「天台宗白山長瀧寺/長瀧白山神社」白山禅定道の三馬場

岐阜県郡上市白鳥町長滝
長良川右岸沿いに国道156号線が続く、国道と並行して長良川鉄道がこの先の北濃駅まで伸びています
長良川鉄道「白山長滝駅」の西隣りが「長瀧白山神社」の参道口

f:id:owari-nagoya55:20191103210816j:plain 線路沿いの長瀧白山神社駐車場から眺めた白山長瀧駅と長瀧白山神社参道口
線路に沿って並ぶ常夜籠、その先が踏切で国道から駐車場への入口になっています

f:id:owari-nagoya55:20191103210834j:plain駅と社号標、中央に参道口、左には「霊峰 白山への道」と記された大きな石碑がある
手前は大きな駐車場です

f:id:owari-nagoya55:20191103210845j:plain めったに鳴る事のない踏み切の警報がなり、遮断機が下り無人駅に赤い電車が滑り込んできました

f:id:owari-nagoya55:20191103210854j:plain右は「表本宮白山神社」社号標、左に「天台宗白山長瀧寺」の寺号標

f:id:owari-nagoya55:20191103210904j:plain 参道は長瀧寺と白山神社の双方を兼ねており、参道脇には往時の勢いを偲ばせる坊跡の案内板が
多数並んでいます、その先には神明鳥居が見えています

f:id:owari-nagoya55:20191103210913j:plain参道に掲げられた往時の略図
養老年間に泰澄大師により創建された云われ
鎌倉、室町時代に隆盛を極めた寺で古来は白山中宮長滝寺と云われ、白山信仰美濃国側の中心的存在
828年(天長5)に天台宗を継いでからは一万三千石の寺領を持ち、往時には多宝塔を筆頭に30以上の堂宇と360坊を誇る神仏習合の修業の場と云われます
1271年(文永8)に社殿の半数を焼失、後に社殿は再建されますが、徐々に衰退を重ね、やがて明治の神仏分離に伴い、長瀧白山神社と白山長瀧寺に分けられます
1899年(明治32)再び火事により社殿を失います、現在の社殿は大正時代に再建されたもの

f:id:owari-nagoya55:20191103210924j:plain両脇には石垣が続き、長い参道は緩やかに上り、太鼓橋へ続きます

f:id:owari-nagoya55:20191103210936j:plain参道脇にはこうした坊跡の解説板が立てられていますが、あくまでも参道に面した坊のみであり
一部でしかありません

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正面には宝暦年間の郡上藩で起きた大規模な百姓一揆の郡上一揆を偲ぶ宝暦義民碑が建つ

f:id:owari-nagoya55:20191103210959j:plain参道左の瀧泉院

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江戸時代の伽藍図では現在の鳥居あたりが山門になり、瀧泉院は門前にあたるように思えます
そうした事からも境内の伽藍図には記載されていません
宗派も真言宗とあり詳細や長瀧寺(天台宗)とのつながりは良くわかりません

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f:id:owari-nagoya55:20191103211041j:plain参道中程にある太鼓橋
毎年5月5日の無病息災を祈願し「でででん祭」が行われるそうです
白装束を身にまとい、でででん〃と太鼓を打ち鳴らし神輿を担いだ氏子たちがこの太鼓橋を超えて行くそうです

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太鼓橋の先の参道左に祀られる護摩檀跡(手前の円形サークル)
白山登拝時にここで護摩を焚き祈祷したとされる場所
奥は金剛童子
息を止めて石を持ち、そのまま堂の周りを三周する事で力を授かる事が出来るとされます

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f:id:owari-nagoya55:20191103211120j:plain稲荷堂
金剛童子堂の右に祀られています

f:id:owari-nagoya55:20191103211132j:plain正面には二対の燈籠と石段、その先に狛犬が守護する境内が広がります

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細かな彫が施されている長瀧白山神社狛犬

f:id:owari-nagoya55:20191103211154j:plain 境内正面には1302年(西安4)願主伝燈大法師覚海と彫られた石燈籠、その奥に拝殿がある
左の切妻屋根の建物は参集殿

f:id:owari-nagoya55:20191103211205j:plain 境内の右手が白山龍宝殿
火災により難を逃れた寺宝が保管展示されています

f:id:owari-nagoya55:20191103211214j:plain境内左に手水舎、手水鉢
後方右は白山長瀧寺大講堂と左に延年水を讃えた小さな小池に建つ弁財天堂

