『大山祇神社』

白龍社龍神の警告とも思える豪雨の中
前に進むか、戻るか迷った挙句、あと一社だけ参拝してから帰る事にしました

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白龍社から北へ
環状2号線を超え直ぐに右に、名古屋環状自動車道沿いの道を東へ
雨は弱くなり、雷は遠ざかりつつあるようです、全身ずぶ濡れで歩みを進めます
目的地はこの道の行き止まりから左に入った翠松園の大山祇神社です

f:id:owari-nagoya55:20190805223452j:plain行き止まりになったら、左側の細い車道を進み、ひと筋目を左に入り緩やかな坂を上っていきます
やがて正面に大山祇神社とその奥に翠松園集会所が見えて来ます

f:id:owari-nagoya55:20190805223520j:plain ここに辿り着いた時には雨も上がり、晴れ間が戻ってきました
小さな鞘堂に小さな社が祀られています、外壁が木貼りの集会所と大山祇神社
避暑地の様な周辺環境と良く調和しています

f:id:owari-nagoya55:20190805223544j:plain鞘堂の前の由緒書き
大山祇(おおやまづみ)神社はこの辺りでは馴染みがないけれど
愛媛県今治市にある伊予国一宮の大山祇神社を総本山とする神社で、ここから勧請したのがここ「大山祇(おおやまづみ)神社」と言う事です
近年一之宮を巡り始めた我が家でも、何度か候補にあがりますが縁遠い場所です

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祭神は大山積大神
山の神として知られるようですが、総本山のある大三島が瀬戸内海航路の要衛の地である事から、海に関わる人からも崇拝されているようです

ここ翠松園の大山祇神社はこの地の開発の歴史と大きく関わりがある様です
郊外住宅地として分譲されたのが1926年(昭和元年)、この地は6世紀後半に作られたと言われる小幡茶臼山古墳(集会所の西側)もあり、古墳に眠る諸神を祭る霊神合祀の碑と共に、山の守護神として1928年(昭和3)に古墳の上に建立されます
社の左に霊神合祀の碑、右に尊星王の石柱が建っています
翠松園の移り変わりを見続けてきた神社と言う事です

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前方後円墳の小幡茶臼山古墳は大きく削られ姿を変えますが、古墳を守るかのように大山祇神社が鎮座している様にも見えます

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翠松園の氏神として今も崇められ、2012年(平成24)に補修を受けているようです

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佇まいが山小屋風の翠松園集会所
どことなく大人の秘密基地的な香りが漂います

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鞘堂の後方で枝を張る一本の巨木、雨も上がり陽が差し込んで赤く染まり始めました
大山祇神社のシンボルツリーですね

龍神が呼んできた豪雨の中、思い切って進んで来たけれど
山の神は快く受け入れてくれました

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 さてとカッパを脱ぎ、龍のいるスーパー銭湯へ・・・・・濡れ鼠、諦めて家に帰ろう
「どっしゃ降りでさぁ」・・・・・信じてはくれまい
2019/07/30

大山祇神社
創建 / 1928年(昭和3)
祭神 / 大山積大神
住所 / 名古屋市守山区翠松園1丁目 
アクセス  / ​名鉄瀬戸線「喜多山」駅から北へ徒歩15分程
        ​白龍社より徒歩20分程