【白山神社】守山小幡の鎮守は古墳の上に鎮座する

名鉄瀬戸線瓢箪山」駅で下車。
瀬戸街道沿いに東の小幡駅方向へ歩く事5分程。

f:id:owari-nagoya55:20200327112338j:plain 市バス「小幡宮前」バス停、名前からしてお宮さんがあるぞと語っています。
分かりやすいネーミングだこと。

f:id:owari-nagoya55:20200327112403j:plainバス停のその先に小幡白山神社の看板が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112425j:plainそこから左に曲がれば住宅の立ち並ぶ参道の先に一の鳥居、その先にこんもり木々が生い茂った里山が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112450j:plainこの一帯の小幡ヶ原一帯は現在も古墳が点在し、古来より人が生活を営んできた場所、この杜のこんもり感は古墳のようにも見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112516j:plain 一ノ鳥居まで進むと前は開け、広い境内と左に保育園が視界に入ってきます。

f:id:owari-nagoya55:20200327112757j:plain 境内左にはこの地域の方で戦争により亡くなられ戦没者の慰霊碑が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20200327112831j:plain 鳥居の右が手水舎と手水鉢、その奥の建物は社務所だろうか。

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 手水舎の左に補修時に降ろしたと思われる立派な鬼瓦が飾られています。

f:id:owari-nagoya55:20200327112930j:plainそこから奥を眺めると弁天池があり、柵で囲われた池を取り囲むように「小幡辨天宮」の赤い幟が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200327113005j:plain 池の中央の小島には、板宮造の辨天宮が瀬戸街道方向を向いて祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200327113030j:plain 弁天池左は山の斜面が迫っています、そこは複数の霊神碑が立ち並ぶ御嶽社。
左に階段があり、ここから拝殿に繋がっているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113058j:plain 斜面の最上部に御嶽大神の碑と右に摩利支天の碑が祀られています。
その先は視界が開け境内の様です。

f:id:owari-nagoya55:20200327113125j:plainニノ鳥居から拝殿の眺め。
小高い里山の鎮守の杜に包まれて佇む姿は一昔前は身近にあった光景です。

f:id:owari-nagoya55:20200327113219j:plain 鳥居両脇の略記と白山神社年中行事。
境内にはこうした案内板が建てられ管理の良さのみならず、地元の氏神を広く伝える意味で好感が持てる。

f:id:owari-nagoya55:20200327113248j:plain 石段を上り拝殿に向かいます。
石段を上りきり、三の鳥居の前では境内を守護する狛犬がお出迎えです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113314j:plain 目鼻立ちもくっきりし、化粧まで施された狛犬、苔の緑も化粧にマッチしている。

f:id:owari-nagoya55:20200327113344j:plain 山の頂にぽっかり広がる空間、そこに社殿は建っています。
素朴な拝殿と右は授与所だろうか?、その右には辨天社から続く脇参道がある。

f:id:owari-nagoya55:20200327113413j:plain 授与所の前に秋葉社の看板がありますが、社は本殿域に祀られていて見て取ることはできません。

f:id:owari-nagoya55:20200327113445j:plain 切妻、瓦葺の木造拝殿は落ち着いた佇まいです。

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 拝殿を守護する狛犬は化粧気がありません。
赤系の御影石で彫られているのかな、温もりのある質感の素材です。

f:id:owari-nagoya55:20200327113720j:plain 拝殿から幣殿の眺め。
ふんだんに使われた木には温もりが伝わってきます。
小幡白山神社は約1400年前に遡る、この地に居住していた欽明天皇の皇子、小墾田王により創建されたと伝えられる、歴史のある神社。
祭神は伊邪那美命、火之迦具土命、菊理媛命天照大御神建御名方命を祀る。

略記には「東城にあった白山神社(村社)現在地にあった愛宕社、常燈にあった神明社、北屋敷にあった諏訪社とが、明治四十三年七月合祀されて現在の白山神社と称されることになりました。
当社はもと神饌幣帛料供進の指定村社でしたが、戦後社格制度が改って唯今は五等級社になりました。
五等級社とは戦前の県社級に相当します。
白山神社の社伝は詳ではありませんが姓氏録によりますと、欽明天皇の皇子小墾田王ゆうという方が此の地に居住せられ、王が創建されたものと言われ、今から約千四百年程前に当ります。
1.祭神 伊邪那美命、火具土命、菊理比売命、天照皇大神建御名方命
2.境内社 秋葉社、八幡社、山神社、弁天社
3.例祭日 十月十七日
4.御神徳 石川県の白山比咩神社のわかれで、生命の根源である水のことを司られ生む、生み出す、成功くくる(えんむすび)諸産業開拓、豊穣等のご神徳が著しくあります。
境内社の弁天宮は子授、安産にご霊徳が著しいです。」
とある。
元から白山神社として存在していた訳ではなく、そもそもは愛宕社だったようです。
そこに複数の神社が集合し1910年に白山神社に社名を変えたようです。

f:id:owari-nagoya55:20200327113914j:plain 境内の左隅に東を向いて祀られた小さな山神社と山神碑。
ここは看板が欲しいところです。

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その右には仲睦まじく寄り添う道祖神も祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200327114155j:plain 拝殿左の脇参道に八幡社看板、社は本殿域に祀られています。
本殿は良く見えませんが神明造のように見えます。

f:id:owari-nagoya55:20200327114225j:plain 八幡社全景、千木は内研ぎで5本の鰹木があしらわれている。

f:id:owari-nagoya55:20200327114255j:plain 拝殿の妻部分や軒下にはさり気なく金色の飾り金具が施されてています。
手水舎の横に飾られていた鬼瓦はここに飾られていたものでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200327114323j:plain 三ノ鳥居から参道の眺め、結構な高さを感じます。
白山神社境内には案内板はなかったように思いますが、この神社は南島古墳と呼ばれる墳丘の上に建てられています。
小幡周辺は小幡ケ原と呼ばれる台地が広がり、複数の古墳が存在します、小幡南島古墳は6紀前半の周濠を持った直径33m、高さ5mの円墳だそうです。発掘調査や出土品の有無は分かりませんでした。
こうした古墳の上に建つ神社は笠寺や味鋺などでも見かけることができます。

f:id:owari-nagoya55:20200327114352j:plainニノ鳥居の左側にこの辺りでよく見かける赤い社。

f:id:owari-nagoya55:20200327114415j:plain 神社の略記には書かれておらず、お札も確認できませんが、恐らく天王社ではないかと思われます。
白山神社の北側の小幡中にも天王社があり、何れも特徴のある赤で塗られています。

白山神社
それは古墳の上に作られた1400年の歴史を持つ、守山小幡の鎮守に相応しい神社だと思います。
創建 / 不明
祭神 / 伊邪那美命、火具土命、菊理比売命、天照皇大神建御名方命
本殿 / 神明造
境内社 / 秋葉社、八幡社、山神社、弁天社
住所 / 名古屋市守山区小幡中1丁目13-8
公共交通機関アクセス / ​名鉄瀬戸線「瓢箪山」駅下車、瀬戸街道沿いに東へ徒歩5分程