f:id:owari-nagoya55:20191103211224j:plain 境内は湧水が湧き出ていて、境内に小さな流れを作っています
当社は白山信仰を厚く崇拝した奥州藤原氏と所縁があり、中尊寺で800年の時を越え発見された蓮の種が
花を付けます、その蓮(中尊寺蓮)が株分され境内に花を咲かせています

f:id:owari-nagoya55:20191103211239j:plain手水舎り左に忠魂碑と絶妙のバランスで建つ石灯籠

f:id:owari-nagoya55:20191103211252j:plain 宝篋印塔
宝篋印塔は本来は経文を納める塔として建てられますが
いつからかこうした形の塔を宝篋印塔と呼ぶようになった様です
1825年(文政8)に豪潮律師により三千人講が起こされ、1833年(天保4)に建てられたもの
四面に描かれた梵字は豪潮律師(1749~1835)の筆によるもので
仏画師としても優れ、「釈迦三尊像」、「十六羅漢像」を白山長瀧寺に寄進している

f:id:owari-nagoya55:20191103211304j:plain白山長瀧寺大講堂と手前の弁財天堂

f:id:owari-nagoya55:20191103211316j:plain 辨天池を潤す延年水

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夏でも枯れる事はなく、この地では古くから五穀豊穣、悪疫鎮静のためにこの霊水を神仏に供えるという
白山参拝者はこの霊水を薬水として利用したとされ、白山頂上の千陀ヶ池から来ていると伝わっています

f:id:owari-nagoya55:20191103211345j:plain辨天池後方の石段は薬師堂に続きます

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素木造りの拝殿全景

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 拝殿内の奉納額、二匹の龍が鮮やかに描かれています

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毎年、1月6日には約1000年の歴史があり国指定重要無形民俗文化財の「長滝の延年」がここで奉納されます
その際に格子天井の四角い穴から吊るされた花を奪い合い、これを持ち帰ると家内安全、商売繁盛に御利益があるとされ、「花奪い祭り」と云われています
格子天井の一部がないのはそのためです 

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拝殿内から参拝します

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拝殿側面
軒先の柱がこの地の雪深さを物語っているような

f:id:owari-nagoya55:20191103211539j:plain拝殿左の長瀧寺大講堂
寺号の長瀧はここを創建した泰澄が、夢の中で女神から霊泉があるとのお告げを受け、山中に分け入りり見つけた​阿弥陀ケ滝​に由来しています
白山禅定道の三馬場(長滝白山神社、平泉寺白山神社、白山比咩神社)のひとつで
白山白山登拝の拠点として「上り千人、下り千人、ふもと千人」と云われるほど賑わったと云われます
往時は六谷六院、神社三十余と三百六十坊を誇ったといわれますが、今はその面影はありません

f:id:owari-nagoya55:20191103211555j:plain長瀧寺大講堂

創建 /    718年(養老2)泰澄が法相宗の寺院として創建(伝承)、828年(天長5)天台宗に改宗
本尊 /    釈迦如来

f:id:owari-nagoya55:20191103211620j:plain 拝殿左の長瀧天満宮

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 長瀧天満宮の左奥に湧き出る「白山千陀ヶ池霊泉」
その昔、泰澄大師が白山に住む千匹の毒蛇を千陀ヶ池に封じ込め万年雪で蓋をして封じ込めた
霊水は腹薬として親しまれている

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境内左脇に祀られる児御前社と竃神社、中央に見えているのが越南智社

神殿域には五社が整然と並び、 左から大将軍社、白山三社(越南智社、白山大御前社、別山社)と一番右に若宮社が祀られています

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中央に祀られる白山大御前社
主祭神 /   伊弉那岐大神/伊弉那美大神/菊理媛大神

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 境内右脇に祀られる稲荷神社と神明神社と中央に見えているのが別山

f:id:owari-nagoya55:20191103211756j:plain 越南智社の左に祀られている大将軍社

f:id:owari-nagoya55:20191103211818j:plain 別山社の右に祀られているのが若宮社

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5社が整然と並ぶ姿を収めるのはなかなか難しいようです
現在は火災の後に神明造に改められていますが、以前の作りは違っていたそうです
拝殿内で祭礼の準備に追われる中、お声がけして頂いた巫女さんから教えて頂いたのに、この期に及んで忘れてしまいました
白山登山の事など色々と話しも弾みましたが、幾度か火災にあいながらも守り続ける現在の社殿とこの地に対する思いは並々ならぬ誇りのようなものが伝わってきました

神仏習合の寺として栄え白山登拝で栄えた賑わいは今はなく
2019/09/20

長瀧白山神社
創建 /  717年(養老元年)、泰澄により白山中宮長滝寺として創建(伝承)
住所 /   ​岐阜県郡上市白鳥町長滝138