和歌山県「高野山」day2

高野山 day2

読経で目が覚めるものとイメージしていたが
早朝の高野山シケインを攻める車のエンジン音で目が覚める、時計は・・・・・4:30

そっと社外に出て伸びをする、朝の空気を腹いっぱい吸い込む、秋だよね
かみさんはまだ爆睡しているので、コンビニまでコーヒーを買いがてらぶらっと散歩
修行の場、朝は早い印象でいたが以外に寺の朝は遅い、開門も遅い印象

ランニングをする方、早朝の高野山を写真に収める方、シケインを攻めるバイク
其々の楽しみ方があるようです

駐車場に戻るとシュラフを片付けるかみさんの姿、おはようさん、寝れた?
「寝れたけど、車の音ナニ?」
世界遺産高野山でF1なんかやると面白いのでは?ここはその最大の見せ場かね?
「なに、言ってるの?」
ひとり言です・・・・・
「距離、短くない?」
聞こえてるじゃん、朝飯調達しにコンビニ行こう
朝食を済ませ、かみさんより本日のコース指示

まずは、「高野山中野橋駐車場へ車で移動、その後「一ノ橋」から陵墓を見つつ奥ノ院を目指す」
了解です
エンジンスタート!(・・・・・動くかな)、車は快調なお目覚めです
一路、中野橋駐車場に移動です
ものの10分ほどで到着、立体駐車場の一階に駐車、一ノ橋まで歩いて戻ります
イメージ 1
駐車場で見かけた「青い鳥」、いいねェ
だるまデリカの目指すところでもあります、さあ、一ノ門まで歩こう!
イメージ 2
歩く事15分程、杉の巨木に抱かれて架かる「一ノ橋」に到着です
ここ一ノ橋から奥ノ院弘法大師御廟まで三つの川があります
「現世」「来世」「浄土」の境界を橋を渡ることで極楽浄土に行くことができると云われます
イメージ 3
手水舎で清め一ノ橋を渡ります
杉の古木で覆われた、神秘的で厳粛な空気の漂う石道を進むことに
イメージ 4

空を覆う杉の巨木に差し込む朝陽が石道を照らす、道すがらに祀られる石地蔵にも間もなく陽が差し込みます、ここは、それまでとは明らかに違う空間です
イメージ 5

戦ではライバル同士の武将もここではお隣さんです
イメージ 6

名だたる戦国武将の墓所や廟墓が祀られ
見るべきところは絞って来たつもりですが、時の過ぎるのは早い
イメージ 7

上段左 「汗かき地蔵」堂
中の橋を渡った左にあり、堂の右に「姿見の井戸」があります
井戸を覗いた自分の姿が映らない時は「三年以内に亡くなる」言い伝えがあるそうです

上段右 「密厳堂」
覚鑁上人興教大師が祀られ、覚鑁堂とも呼ばれるそうです
イメージ 8

切株の中、脇、至る所に様々な地蔵が現れます
イメージ 9

石道から左に登った高台に豊臣家墓所が広がります
イメージ 10

信長の墓所も石道から、少し登った左にひっそりと佇んでいます
イメージ 11

やがて右の視界が開け、御供所・頌徳殿、正面の「御廟の橋」の先に「燈籠堂」が見えています
ここからは撮影、着帽、スマホ禁止の聖域です

「燈籠堂」名前の通り、堂内は無数の燈籠に埋め尽くされています
8人の僧侶により朝一番の読経が堂内に響き渡ります
燈籠堂を回り込むと、その先に「弘法大師御廟」が祀られ、高野山にあって壇場伽藍と並び奥ノ院最深部の「弘法大師御廟」は信仰の中心であり、最も神聖な場所

現在も空海はここで修行(禅定)に入っていると信じられ、毎朝「御供所」で食事が作られ、「嘗味地蔵」に味見をしてもらい、空海のいる御廟へ運ばれます
昔から続く営みはこれからも続きます

さて、高野山奥の院まで歩きました
高野山とはお別れです、酒屋で般若湯を買い求め、昨日走った道を戻る事に
高野山奥の院
住所 / ​和歌山県伊都郡高野町高野山550

次なる目的地はおっさんのリクエスト「丹生都比売神社」へ
イメージ 12

くねくねとした下り坂をひた走る事40分程で丹生都比売神社第一駐車場に到着
高野山の賑わいとはかけ離れた、山間の田園地帯の風景です
丹生都比売神社」も世界遺産に登録される神社、参拝客は多いと想定していましたが意外に少ない
イメージ 13

駐車場から鳥居を目指す
道路の先には赤い鳥居と輪橋、その先に檜皮葺の屋根が見えてくる

以前は高野山参詣の表参道である町石道の中間にある二つ鳥居から、丹生都比売神に参拝し高野山に登ることが慣習だったと云われます
イメージ 14

上段
朱も鮮やかな輪橋を渡った先に二の鳥居と楼門が見渡せる
艶やかな神社、それが丹生都比売神社の第一印象
下段
輪橋全景
イメージ 15

楼門全景
楼門と本殿の全景、緑に包まれ楼門と本殿の朱が映えています
丹生都比売神社は古くから高野山の鎮守社として知られ、高野山と密接な関係を保ってきた神社
1208年(承元2)敦賀国の気比及び安芸国厳島両明神を勧請合祀し、以降は「丹生四所明神」として崇敬された
明治の神仏分離令により仏教関連施設は悉く排除され現在の姿へ​​
イメージ 16

