迫町 磯崎神社
猿投山東麗の豊田市迫町下切に位置し、金剛寺からだと県道350号線を南下し飯野町の交差点を右折、迫八反田交差点を右折、道なりに直進した右側に社頭が現れます
古くは高橋荘深見郷(西中山、上渡合、深見、田茂平、迫、飯野、北一色、石飛、折平、北曽木、西市野々)に属していた古くからの集落迫(さこ)に鎮座する神社
写真は車道から見た社頭
車は社頭の先を右に入った境内に駐車できます
磯崎神社社頭全景
一対の常夜灯と鳥居、右側の赤い屋根の建物が迫の農村舞台
車道から境内の眺め
石段右に社標と農村舞台、正面の石段を上った先が社殿
石段右の解説
「十四等級 磯崎神社 旧村社
鎮座地 豊田市迫町下切237番地
祭神 大己貴命、少彦名命
由緒
社伝に、元亀元年(1570)、猿投大明神 東宮の本地仏薬師如来を祀るとあります
年の変遷により産土神と崇め奉られました
明治の制度改めにより廃却となり、社殿を造営し常陸国大洗磯前 酒列磯前神社にならい、磯崎神社と改号
明治8年(1875)11月、村社に列格
例祭日 10月第2日曜日
社殿 本殿 折屋根造 0.22坪、覆殿 2.25坪、拝殿 4坪、舞殿 17.5坪
特殊神事 (神賑行事)飾献馬、棒の手、火縄銃、御輿、餅投、お囃
境内坪数 233坪 藤岡観光協会」
因みに大正15年発行の西加茂郡誌に迫磯崎神社として記述が残っていたが解説程の内容ではなかった
併せて愛知県神社庁を見てみたが祭神・例祭のみの記載でした
鳥居から社叢の眺め
鳥居扁額は「磯崎神社」
酒列磯前神社は茨城県ひたちなか市に鎮座する古社です
そこから遠く離れた猿投山の麓の迫地区とすぐ隣の深見地区に同じ磯崎神社が祀られたのか興味深い
農村舞台
豊作祈願や神事の余興として農村歌舞伎などが演じられ、楽しみの少ない村々の住民とって、唯一の娯楽の場として造られた
現在、藤岡地内に残る農村舞台は9棟ほどに減少し、農村歌舞伎の後継者難などから農村舞台は姿を消しつつある
この迫地区の農村舞台も農村歌舞伎の継承が途切れてしまい、現在は舞台だけが残る
藤岡地区の案内によれば、この舞台は明治24年(1891)に建築されたもののようです
外観は入母屋造で平側6間、妻側4間の茅葺屋根を鋼板で覆ったもの
正面から見る舞台は、隅柱に1本の長い梁を渡し、間に柱を入れる事無く屋根を支え、広い間口が造られています
一本ものの無垢の太い梁が大きな屋根を支えている
隅柱から舞台の眺め
久しく使われていないのを裏付けるように床板は光沢を失っています
小屋組 縦横に組まれた竹と露わになった萱は、造形美の美しさすら感じられます
しかし、現代では萱の調達や葺き替えも難しくなり、こうした光景も見る機会がなくなってきました
境内左に棒の手顕彰碑
地元の方から声掛けを頂き、少しお話を聞いたなかで、現在は「歌舞伎は行われておらず、祭礼の日に棒の手と火縄銃の空打ちの披露」が行われていると云う事
「ここから少し南の深見地区に鎮座する磯崎神社の農村舞台は、回り舞台もあり今も現役」と教えて頂いた
かつては住民が集い農村歌舞伎を楽しんだこの境内
今では広々とした空間に感じられます
深見地区の農村舞台は田畑の先に見える森の南側、車で5分程の深見 磯崎神社境内にあります
石段の前から社殿全景の眺め、石段左の石碑は殉国戦士之碑
石段で守護する一対の狛犬と拝殿
迫 磯崎神社の狛犬(寄進年未確認)
拝殿と本殿覆屋の眺め
覆屋後方に見える建物は薬師堂 瓦葺の四方吹き抜けの妻入り拝殿で、拝殿内に「大洗磯前神社」の額が掛けられています
拝殿から本殿の眺め
よく見れば拝殿奥の隅柱に祭神名が記されていました
左の隅柱に「迫大磯神社相殿 秋葉大神」、右の隅柱には「「迫大磯神社相殿 津島大神」とある
覆屋の柱にも由緒が書かれた板が張られていましたが、最初の書き出しから先は板の表面が剥落して内容が分からなくなっていました
拝殿左の境内社6社を収める覆屋
右から
神明社 祭神 天照大御神 日本の守護神
御鍬社 祭神 豊宇気毘売神 衣食住の守護神
稲荷神 祭神 宇賀之御魂神 稲作物、食料、商売の守護神
右から
天神社 祭神 管原道真公 学問の神
金毘羅社 祭神 大物主命 福徳円満、航海安全
洲原社 祭神 白山姫命 暮らし、各種円満
迫 磯崎神社社殿全景
大棟には鯱、軒先の飾り瓦に獅子と牡丹?が飾られています
なんだか神仏習合の名残が漂う光景です
後方の薬師堂と迫 磯崎神社社殿全景
無理に神仏分離した様にも見えず、薬師堂と神社が自然に鎮座しています
薬師堂と書いていますが、現地にそれを示す掲示物はなく詳細は不明、鬼瓦に薬師の文字が入っているため薬師堂としています
入母屋瓦葺の妻入りの堂は向拝や手挟に細かな彫が施されています
薬師堂のシックな妻壁と向拝の装飾
向拝の装飾
宝珠を掴んだ龍の姿と鰐口の前の梁には錫杖のような彫が施されています
額には「醫王閣」とある、醫王は薬師如来の異称、薬師如来を祀る建物ということだろう
手挟の彫飾りと木鼻の獏と獅子
機械加工が発達した現在、手挟に施されたような彫や更に緻密に彫られた透彫りなどは今も職人の手仕事しか作れないもの…と思いたい
3Dスキャンでボタン一押しで出来てしまうなら、技術の継承ではなく操作の習得でしかない
そうしてできたものは妙に味気なく思えてならない、そんな日もやがて訪れるのだろう
拝殿から舞台の残る境内の眺め
さて、転がり落ちないように降りるとするか
境内から深見 磯崎神社方向の眺め
本来はここから右を進んだ先の神社にも行きたかったが、ここから先は幅員が狭くなり 小回りの利かない車では厄介なことになる
日を改め軽で訪れる事にして、もう一つの磯崎神社に向かいます
磯崎神社
創建 / 不明
祭神 / 大己貴命、少彦名命
境内社 / 神明社、稲荷社、御鍬社、天神社、金毘羅社、洲原社
薬師堂 創建 / 元亀元年(1570)
本尊 / 薬師如来
所在地 / 豊田市迫町下切237
氏子地域 / 迫町
例祭日 / 10月14日
金剛寺から迫磯崎神社まで車アクセス / 県道350号線を南下、飯野町の交差点を右折、迫八反田交差点を右折して道なりに直進、移動時間5分程
参拝日 / 2024/04/06
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