2社四宮からなる信濃國一之宮諏訪大社の四社巡りも最後に秋宮を残すのみとなりました
春宮から三角八丁の旧中山道を経由し秋宮までは寄り道しなければ社号標まで徒歩20分ほどで到着です
参拝当日は神橋は生憎工事中
気のせいか、春宮に比べ訪れる参拝客は多いような気がします
鳥居正面に寝入りの杉が聳えています
秋宮の境内ガイド
御柱の場所や伽藍の解説が書かれ、初めて訪れた者にはありがたいものです
寝入りの杉の後方に神楽殿
神楽殿左の階段は下社宝物殿に続きます
こちらには806~810年(大同年間)に平城天皇より御下賜されたと云われる「売神祝之印」が保管されています(重要文化財)、銅製の官印は実際に明治初年まで神印として使われ続けたもの
神宮遥拝所、その先は伊勢神宮へ・・・・・
神楽殿前の狛犬は高さが1.7㍍と青銅製の狛犬としては日本一だそうです
1930年に奉納された狛犬は戦時中に供出され、1960年に再び奉納された二代目
神楽殿全景
1835年立川流宮大工の立川和四郎により建てられ、正面に架けられた注連縄は長さが13㍍と出雲大社型では日本一の長さと云われています
シンプルな切妻造りの春宮の神楽殿に対し、秋宮の神楽殿は棟続きで横向きの屋根に繋がる
神楽殿後方の幣拝殿
同じ絵図を基に作られているだけに、春宮と秋宮の写真を整理していると同じように見えて来ます
しかし飾り金具、彫など細部には其々を手掛けた棟梁の技の競いあいを感じます
神楽殿左
右から
八坂社 祭神 / 素戔嗚尊、八柱御子神、奇稲田姫命
加茂上下社 祭神 / 賀茂別雷神・玉依媛命・建角身命
子安社 祭神 / 高志沼河姫神
諏訪大社の祭神建御名方神の母神である高志沼河姫神を祀る
よろずの縁を結び、子宝、安産、子育を司り、女性には縁の深い神様
「お子安さま」として親しまれている
奉納されている底の抜けた柄杓はお産が軽く済むようにと願いをかけるもので、毎月22日に安産祈願が行われます
鹿島社 祭神 / 武甕槌命
左の片拝殿
1781年(安永10)に立川和四郎により造営された
幣拝殿全景
1781年(安永10)に建立された1983年に神楽殿と共に県の指定文化財に指定されています
右の片拝殿
秋宮では宝殿の奥に建つ櫟の古木が御神体として祀っています
昔の自然信仰で、大きな山や石、木など自然には神が宿るとして崇拝していました
諏訪大社はその自然信仰をそのまま受け継いでいます
宝殿左奥の四ノ御柱
幣拝殿全景
右に一ノ御柱
神楽殿右
右から
稲荷社 祭神 / 倉稲魂神・大宮賣命・佐田彦命
若宮社 祭神 / 建御名方彦神別命・伊豆早雄命・妻科比賣命・池生神・須波若彦神・片倉辺命・蓼科神・八杵命・内県神・外県神・大県神・意岐萩命・妻岐萩命
皇大神宮社 祭神 / 天照大神・豊受大神
寝入りの杉の右に温泉手水
龍神伝説に因んでいるのか、こうした形の湯口は上社や町内でも見かけます
「長寿湯」と呼ばれ、これから寒くなると湯で清められるのはありがたい事です
鳥居まで戻り一旦境内を出て、鳥居右側の小高い場所(八幡山)に見えている二つの鳥居へ向かいます
手前とその奥に小さな社が2つ祀られています
左が八幡社、右が恵比寿社
手前の八幡社正面全景
八幡社から奥に進んだ先に祀られるのは秋宮恵比寿社
広々とした境内に二社が佇んでいます
社の右に建てられた由来
「諏訪大神の父神である大国主神と御兄事大主大神を祀る、この二神は農漁業の開祭・商工業の発展にあらたかな神様で家繁栄の守護神として世に大黒様、恵比寿様として知られ、諏訪大神と縁の深い神様
御本社出雲大社及び三保神社から分霊、昭和23年諏訪大社の末社として鎮座祭を行った」
右に鳥居が見えます、進んでみました
それは秋宮恵比寿社の裏参道
その向かいには広い駐車場と車道に架かる赤い橋
赤い橋を渡った先は「霞ヶ城址」
南に諏訪湖を一望できるこの場所、今は駐車場も兼ねているようですが、そこにはいま正に矢を放たんとしている銅像が建てられています、像の主は霧ヶ城の城主だった手塚光盛
手前の植え込みをよく見れば、そこには温泉手水と同じ龍神が顔を出しています
駐車場入口に建てられている霧ヶ城の解説
これが無ければ見晴らしのいい展望台にしか思えないかもしれません
諏訪大社四社巡りもこれで2宮4社全て参拝させていただきました
自然豊かなこの地、奥深い山々に豊かな水、そこに育つ木や巨石
それらを神として尊ぶ古来の風習が今も引き継がれています
信濃國一之宮 諏訪大社 下社秋宮御朱印
下は四社全てお参りし、御朱印を受けると頂ける参拝記念
信濃國一之宮 諏訪大社 下社秋宮
住所 / 長野県諏訪郡下諏訪町下諏訪町5828
アクセス / 岡谷ICから国道20号線経由東へ20分程