「嘉例川駅」JR肥薩線

鹿児島県霧島市隼人町嘉例川にある、JR肥薩線無人駅「嘉例川駅

f:id:owari-nagoya55:20201222211855j:plain 山深い場所の様に見えるけれど、台地の上にある鹿児島空港から車で15分もあれば、こんな長閑な風景があります。
写真は駅舎から150㍍程手前の高台に観光客用として大駐車場が整備され、ここから歩いたところで知れています。
駅舎前は駐車禁止で路線バスのロータリーでもあり、物見遊山の駐車はこちらが迷惑にならない。

f:id:owari-nagoya55:20201222211917j:plainこの看板脇から高台から降りる階段が整備され、歩道は駅舎へと続きます。

f:id:owari-nagoya55:20201222211938j:plain 駐車場突き当りから駅舎への遊歩道。
山々に囲まれ、緑に包まれた光景の中に一本の線路が伸びています。

f:id:owari-nagoya55:20201222211958j:plain 歩道から嘉例川駅方面の眺め。
周辺の木々は桜、春には桜のトンネルの中を電車が走っていく。

f:id:owari-nagoya55:20201222212019j:plain 歩道はやがて公園に続き、その先が駅舎のあるバスのロータリーに続きます。
この辺り、その昔はこの駅で降車し妙見温泉へ湯治に向かう人で賑わいを見せたそうですが、今は駅舎を目当てに訪れる観光客が主の様です。
往事の賑わいも今はなく、静かな山間の駅、生まれ故郷に戻ってきたような懐かしさすら感じる。

f:id:owari-nagoya55:20201222212039j:plain 霧島ジオパークの解説板。
宮崎県と鹿児島県にまたがる霧島山を中心とした北西-南東方向の30㌔ × 20㌔の範囲にある20あまりの火山が密集する地域をこのように呼び、有史以前から現在に至る火山活動の歴史やそれにより育まれた自然の多様性、そこに暮らす人々の歴史や文化を案内するものです。
鹿児島を訪れ、桜島から始まり、開聞岳霧島山とこの地は生活と火山はとても身近存在。
嘉例川駅はこの地図の左下あたりになります。

f:id:owari-nagoya55:20201222212100j:plain 駅前ロータリーから駅舎全景。
このレトロな外観の駅舎、無人駅でありながら特急が停車する珍しい駅。

f:id:owari-nagoya55:20201222212119j:plain 駅舎は県内最古で登録有形文化財に指定され、地元自治体が所有管理されている。
歴史を辿ると1903年(明治36年)に営業を開始、当時は妙見温泉への入口の駅として賑わったものの、やがて1984年(昭和59年)に無人化され、「嘉例川駅」開駅100周年にあたる2003年に有志の方々による祝賀会をJR九州に具申したそうですが無人駅ゆえに相手にされなかったそうです。
しかし自力で賛同者を集め、祝賀会を開催し多くを集客したことから、2004年(平成16)に特急列車「はやとの風」の停車駅となり、約5分間停車し停車時間内に駅舎の見学や記念撮影などができるようになり認知度が上がったようです。
地元から愛される駅舎は2004年に旧隼人町が買い取り、駅弁や猫の観光大使など注目を集めるPR活動が盛んに行われているようです。
それら地元の思いは2006年登録有形文化財、翌年の2007年には 南九州近代化産業遺産群の物資輸送関連遺産のひとつに指定されるなど実を結びその価値が認められ今に至るようです。

f:id:owari-nagoya55:20201222212140j:plain 昔ながら土間の待合室、そこにある長椅子は昔は結構見かけた記憶があります。
なんだか懐かしいものが今も現役で残っています。

f:id:owari-nagoya55:20201222212159j:plain 待合室の時計も今だ現役で時を刻んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20201222212222j:plain 駅舎の照明も白熱電球、昔のままなのでデザインは建物にマッチしています。
LEDにはない色合いと温もりがあります。

f:id:owari-nagoya55:20201222212250j:plain 待合室の左の執務室が展示スペース、その奥は入れませんが中には過去の駅名標タブレット閉塞器が無造作に置かれています。
昔、電車の乗員が輪っかの様なリングを駅員に渡していたのを記憶しているけれど、それをこの閉塞器にセットして単線路線で複数の列車が走らないように制御をしたものらしい。
赤い開閉器の塗装の朽ち方がこの駅の歴史そのものかも知れない。

