訪れたのは10月26日、周囲のイチョウの木はしっかり黄葉していましたが、もみじの紅葉にはまだ早い様です
麓の太鼓櫓を右に見て下田歌子勉学所付近、時間にして10分程登ります
左を注視していれば赤い幟が「ちらっと」見えるはずです、その幟を頼りに歩いて行きます
黄葉のイチョウ並木を歩く、銀杏の立派な事 (帰り際に少しだけ御裾分けを頂きました)
その先に赤い幟に囲まれ、小池の中ほどに祀られた祠が『岩村城弁財天社』
小池には水蓮が浮かび、花の咲く時期に来てみたいものです
1817年、この地を治めた松平乗賢の頃、民家の庭先に落ちた隕石を弁才天の玉として崇めたものと云われ
小池には水蓮が浮かび、花の咲く時期に来てみたいものです
1817年、この地を治めた松平乗賢の頃、民家の庭先に落ちた隕石を弁才天の玉として崇めたものと云われ
さて「霧ヶ城神社」を目指し先に進みます
「八幡神社跡」の案内板が目指す「霧ヶ城神社」の入口になります
この付近はもみじが多数植えられ、今頃は真っ赤に染まっているのではないでしょうか
加藤景廉を祀る八幡神社は1508年(永生5)には既にこの地に創建されていたようですが1872年(明治5)に岩村
この付近はもみじが多数植えられ、今頃は真っ赤に染まっているのではないでしょうか
加藤景廉を祀る八幡神社は1508年(永生5)には既にこの地に創建されていたようですが1872年(明治5)に岩村
城下に移転されます
案内板の左の石段を登ります
石段の先の小さな案内板の左、雑木林に作られた狭い参拝道を登ると杉に囲まれた小高い場所に「霧が城神社」は鎮座します
杉の木の下に無造作に手水鉢?が置かれていました
案内板の左の石段を登ります
石段の先の小さな案内板の左、雑木林に作られた狭い参拝道を登ると杉に囲まれた小高い場所に「霧が城神社」は鎮座します
杉の木の下に無造作に手水鉢?が置かれていました
写真の様な簡素な造りの拝殿、渡り廊下とその奥に社があります
拝殿内は龍が描かれた絵が奉納されています
岩村城は別名「霧ヶ城」とも呼ばれますが、敵から攻められた時に近くの「霧ヶ井」へ蛇骨を投げ入れる事で、みるみる霧が沸き立ち城を守ったと言い伝えが残ります
いろいろ調べましたが「霧ヶ城神社」の創建、由緒、龍と神社の関連は不明です
岩村城は別名「霧ヶ城」とも呼ばれますが、敵から攻められた時に近くの「霧ヶ井」へ蛇骨を投げ入れる事で、みるみる霧が沸き立ち城を守ったと言い伝えが残ります
いろいろ調べましたが「霧ヶ城神社」の創建、由緒、龍と神社の関連は不明です
渡り廊下の奥の社と社に掲げられた扁額
拝殿の正面に建てられた奉賛塔と拝殿右に佇む小さな祠
訪れる方は少ない様です
住所 / 岐阜県恵那市岩村町字城山
アクセス / 明知鉄道「岩村」駅下車(岩村歴史資料館まで徒歩約30分)
2017/10/26
訪れる方は少ない様です
住所 / 岐阜県恵那市岩村町字城山
アクセス / 明知鉄道「岩村」駅下車(岩村歴史資料館まで徒歩約30分)
2017/10/26
番外
銀杏の果肉を落し、現在乾燥中、摘まみになるのも間近です
銀杏の果肉を落し、現在乾燥中、摘まみになるのも間近です