名古屋東部丘陵地の八事にあり、地下鉄八事駅からもほど近く、キャンパス街に鎮座する興正寺、この辺りを代表する古刹です。
近年、話題は多いが境内の五重塔は重要文化財に指定されるなど歴史のある寺です。
伽藍は写真を見て頂くとして、結構広大な敷地です。
近年、話題は多いが境内の五重塔は重要文化財に指定されるなど歴史のある寺です。
伽藍は写真を見て頂くとして、結構広大な敷地です。
駐車場の正面からは中門と五重塔が見えます。
紅葉を愛でに多くのカメラマンと参拝客が訪れていました。
紅葉を愛でに多くのカメラマンと参拝客が訪れていました。
中門
かつて女人門と呼ばれ、修行の場である東山と西山の境に建ち、女人禁制を守っていましたが、 昭和29年、中門として現在の五重塔前に移築されたもの。
門の先には大仏が見えています。
葵の紋が入った提灯が掲げられ、紅葉を背景に白が浮き立っています。
かつて女人門と呼ばれ、修行の場である東山と西山の境に建ち、女人禁制を守っていましたが、 昭和29年、中門として現在の五重塔前に移築されたもの。
門の先には大仏が見えています。
葵の紋が入った提灯が掲げられ、紅葉を背景に白が浮き立っています。
中門を過ぎると大仏様と後方に瓦葺の五重塔が聳えます
1808年(文化5年)に建立された、興正寺を象徴する建造物といえます。
高さ30mもある国の重要文化財です。
塔そのものを本尊を見たて、中心柱に大日如来、四方に 阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)が安置されているそうです。
手前の大仏様は2014年に鎮座、全高7mで屋外のため随分味が出てきました、早く収まるべきところが欲しいものです。
紅葉も進みとても綺麗です
1808年(文化5年)に建立された、興正寺を象徴する建造物といえます。
高さ30mもある国の重要文化財です。
塔そのものを本尊を見たて、中心柱に大日如来、四方に 阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)が安置されているそうです。
手前の大仏様は2014年に鎮座、全高7mで屋外のため随分味が出てきました、早く収まるべきところが欲しいものです。
紅葉も進みとても綺麗です
園照殿
本堂の右の高台に近年建築されたもの
本堂の右の高台に近年建築されたもの
能満堂
1717年(亨保2年)尾張徳川家六代藩主継友の寄進により建立されました。
徳川家の祈願修法所として現在に受け継がれる。
本尊の虚空蔵菩薩(秘仏)は開山天瑞圓照和尚が自ら刻んだものと云われています
こちらへは本堂の右のエスカレーターでも行く事ができますが、鮮やかな紅葉と石段の先から見える能満堂へはやはりこちらからがお勧め。
1717年(亨保2年)尾張徳川家六代藩主継友の寄進により建立されました。
徳川家の祈願修法所として現在に受け継がれる。
本尊の虚空蔵菩薩(秘仏)は開山天瑞圓照和尚が自ら刻んだものと云われています
こちらへは本堂の右のエスカレーターでも行く事ができますが、鮮やかな紅葉と石段の先から見える能満堂へはやはりこちらからがお勧め。
観音堂
普照殿脇の石段の先が観音堂になります
開山天瑞園照和尚が建立したと云われ、 尾張徳川家二代藩主光友より寄進された正観世音菩薩(秘仏)を本尊として安置しています。
1857年(安政4年)に十世潭道和尚により現在地に移築された様です。
普照殿脇の石段の先が観音堂になります
開山天瑞園照和尚が建立したと云われ、 尾張徳川家二代藩主光友より寄進された正観世音菩薩(秘仏)を本尊として安置しています。
1857年(安政4年)に十世潭道和尚により現在地に移築された様です。
観音堂脇の鐘楼付近の紅葉は見頃に近づいています。
土曜日の今日、多くの写真愛好家で賑わっていました
土曜日の今日、多くの写真愛好家で賑わっていました