

明治の頃に作られた「山崎橋」の親柱(欄干の端に立つ太い柱)と呼ばれるもので
当時のものが今も残ります、角が欠けた理由はなんでしょうね?

こちらは鳥居も狛犬も見当たりません
住宅に挟まれ、対岸の秋葉神社以上に窮屈そう
堤防の南側は旧街道の名残りが漂う狭い道沿いに住宅が犇めいています
その様な立地だからでしょうか、このあたりには秋葉神社が点在します


以前、私の町内にも神社を中心として、住民同士の交わりがあったものです
しかし、それも神社の荒廃と共に気が付けばなくなっていました
失うものは神社だけではなく、コミュニケーションの場や先人の思いも失う事かもしれません




