『大聖山 安栄寺』

兒子八幡社から上街道沿いに北に歩きます。

f:id:owari-nagoya55:20200321200708j:plain 玉垣が途切れたらそこが『曹洞宗 大聖山 安栄寺』
兒子八幡社の北隣に位置します。

f:id:owari-nagoya55:20200321200754j:plain 安栄寺山門
随分の年月を経た「不動明王」と彫られた一対の常夜灯に目が行きます。

f:id:owari-nagoya55:20200321200823j:plain 竿には「キヨス本町 柴山藤蔵」と彫られています。
1865年(元治2)に寄進されたもので、この柴山藤蔵という方、1792年(寛政4)に愛知県清須市で生を受け、質屋・油屋を生業とし、米屋や酒造業も創業し現在の清須桜醸造の基礎を築いた方らしい。

南隣の『兒子八幡社』には伊藤萬蔵が寄進した狛犬がありましたが、柴山藤蔵も多くの寺社にこうした常夜灯を寄贈した事で知られるようです。
それらには「キヨス本町 柴山藤蔵」と彫られていて、色々なところで彼の寄贈した常夜灯を見ることができます。

f:id:owari-nagoya55:20200321200849j:plain 山門右に水埜重咲居士碑。
人物像はよく分からないが、山門脇にこれだけの碑があるのだから安栄寺に深く関わりのある方なのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20200321200914j:plain 山門前の右に「曹洞宗安栄寺」の寺号標。
石畳が敷かれ真っすぐに境内に続いています。

f:id:owari-nagoya55:20200321200939j:plain 山門から境内の眺め、右に本堂。

f:id:owari-nagoya55:20200321201005j:plain 山門左は見上げる位置に『兒子八幡社』の本殿が間近に迫っています。
ここから見ると本殿の千木、鰹木が良く見渡せます。

f:id:owari-nagoya55:20200321201032j:plain 山門をくぐり境内へ。
真っすぐに続く石畳は右に続き、庫裏、本堂へと続いています。
芝生の境内には多くの庭石が配されています。

f:id:owari-nagoya55:20200321201056j:plainこうした庭石が目に付きます、奥には七体の地蔵と石碑が見られます。

f:id:owari-nagoya55:20200321201122j:plainお地蔵様の表情は風化により窺い知ることすらできません、中央の石碑にも何か彫られているのですが読み取れません。

f:id:owari-nagoya55:20200321201150j:plainお地蔵様の先に綺麗な御影石の祠。
右には名古屋市教育委員会の解説板があり「安永寺六地蔵石仏」とあり、それによれば「室町時代の紀年のある、県内では最も古い石仏」とあります。

f:id:owari-nagoya55:20200321201215j:plain 僅かな隙間から内部を覗かせてもらう。
内部には高さが約40㌢程、幅は約30㌢程の薄茶色の砂岩質の板があり、そこには上下二段に三体ずつお地蔵様が彫られています。
表情は既に消え失せ、浮彫のシルエットのみですが、素朴な姿は庶民には身近な崇拝対象だったと事でしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200321201242j:plainもともとは志賀公園北東の共同墓地にあったもので、解説によれば「像の右に「尾州山田庄志賀郷」、左には大永7年(1527)と刻まれている」とある。

f:id:owari-nagoya55:20200321201313j:plain 六地蔵の先にも大きな石碑が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200321201336j:plain 芝生の上に舞い落ちた椿の花弁、見頃を終えても鮮やかな色はそのままです。

この寺の境内に石が目に付くのは、その昔この地に住む百姓で珍しい石を拾ってきては磨き上げ、それをコレクションに加え愛でる事を何より楽しみにしていた百姓源吉がいたそうです。

源吉が収集し手をかけた石はやがて噂となり買取の希望があったそうですが、彼は死ぬまで手放す事はなかったそうです。源吉の意を引き継いだ女房の菊もまた同様だったそうです。

しかしそれも孫の代に全て売られ、源吉が丹精込めて磨いた石は一つも残らなかったそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200321201402j:plain 本堂の右に金牛岡と刻まれた丸い石碑があります。
この石碑は私利私欲に走ることなく、好きなことに没頭する「志賀の源吉」の姿を見て、そんな彼を慕う有志により建てられ石碑だという。

f:id:owari-nagoya55:20200321201427j:plain 安栄寺本堂。
入母屋瓦葺で白壁に木の色が浮き立ち、いかにも寺の外観そのもの。

f:id:owari-nagoya55:20200321201453j:plain安栄寺は大須万松寺の末寺で名古屋城の鬼門除けとして1614年(慶長19)に建立されたもので、城内から大聖不動明王が移されたという。
門前の柴山藤蔵が寄贈した常夜灯に刻まれた不動明王はそれを指しているのだろう。

f:id:owari-nagoya55:20200321201520j:plainシックな外観に浮き立つことなくさり気無く要所要所に彫が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200321201544j:plain 木鼻には獅子と獏が施され、白壁に施された火灯窓が印象に残ります。
近年再建されたような趣です。
山門前の寺号標に「本堂再建落慶記念」とあったので、帰りに年号を見ようと思いながら見忘れました。
最近忘れ物が多くなってきました。

f:id:owari-nagoya55:20200321201612j:plainストーンコレクターの「志賀の源吉」とそれを優しく見守り続けた女房の菊、素朴な姿の六地蔵
安栄寺には何か温かいものを感じます。

2020/3/18
曹洞宗 大聖山 安栄寺
宗派 / 曹洞宗
山号 / 大聖山
創建 / 1614年(慶長19)
本尊 / 釈迦如来
住所 / 名古屋市北区志賀町1-67
公共機関アクセス /  市営地下鉄名城線「志賀本通」下車西へ10分程
経王大菩薩⇒兒子八幡社から安栄寺のアクセス / ​上街道を北上、徒歩1分