善光寺街道と水屋をめぐる VOL8 『庄内用水元杁』

『庄内用水元杁』
庄内川に架かる水分け橋から上流に庄内川頭首工が直ぐに目に入ると思います。
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庄内川流域は農業に適した肥沃な土地で、農業用水を確保し、維持管理するために多大な努力が積み重ねられ、取水施設築造にもその時代の優れた技術が投入されたそうです。
庄内用水元杁は、一部人造石を使用して造られ、ほぼ百年の歳月を経た今も、完成当時の姿をそのままにとどめ、明治のロマンを漂わせている。
幅2.1m、高さ3.15m、長さ29.8m、切石積のアーチ型。門扉は堤内と堤外の両側に設置され、上部が観音開き、下部が上下の引戸、内部に通船鎖がある。
1988年に新樋門が築造されたが、一部に人造石を使用した樋門はそのまま残されています。
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土木学会選定「現存する重要な土木遺産2800選」Aランクに選定されている。
人造石(たたき):消石灰と種土を混ぜて水で練り、よくたたき締めて硬化させたもので、古くから土間や床下などを造るのに使われてきた伝統的な左官技術。
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庄内用水は、輸送路としても使われていました。
犬山と名古屋を結ぶ舟運も目的の一つ、守山区内にある元杁樋門から北区の黒川分水池まで盛んに舟が行き来した。
樋門トンネル内部には、船頭が鎖を引っ張って舟を進めるための通船鎖が残されている。
今、三階橋ポンプ所が建っている場所に、昔は分水池がありました。
庄内川から取り入れ、矢田川の下を流れてきた水は、ここで堀川(黒川)、庄内用水、御用水(ごようすい)、上飯田用水、志賀用水などに分けられました。

1977年に分水池をうめて、その上に「三階橋ポンプ所」がつくられました。分水池はなくなりましたが、矢田川の下をくぐってきた水はポンプ所の中にある水路で堀川と庄内用水に分けられています。
ポンプ場の傍らには、黒川樋門が1980年に元の姿でつくられました。
明治の頃、堀川へ流れる水を調節した樋門のようすを残しています。
ゆったりと流れる水面、水中で踊る水草
名古屋市内でもこんなに静かに時が流れる場所があります。
柿田川の様に、ここから下流矢田川に至ります。

庄内堤ではアザミの花も一斉に咲いています。
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撮影2017/06/08

所在地 名古屋市守山区瀬古二丁目228番地先