f:id:owari-nagoya55:20201222212311j:plain 嘉例川観光大使「たぬき猫 にゃん太郎」
ウナギイヌは知っているけれど、たぬき猫とは新種の猫?
ンな訳はない、目の周りのマークがたぬきを連想させたのでしょう
本人は知る由もないだろうがもう少しなんとか・・・でもやっぱり狸か
今は天に召され、観光大使の重要なポジションは空席の様です

f:id:owari-nagoya55:20201222212333j:plain ホームから「きりしまおんせん」方向の眺め、線路は真っすぐに続き山に吸い込まれていきます。
この先の大隅横川駅嘉例川駅同様に開業当時の駅舎で、戦時中の機銃掃射を受けた柱にはその跡が残るそうです。
山郷の無人駅の趣は嘉例川駅の方が味わえるのかもしれません。

f:id:owari-nagoya55:20201222212354j:plain 現在掲げられていた駅名標
古びた梁の木目と黄ばんだ漆喰壁もこれはこれでいい。

f:id:owari-nagoya55:20201222212412j:plain「なかふくら」方向の眺め
線路の左に長く続く石積みは、以前使われていた列車交換用のプラットホーム跡で、線路が撤去されホームの面影は残っていませんが、その長さは現在のホーム以上あるのでは。

このホームから列車に乗り夢を求め、山郷から町に出る、なんだかイルカやアリスの歌詞が浮かんでくる光景です。
古いから新しいものに変えるのもいいかもしれない、古いものには其々の思い出も残っていていいものだ。

JR肥薩線嘉例川駅
住所 / ​鹿児島県霧島市隼人町嘉例川2176
関連記事 / 鹿児島一之宮巡り 3日目 黒神埋没鳥居 霧島神宮 嘉例川駅

温もりが恋しくなる時期

ついこの間まで暖かい日が続き、節々がとても調子よかった
先日の降雪以降から手のひらを返したように本来の寒さを取り戻してきたようです

f:id:owari-nagoya55:20201220185505j:plain

日暮れも早く、空には黒雲が空のどこかには居座り、隙あらば「降らせるぞ」と云わんばかりだ
腰痛、関節痛持ちにはこの急な温度差がとてもこたえる
体中の関節という関節は完全に油切れ、体はフリーズしている

散歩に出かけても随分と樹のシルエットがはっきりし、視覚からも寒さを感じる
スキー場にとっては有難い冬将軍到来、こんな寒い中に夜中に起きてスキーだ、山だと良くぞ行けたものだ、あの頃はなんだったんだろう
今は人であったり、風呂であったり、熱燗だったり、ひたすら温もりが恋しい

f:id:owari-nagoya55:20201220185536j:plain

殺風景な景色も増えていき、視覚は無意識に夕陽の色合いや落下盛んな椿の赤い絨毯に目が行く
一時帰休もあったりと年内の御勤めもあと少し、楽しみにしていた計画も見送り
COVID19は冬将軍以上に身に染みる

四国直伝弘法八十八ヶ所霊場第56番札所 「瑞延寺」

知多郡美浜町奥田海道田、曹洞宗東林山「瑞延寺」
以前掲載した常滑街道沿いの八幡社から道一本東に入った所に鎮座し、八幡社から歩いても数分の距離。

f:id:owari-nagoya55:20201220103634j:plain 知多半島には認知度の高い八十八ヶ所巡りとして「知多四国霊場」があります、うちのかみさんが今コンプリートを目標に巡っているところですが、それとは別にもう一つの知多の霊場巡りとして「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」かあります。
札所寺院も「知多四国霊場」の寺院とは別の寺院で構成され、新たな発見や出逢いがあります。
今でも「直傳弘法さん」の愛称で親しまれ、熱心にまわられる方も見えると聞きますが、今一つ認知度は低いようです。

f:id:owari-nagoya55:20201220103704j:plainここ「瑞延寺」は「四国直伝弘法八十八ヶ所霊場」の第56番札所。
宅地化が進むなか、僅かに残った畑の中に伸びる細い道の突き当りに瓦屋根の建物が見えます。
そこが曹洞宗東林山「瑞延寺」、左に寺号標があり、その奥に赤い鳥居が見えます。

