知多四国霊場第72番 慈雲寺
以前掲載した知多市岡田の街並み保存通り、竹之内資郎邸から少し西に向かいます。
道は二手に別れ右に進むと正面に「太郎坊」交差点に至ります。
突き当りが次の目的地「慈雲寺」
「登り」交差点だったりローカル色満載の地名が多い、ここは「太郎坊」交差点。
慈雲寺に由来するものだろうが、調べて見たが岡田村の記述はたどり着いたが太郎坊の詳細は分からなかった。
慈雲寺は尾張史や尾張名所図会にも記された古刹のようで、挿絵も描かれていた。
当時と現状の伽藍や環境に大きな変貌は見られないようだ。
寺の前を日長川が流れ、川の左岸に県道252号線が東西に延び、右方向に進むと「登り」に続く。
境内左から後方の山に続く参道の先に白山宮が描かれている。
白山宮は現在も鎮座しているが、秋葉社は見当たらなかった。
日長川に架かる誠橋から山門の眺め。
橋は明治時代に架け替えられたものですが、今も挿絵のままの姿を残している。
山門の左右に枝垂れ桜の樹があり、これからピンクの彩りが溢れていくだろう。
慈雲寺山門。
訪れた3/3は梅が見頃を迎える時期。
慈雲寺は知多四国霊場の72番札所で知多西国三十三所霊場19番札所でもあり、訪れる参拝者は多い。
昔と変わらぬ参道を歩きこの山門くぐっていった。
山門は瓦葺の四脚門、軒丸瓦に描かれた紋は何種類も描かれていて、これも慈雲寺の歴史を物語っているのかもしれない。
陽当たりのいい塀脇の梅が見頃を迎え甘い香りを漂わせていた。
軒丸瓦に観音堂を再建した寺尾家の三つ扇の紋が入る。
山門から望む観音堂。
観音堂左の石段は白山宮へ続く。(後日、2-2として掲載)
寄棟瓦葺の観音堂全景。
瓦の紋は右三つ巴で統一されている。
観音堂斜景。
向拝付きの木造で至って素朴な外観。
慈雲寺は1655年(承応4)の火災により本堂や宝物を焼失するが、唯一この観音堂が焼け残ったとされる。
この火災というのが、中谷屋敷秋葉社の解説に書かれていた大火を指すのかもしれない。
消失した伽藍は1660年(万治3)、寺尾直龍により再建された。
とてもシックな額が架けられているが文字が…読めません。
岡田街並保存会解説
「観音堂は万治3年(1680)三月、地頭・寺尾直龍によって再建された岡田最古の建築物。
鬼瓦の寺紋は寺尾家の家紋。
本尊の千手観音は恵心僧都作とされ、開山・一色範光の稔侍佛とされる。
江戸時代は観音堂が本堂であった。
慈雲寺什物として観音が観音が携えて降臨されたという「雨乞いの壺」がある」
山門の先が観音堂というのがしっくりこなかったが本堂だったという事なら頷ける。
観音堂向拝脇の一願抱き地蔵。
願い事を一つに絞り、お地蔵さんを抱くと願いを叶えてくれる。
堂内。
正面の黒い厨子に本尊が安置されているのだろう、ガラス越しのため脇侍など姿が不鮮明。
軒を支える柱の太さは今とは比較にならない立派なものが使われています。
観音堂から入母屋瓦葺の本堂、庫裏方向の眺め。
本堂・観音堂は渡廊で結ばれている。
本堂に掲げられる額は慈雲寺。
本堂内の釈迦如来像。
由緒書きを見て後方に写り込んでいる石標がとても気になる。
全く気付かなかったが何かの跡らしいが今となっては遅い、長い歴史を持つ慈雲寺だけになんの跡なのかとても気になる。
かみさんの話では今年も知多四国を巡ると云う、その際には確認してみよう。
2022/03/03