆屋で少し離れた右側に二十三夜塔が立てられています
迫町石田の津島神社には創建や由緒を記した掲示物はありません
愛知県神社庁にもその詳細は存在せず、過去の地図にもここに鳥居の印を見付けることはできません
したがって、具体的な事柄は何一つ分からない状況です
ただし、過去に遡ることができる唯一の手がかりは、覆屋の前に立てられている平成15年(2003)に奉納された幟立てぐらいで、これが創建時期とは言えないだろう
次を担う土地の子が好奇心から訪れる事もあるだろう
そうした世代が見て、神社が祀られた経緯や歴史が分かるようになっていると、肝試し的な対象ではなく、身近な存在として感じられるのだろう
社殿全景、今も人が訪れているようです
祭神は素戔嗚尊だと思われます
覆屋の軒下に「津島神社」と記された素木の額が掛けられている
左が二十三夜塔
月待ち講は特定の月齢の日に信者が集まり、飲食や会話を交えながらお経を唱え、悪疫退散を願う自然崇拝の一種で、旧暦の二十三夜塔以外にも十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などあり、講を通じてお互いのコミュニケーションを深める役割も果たしている
昭和の時代でも地域住民のコミュニケーションを図る助け合い「隣組」などあり、冠婚葬祭時には地域で支え合う習慣が存在していました
しかし、それらも近隣との付き合いが希薄となった都市部では、ほぼ姿を消してしまったのではないだろうか
こうしたコミュニティは地方や田舎では今も存在している場所もあります
右の石碑は文字が刻まれているが読み取れなかった
小高い丘にひっそり佇む津島神社・二十三夜塔を眺める
神社に続くなだらかな尾根
適度に雑木が伐採されているので、社地には陽光も差し込み歩きやすい
歩道から上り切った先から国道419号線方向の眺め
樹々が芽吹いたとしても歩道からこの参道は分かりやすいかもしれない
津島神社・二十三夜塔
創建 / 不明
祭神 / 不明
所在地 / 豊田市迫町石田692
迫 磯崎神社から車アクセス / 国道419号線を右折し150㍍ほど先の右側、移動時間約2分程
(駐車余地なし)
参拝日 / 2024/04/06
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