f:id:owari-nagoya55:20201220103726j:plain 境内に入ってすぐ左に小さな観音堂と稲荷鳥居の前に百度石があります。

f:id:owari-nagoya55:20201220103747j:plain 中に安置されるのは青面金剛童子?馬頭観音?
台座には邪鬼と三猿らしき姿が見えるけれど相変わらずよく分からない。

f:id:owari-nagoya55:20201220103814j:plain 境内左に赤い鳥居と狛狐、稲荷の様ですが、鳥居の額には何も記されていないような。
右手が「瑞延寺」本堂。

f:id:owari-nagoya55:20201220103836j:plain 鳥居扁額、こうして見ると何も書かれていない様ですが、PCで調整すると末広稲荷と出てきました。

f:id:owari-nagoya55:20201220103856j:plain 稲荷堂正面全景

f:id:owari-nagoya55:20201220103918j:plain・・・・・読めない、額の揮毫は大正6年と読めるけれど、それが創建時期を示すものなのか詳細は分からなかった。

f:id:owari-nagoya55:20201220103942j:plain 稲荷堂右が本堂。
拝見した事はないけれどこちらには聖徳太子三歳の像が安置されていると今います。
以前掲載した「報恩寺」の末寺になるそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201220104008j:plain 寄棟の屋根の傾斜や軒に向け僅かに反りがあり、安定感のある姿。

f:id:owari-nagoya55:20201220104029j:plain 棟込瓦には東林山と山号が入る。
創建は1504年(永正元年)の開基、報恩寺三世和尚により創立され。当時は瑞松寺と呼ばれていたという。瑞延寺に改称されたのが1714年の頃だといいます。
過去には恋の水神社の本社がこちらに祀られていたとされる。
この寺の創建に繋がるものとして、1670年(寛文11)に尾張藩が纏めた「寛文村々覚書」の北奥田村村絵図の中で瑞延寺が記されているという、見た目以上に古い歴史があるようです。
本尊は延命地蔵菩薩。

f:id:owari-nagoya55:20201220104053j:plain 瑞延寺は静かな田舎の風情漂う寺でした。
2020/10/26

四国直伝弘法八十八ヶ所霊場第56番札所
曹洞宗 東林山 瑞延寺
宗派 /   曹洞宗
山号 /  東林山
開基 /   1504年
本尊 /   延命地蔵菩薩

末広稲荷
創建・祭神 /    不明
住所 / 愛知県知多郡美浜町奥田海道田136
公共交通機関アクセス /   名鉄知多新線「知多奥田」駅下車 西に徒歩で10分程
関連記事 / ​報恩寺​ 八幡社  恋之水神社

名古屋市北区清水「白龍夫婦竜神」

ここは名古屋市北区清水
 
以前掲載した「経王大菩薩」から上街道を5分程北上し西に1本入った辺りに白龍夫婦龍神
鎮座します。

f:id:owari-nagoya55:20201218204641j:plain

細い路地沿いに明神鳥居、右手は公園なのだろうか小さな鉄棒がある。白い幟が立ち並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20201218204651j:plain

 白龍夫婦龍神社頭

左右に社標が三つあり鳥居の先はすぐに覆屋でさほど奥行きはないようです。

ここから上街道を少し南に行くと経王大菩薩がありますが佇まいはよく似ている。

こちらはその名の通り夫婦の白龍を祀る神社、白龍はよく耳にするけれど夫婦と付くのは珍しい。

それが妙にほのぼのとし、ほっこりした印象を抱かせます。

仲睦まじい夫婦の龍が空を駆け巡る、飛躍した想像の世界が広がる。

f:id:owari-nagoya55:20201218204700j:plain
鳥居をくぐってすぐ右手に手水鉢と芭蕉和尚と刻まれた碑があります。

云わずと知れた松尾芭蕉(1644年~1694年) を指しているのでしょう。

句碑らしきものはなく、この神社との縁はよくわかりません。

手水鉢の前面に彫られたものは何を表しているのかよく分からない、よもや蛇のウロコ?

