日陶神社。
地下鉄東山線亀島駅から東に10分程の「ノリタケの森」
この日は園内のギャラリーで開かれていた写真展を見に訪れました。
師走とは思えない、風もなく温かい日差しが降り注ぐ園内には多くの入園者が訪れていました。
明治37年(1904)にノリタケの前身「日本陶器」が日本で初めて白く輝く白磁器の製造を確立し、ノリタケチャイナとして世界的に広め、ノリタケの森はその工場跡地を整備・解放したもの。
街中にありながら緑を多く残した憩いの場で、広々とした園内には歴史を感じさせる赤レンガで作られた建物や6本煙突モニュメントなどが残され、ノリタケの歴史館や製品販売・レストランもあり、商業施設とも隣接することから訪れる人は多い。
名古屋駅から近い事もあり、この時期は紅葉に彩られた煉瓦棟をバックに、思い〃のポーズをとって撮影する海外からの観光客も多く見られた。
園内は噴水塔や芝生広場への人の流れはあっても、この森に向かう方は意外に少なく、ここに神社がある事に初めて気が付く方も多いかもしれない。
日陶神社は、園内の噴水塔西側のノリタケスクエア南側の小さな森にひっそりと佇んでいます。
所謂企業神社で、よく会社の敷地にお稲荷さんが祀られたりしますが、日陶神社もノリタケの社運の隆盛と安全祈願を込めて昭和15年(1940)に祀られたもので、天照大神、熱田大神、迦具土神の三神を祀っています。
一般的に企業神社に部外者の立ち入りは許されないものですが、園内に鎮座する日陶神社は誰しも参拝することができます。
小さな森の小さな神社ですが、街中で四季の移ろいを感じられ場所でもあり、この時期はやはり紅葉でしょう。
社頭右に日特神社の解説が掲げられています。
内容は以下。
「社運の隆盛と安全の祈願を込め、天照大神、熱田大神、迦具土神の三神を祀り、1940年11月19日に建てられました。
ノリタケの初代社長、大倉和親はこの工場敷地内に家を建て、陶磁器産業の発展に全力で立ち向かいました。
その後、大倉和親邸の跡地に当社殿は造営され、石造の狛犬は1941年4月に社内婦人会有志によって寄進されました。」
日本陶器の発展は伊勢神宮・熱田神宮・秋葉神社の三神が担ってきたわけですが、神社が鎮座する西区には住宅が密集する四間道など歩いていると、軒下に津島神社、熱田神宮、秋葉神社などの神さまを一つの社に祀った「屋根神さま」を見ることができます。
こうした社は軒ばかりか、密集地の僅かな一画に祀られていたりして、町内の災い除けとして住民から崇敬されています、当初はそうした規模の社からはじまったのかもしれません。
参道から境内全景。
一対の石灯籠の先には胸を張った凛々しい姿の狛犬が境内を守護しています。
その先の一段高く築かれた社殿域に木造鳥居と本殿が祀られています。
赤や黄に色付いた樹々に囲まれていますが、陽が良く差し込み明るい空間です。
石造の狛犬の台座には昭和16年(1941)4月1日、森村婦人会、婦人心友会有志と刻まれています。
背筋を伸ばし、厚い胸板を誇るかのような勇ましい姿をしています。
大きなビルが林立する名古屋駅の北側ですが、ここは陽当たりも良く、境内の紅葉が赤みを増して綺麗に見せてくれる。
本殿は外削ぎ千木と6本の鰹木が施された神明造りで、ノリタケの企業神社だけに綺麗に維持されています。後方の煉瓦造りの建物は森村・大倉記念館。
社殿全景。
暖かい彩りと日差しに照らされた温もりのある境内です。
個人的にノリタケの森を象徴する印象がある。
昭和8年(1933)工場大改造時に建造された陶磁器焼成用トンネル窯の跡で、その根元には窯から排出される煙を煙突に送り出す施設の名残が残されています。
現役時代は45メートルの高さを誇る大煙突で、テレビ塔が建つまでは名古屋城と並ぶ高さを誇ったそうで、昭和54年(1979)の工場移転時に現在の部分を残し撤去されたもので、季節によって飾り付けは変わり、今はXmas仕様になっています。
ノリタケの森各施設の営業時間は則武施設案内から確認する事をお勧めします。
日陶神社
創建 / 昭和15年(1940)
祭神 / 天照大神、熱田大神、迦具土神
参拝日 / 2023/12/08
所在地 / 名古屋市西区則武新町3-1