半田市乙川若宮町。
以前掲載した海潮院から西に40分程歩き、乙川幼稚園北側に知多新四国八十八箇所霊場番外の「曹洞宗 清涼山 海蔵寺」があります。
清涼山 海蔵寺入口。
山門はなく参道右に禁葷酒入界内の石標が建っています。
正面には本堂が見えている、今日は餃子もビールも口にしてはいないので大丈夫。
海蔵寺境内の全景。
参道左の宝篋印塔の先に本堂、右に庫裏・納経所、本堂左は手前から鐘楼、手水舎、弘法堂の伽藍。
中庭に聳えるイチョウの樹が印象的で、これらが黄葉し境内を黄に染める頃に訪れると海蔵寺の別の一面を見られるのでは。
境内に車が止まっていますが法要に訪れた方の専用駐車場と理解した方がいいかもしれません。
参道左の宝篋印塔方向の眺め。
右手に聖観世音菩薩像、奥の樹々に覆われた一画に鐘楼が建っています。
更にその後方に広々とした海蔵寺参拝者駐車場があり、駐車に困る事はなさそうです。
とはいえ、この辺りの道は幅員の狭い個所も多く、今日は歩きですが、自分なら軽でくるかな。
瓦葺の切妻屋根の鐘楼。
本堂と庫裏方向の眺め。
イチョウの樹の大きなこと。
海蔵寺本堂全景。
比較的新しいように見えます、過去この地は大きな地震(昭和19・20年の東南海・三河地震)に見舞われ、海蔵寺の庫裏を始め大きな被害を受けたそうです、こうして見る姿はその後再興されたもの。
新しいとはいえ、正面から見る入母屋瓦葺の本堂の姿は安定感があり落ち着いた佇まいのもの。
本堂の額と堂内。
海蔵寺の創建は1489年(長享3)と云われ、開山は月洲用敦大和尚、開基は華草栄香大和尚とされます。
本尊は釈迦如来で宗派は曹洞宗。
知多四国霊場は弘法大師上陸の地でもあるこの地方で、大師と所縁のある88ヶ寺の札所と番外10ヶ寺で成り立っています。
海蔵寺は1909年(明治42)に高野山奥の院として番外に加えられ、直伝弘法霊場二十二番札所、東海薬師霊場四十六番札所でもあります。
本堂左の弘法堂全景。
左に手水舎とその左にも大きなイチョウの樹が聳えている。
切妻瓦葺の手水舎、訪れた時は秋の実り銀杏が一杯。
龍はまだお休みの様です。
弘法堂入口右の石標には「この寺に大師法来の法衣あり」と刻まれています。
その由縁は海蔵寺第二世、田翁和尚は予知能力に長けた方で、遠く離れた高野山の火災を予知し、祈祷しながら庭に水を撒き高野山の火を消したそうです。
そうした功績から高野山より「蓮糸の法衣」を授かり、それは寺宝として現在も受け継がれているそうです。