それは考えすぎか。

f:id:owari-nagoya55:20201218204723j:plain

白龍夫婦龍神の覆屋内


正面に板宮作りの本殿と右に三社殿、更に右には赤い座布団の上に石が置かれている。

f:id:owari-nagoya55:20201218204734j:plain

これといって謂れが掲示されていないのではっきりしないけれど、よもや白龍の御神体?
蛇にも龍にも見えず、表面は艶がある。
恐らく願いを込めもち上げた時に軽く感じれば願いが叶うという石、重軽石だと思います。

f:id:owari-nagoya55:20201218204743j:plain 

三社殿
秋葉社天照皇大神宮・津島社」の社名札があります、この社の形態でこの祭神、過去からここ

に祀られたものではなく、恐らくは変貌を遂げた周辺の住宅で祀られていた屋根神さまかもしれません。

日々地元の方々で手入れされているのでしょう榊も瑞々く、覆屋内はとてもきれいに保たれています。

f:id:owari-nagoya55:20201218204754j:plain 

本殿
白龍夫婦はここに祀られているのでしょう、この神社がいつから鎮座するものか、はたまたどこから

遷座されたものなのか詳細は全く分かり

ません。ただ間違いないのは、この神社を守る「三北町」の方々は白龍夫婦を崇敬されていることは

伝わってきます。

f:id:owari-nagoya55:20201218204808j:plain

 上は覆屋内に貼られていた神社清掃マニュアル。

持ち回りで手入れをするにあたり、分かりやすい手順が記されています。

f:id:owari-nagoya55:20201218204817j:plain 

「白龍夫婦神社」について記された掲示物はこれだけだった。

どなたか長老の記憶を辿り、由来を書き加えていくといいのだろうが。

f:id:owari-nagoya55:20201218204633j:plain 

上は1920年頃の当地、マーカーの右に上下にまっすぐ伸びる赤い線が上街道(旧木曽街道)。

街道沿いに集落はあるものの、そこから一歩出ると周辺には田畑が広がっています。

今では高速道路の高架が聳え想像すらできませんが、これもほんの少し前の事。

白龍夫婦をお祀りする動機と環境は整っている。

一説には神社北側を流れる堀川沿いに巨木があり、その中に石の様なものがあり、それがいつからか

白龍としてここに祀られたとも。  

f:id:owari-nagoya55:20201218204825j:plain

 白龍夫婦の痕跡は見られませんがこの寒空の下、妙に温もりを感じる神社である事に間違いない。

なにしろ夫婦の白龍が祀られている、その辺の白龍とは訳が違う、二倍の御利益を授かる事が出来る

のではないだろうか。

龍は蛇にも結び付きます、二匹の「白蛇なんですよ」となると温もりは吹っ飛び鳥肌に変る。

昔の地図や手水鉢の彫を見ると蛇の可能性も捨てがたいぞ、だとすれば白だろうがピンクだろうが、

今は蛇は好まない。
2020/12/17

白龍夫婦竜神
創建 / 不明
祭神 / 高龗大神

境内社 / 秋葉社天照皇大神宮・津島社
住所 / 名古屋市北区清水5-10-13
公共交通機関アクセス / ​地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約10分
関連記事 / 経王大菩薩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JR日本最南端の指宿枕崎線『西大山駅』

指宿温泉郷から車で国道226号線を西へ、周囲は碁盤の目の様に区切られた一面畑の風景が広がります。
その光景の主役は単独峰開聞岳
薩摩半島南端に聳え、標高は1000㍍に満たないけれど、その姿から薩摩冨士とも称されます。

f:id:owari-nagoya55:20201216210037j:plain

指宿温泉郷から20分前後国道を走って左折するとその先に指宿-枕崎線の線路が現れます、その手前を右折し「かいもん市場 久太郎」が見えてくれば『西大山駅』はその向かい。
ここが所謂駅前で商店街はこの「かいもん市場 久太郎」が唯一の施設、ここには黄色いポストの絵ハガキ西大山駅の到着証明書などが販売されています。
秘境駅ブームで盛り上がっている頃は観光バスも訪れ、開聞岳を望む長閑な田園地帯の無人駅に観光客が溢れるようです。
写真は駅前商店街の店先で見かけた絵馬掛け?
絵馬には縁結び、子宝、家族の健康など多くの願いが書かれています、一際目を引いたのが「ワクチンを作り、皆を健康にするぞ!」と書かれた頼もしいものもありました。

