知多四国八十八箇所霊場 八十七番札所 鷲頭山長寿寺
前回、高蔵坊稲荷神社で掲載した高蔵坊狐。
長寿寺に棲んでいた高蔵坊狐。
荒廃の進む寺の住職に変化し、御利益を説いて廻り、寺の修復に繋げたと云う、狐に守られる寺。
高蔵坊狐の加護もあり立派な伽藍だ。
山号は鷲頭山、寺号は長寿寺と称し、臨済宗永源寺派の寺院。
まず目に付くのが山門、新しいものですが二層の入母屋瓦葺で上層に梵鐘が吊られています。
駐車場から眺める山門、その先に本堂、右手に庫裏、左手の方型屋根の弘法堂が主な伽藍と一望出来る。
山門右方向の眺め。
不許葷酒入山門の石標と大きな石碑が目に付く、その先に高蔵坊稲荷神社の鳥居。
ここからだと社殿も見えず、随分先に鎮座するような気になる、鳥居から二・三分程で社殿が見えてきます。
久野広成歌碑、解説の内容は以下。
「刻字」
うすもみち せり 廣成
わたり鳥一むら わたる 野のはてに みゆる 草やま
「読み方」
渡り鳥 ひとむら渡る 野のはてに 見ゆる草やま 薄もみじせり
広成
大高の旧家、久野藤助家六代広成の歌
昭和十一年、明治神宮摂歌となったもの。
紅葉し始めた野山と、そこを渡りゆく鳥を詠んだもの、広成自慢の作とされる。
昭和二十五年、古稀を祝い建立されたもの」
山門左に八十七番札所の石標と長寿寺解説。
鷲頭山と号し、臨済宗永源寺派。
当山はもともと真言宗長祐寺と称したが、1560年(永禄3)鷲津砦の兵火で伽藍を焼失。
江戸時代、大高領主の志水忠継の母長寿院は黄檗宗への信仰が厚く、その臨終に際しこの地に禅寺の建立を孫忠時に遺命した。
現在の伽藍はコンクリート造りの伽藍で、知多四国霊場の寺院としては半島先端で見かける寺院の姿とはかけ離れた立派な伽藍を持っている。庭園も綺麗に整備されている。
1560年(永禄3)、鷲津砦の兵火で焼失
1682年(天和2)、徳川光友の援助により再興
1888年(明治21)、火災により本堂、庫裡を焼失、この時本尊は偶然寺の付近で東海道本線の工事をしていた作業員らにより運び出され焼失を免れたという。
1898年(明治31)、新しい本堂、庫裡が再建された。
このとき焼失を免れ残っていた山門(鐘楼門)も、1912年(大正元年)の台風で倒壊し、後に再建される。
1945年(昭和20年)3月~5月の名古屋大空襲によって山門その他諸堂や蔵などを焼失。
その後長らく再興は進まず焼失したままだったようです。
大正、昭和の時期に高蔵坊狐が登場するのかなぁ。
1979年(昭和54)、山門その他諸堂が再建され、現在の長寿寺の伽藍が竣工した。
山門から境内。
寄棟瓦葺で大棟に鴟尾が付く。
手水舎は参道左。
龍口はあるものの、水は張られていない。
鉢の左にお地蔵さん。
本殿全景
参道脇の赤い樹はオタフクナンテンだろうか、安定感のある本殿の外観に彩りを添えている。
山号額と本堂内、本尊は阿弥陀如来。
力強い波が描かれた襖絵が目を引く。
本堂左に弘法堂。
方型の建物で、こちらの参道脇も赤く染まっている。
知多四国霊場の87番札所として弘法堂が設けられたのは1804年~1829年にかけてだと云われる。
弘法堂に向かう参道脇に二体の地蔵が安置されています。
手前は子安地蔵、祠の中はお地蔵様。
弘法堂左の古そうな手水鉢、中央に寄進された年月が彫られているがよく分からなかった。
かみさんにとって二年がかりの知多四国も八十七番をもってひと廻りを終えることになる。
弘法堂から左に参道が続く。
右手の小さな祠の中にお地蔵さん。
その先は西国三十三霊場石仏群。
1560年(永禄3)、鷲津砦の兵火で焼失
1682年(天和2)、徳川光友の援助により再興
1888年(明治21)、火災により本堂、庫裡を焼失、この時本尊は偶然寺の付近で東海道本線の工事をしていた作業員らにより運び出され焼失を免れたという。
1898年(明治31)、新しい本堂、庫裡が再建された。
このとき焼失を免れ残っていた山門(鐘楼門)も、1912年(大正元年)の台風で倒壊し、後に再建される。
1945年(昭和20年)3月~5月の名古屋大空襲によって山門その他諸堂や蔵などを焼失。
その後長らく再興は進まず焼失したままだったようです。
大正、昭和の時期に高蔵坊狐が登場するのかなぁ。
1979年(昭和54)、山門その他諸堂が再建され、現在の長寿寺の伽藍が竣工した。
山門から境内。
寄棟瓦葺で大棟に鴟尾が付く。
手水舎は参道左。
龍口はあるものの、水は張られていない。
鉢の左にお地蔵さん。
本殿全景
参道脇の赤い樹はオタフクナンテンだろうか、安定感のある本殿の外観に彩りを添えている。
山号額と本堂内、本尊は阿弥陀如来。
力強い波が描かれた襖絵が目を引く。
本堂左に弘法堂。
方型の建物で、こちらの参道脇も赤く染まっている。
知多四国霊場の87番札所として弘法堂が設けられたのは1804年~1829年にかけてだと云われる。
弘法堂に向かう参道脇に二体の地蔵が安置されています。
手前は子安地蔵、祠の中はお地蔵様。
弘法堂左の古そうな手水鉢、中央に寄進された年月が彫られているがよく分からなかった。
かみさんにとって二年がかりの知多四国も八十七番をもってひと廻りを終えることになる。
弘法堂から左に参道が続く。
右手の小さな祠の中にお地蔵さん。
その先は西国三十三霊場石仏群。
全工程徒歩で巡りきった意気込みには頭が下がる。
お供で廻らさせてもらったが、仕事だったりで自分では20程しか廻っていないだろう。
二巡目は全て付き合いたいが、一旦は出口が見えかけたコロナも勢いを増してきました。
今年も我慢の年なんだろうか。
2021/12/02
「鷲頭山 長寿寺」
創建 / 不明
開山 / 越博紹付、開基 / 長寿院元操尼
中興年 / 1689年(元禄2)、 中興 / 中興道雲石梯
宗派 / 臨済宗永源寺派
本尊 / 阿弥陀如来
札所 / 知多四国霊場 八十七番札所、知多西国観音 二十六番札所、知多百観音 一番札所
所在地 / 名古屋市緑区大高町字鷲津山13番地
今回歩いたルート / JR共和駅から長寿寺
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