室町時代に復興され、朱塗りと彫刻、彩色を施した四殿が横一列に並ぶ壮麗な姿
一間社春日造では日本一の規模を誇ると云われ、楼門とともに重要文化財に指定されています
楼門から見て右から第一殿、第二殿と横一列に並び第四殿の左が摂社「若宮」

丹生都比売神
御祀神
第一殿 / 丹生都比売大神
第二殿 / 高野御子大神
第三殿 /  大食都比売大神
第四殿 /  市杵島比売大神
若宮 / 行勝上人

以前から見たかった光景です
なんとか木々を避け撮れる場所はないものか?探し歩いてみたものの全貌は見せてくれませんでした

かみさんは社殿より御朱印の方がいい様です
境内にはこの他に佐波神社や卒塔婆群などがあります、少し待ってもらい写真に収め丹生都比売神社を後にする​​
住所 / ​和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野

さて次はかみさんリクエストの「慈尊院」を目指す事に
ここから車で山道を下り、県道109号線を20分ほど行った道の駅「柿の里くどやま」が駐車point
イメージ 17

「柿の郷くどやま」
住所 / ​和歌山県伊都郡九度山町入郷5-5

道の駅から徒歩で10分程紀ノ川下流の方向に歩きます
イメージ 18

古い街中に古びた小さな山門が現れます
慈尊院
816年(弘仁7)弘法大師が政所として伽藍を創建
その後、善通寺から訪ねてきた空海の母・玉依御前が滞在した事から女人結縁の寺として知られるそうです
境内正面に多宝塔、右に鬼子母神、更に右に大師堂と並びます
イメージ 19

上段
境内に入り左に​​空海の母、玉依御前の廟内にある​​弥勒
鎌倉時代後期の宝形造で、国の重要文化財であり、世界遺産に指定されています
慈尊院の本尊、木造弥勒仏坐像は21年毎にご開帳されるようです
下段
本堂、左側から弥勒堂の本尊を拝むための堂で
高野山の奥ノ院の燈籠堂を模して造られたもの
境内左に鐘楼、稲荷、弁才天、正面の高台の大師像の傍らに現代の名犬「ごん」の石像が仲良く
並んでいます

慈尊院の山門の先、中央の多宝塔の左に石段が上へ上へと続きます
その先は「丹生官省符神社」境内に至ります
イメージ 20

石段の先には丹生官省符神社の赤い鳥居
その先に丹生官省符神社拝殿が現れます、瓦葺のシックな佇まいです
その先に本殿の朱が見えます
イメージ 21

参拝を済ませ横に回り込む
丹生官省符神社も先ほどの丹生都比売神社と伽藍は似ています
違いは本殿が三つである事
創建  /  816年(弘仁7)空海によって創建
御祭神
第一殿 / 丹生都比売大神、高野御子大神天照大御神
第二殿 / 大食都比売大神、誉田別大神、天児屋根大神
第三殿 / 市杵島比売大神

神が猟師に姿を変え、白と黒の二頭の犬を放ち空海高野山へ導いたとされます
境内には白と黒の犬、狩場明神と空海が出逢った際の大きな絵馬が掲げられています
イメージ 22

社務所の前は高野山遙拝所で、拝殿左の燈籠の上、遥か先には高野山のある揚柳山の頂が望めます
二頭の犬に導かれ空海はここから高野山に辿り着き、唐から投げた三鈷杵に出逢う事になります

住所 / ​
和歌山県伊都郡九度山町慈尊院八三五番地

お腹も空いて来ました、慈尊院から道の駅に戻ります
イメージ 23

慈尊院から程近く、民家に挟まれた狭い一画、小さな「能光尊碑」と出逢う
能光尊は高野山の中門の多聞、持国の二天王を彫刻した仏師とされます
住所 / ​
和歌山県伊都郡九度山町入郷

お昼は道の駅の前を流れる紀ノ川、そこに注ぐ丹生川に架かる丹生橋を渡り、真田庵を目指します
イメージ 24

真田庵の左隣が目指す「そば処幸村庵」、こちらで蕎麦を頂く事に
大河ドラマの放送後しばらくはとんでもなく混んだようですが
現在は落ち着いた様で、古民家の風情を生かした外観と店内、待ち時間なしで席へと案内される
イメージ 25
かみさんは天ざる、私はざると鯖の柿の葉寿司2個
蕎麦の風味はそれ程強烈ではないけれど、汗だくで歩いた後に頂くざる蕎麦
火照った体をクールダウンしてくれます、価格も天ざるで1100円と良心的
そば処幸村庵
住所 / ​
和歌山県伊都郡九度山町九度山1404

道の駅に戻り、柿ソフトを頂き帰途に付く
心配した事故渋滞もなく、車もノントラブル、燃料も1目盛り残った
全走行距離496km day2総歩数20,311歩
充実の二日間でした