f:id:owari-nagoya55:20201216210127j:plain

12月下旬頃から駅周辺の畑では菜の花が一面咲き誇り黄色の田園地帯にポツンと佇む無人駅と背後に綺麗な稜線を描く開聞岳を望む雄大な光景が見られるそうです。

菜の花は指宿の「市の花」という事、駅前のレトロなポストも菜の花の黄色、「幸せを届ける黄色いポスト」と呼ばれ今でも現役です。
かいもん市場で買い求めた絵葉書に願いを書き留め投函するとそれは叶うそうな。

f:id:owari-nagoya55:20201216210211j:plain駅前にある「幸せの鐘」幸せを祈り、願いの数だけ鐘を鳴らすそうです。

西大山駅は鹿児島県最南端でJR日本最南端の駅で駅舎はありません。
1960年の開業以来日本最南端の駅として売っていたけれど、2003年に沖縄のゆいレール(モノレール)開業に伴い日本最南端の駅の称号は明け渡す事になったそうです。
しかし2004年に「JR日本最南端の駅」に表記を改め、「最南端」の面目を保ったようです。
おやじ的には「長閑な光景の中に雄大開聞岳が美しく望める無人駅」これで十分魅力的だと思う。

f:id:owari-nagoya55:20201216210228j:plainホームから眺める線路はひたすら真っ直ぐに続く、普段見る線路とは違い伸び伸びしている。
この駅に電車が来るは朝昼晩、こうして写真を撮ってはいるけれど時間に関わらず訪れる人は多い。人気スポット。

f:id:owari-nagoya55:20201216210245j:plainお目当てはこの光景、雄大で美しい稜線を見せる開聞岳を遮るものなく見ることが出来る。
「JR日本最南端の駅」の柱の横で開聞岳をバックに其々が思い出を刻む。
無人駅の無人の姿を撮るチャンスは意外に少ないのかも、それにしてもこの解放感のある景色は訪れて良かったと思わせるものがあります。
菜の花で一面黄色に染まるには少し早かったけれど、訪れた時は冬間近とは思えない程温暖で気の早いものはこの時期に咲き始め、冬を飛び越えて季節感は春を感じさせるものです。
伸び伸びとした土地柄と温暖な気候は街にはない人も育むのかも知れない。

f:id:owari-nagoya55:20201216210301j:plain

お国の分かりやすい言葉によるはっきりした指示に従い、コロナが終息した暁には、のんびりと電車か車中泊で訪れたいものです。
2020/11/25

指宿枕崎線西大山駅
住所 / 鹿児島県指宿市山川大山602
指宿温泉郷から西大山駅までのルート

関連記事 / ​鹿児島一之宮巡り 2日目薩摩国一ノ宮 枚聞神社、新田神社

『高龗社』 

尾張旭市桜ケ丘町275 
丘陵地を造成した比較的新しい住宅街の角地、一等地とも思える一角にポツンと明神鳥居が建っています。

f:id:owari-nagoya55:20201215114424j:plain

閑静な住宅地にあってポカンと空いた区画に建つ鳥居は不釣り合いなようにも見える。
現在の高龗社はそうした環境の中に鎮座しています。
元は印場の北側の山頂鎮座し、昭和初期まで雨乞いのため、馬に龍神・雷神の飾りつけを行い献馬として奉納する行事(馬の塔)が行われていたそうです。

f:id:owari-nagoya55:20201215114434j:plain周辺は今でこそこの姿ですが、つい最近までは丘陵地に田畑や緑が茂り、民家が点在する程度で道路も今ほど整備されていなかった。

f:id:owari-nagoya55:20201215114413j:plain丘陵地に作られた田畑は水事情の悪さから周辺に多くの溜池が作られ、それを水源として田畑を潤してきた。
大きな川もなく、大方が天の恵みを頼りし、ひとたび干ばつが起れば人々は神を鎮めるために雨を掌る神に救いを求め崇める。
社名の高龗は高龗大神で、それは龍神を指し、水や雨を掌る神様です。

高龗社は渋川神社の末社、その解説によると「昔このたりには、龍が住み、雨が降る直前には、白い雲に乗って大空を掛け昇り、大雨を降らせた「卓ケ洞の龍」伝説が生まれ今に伝えられています」
この辺りにはこうした土地事情からそうした龍神を祀る神社が複数あります。

やがて愛知用水が完成し、水事情が改善されると共に溜池は役目を終え埋め立てられ、耕作地は宅地に変り地図から姿が消えていきました。
それと共にこの辺りの龍が大空を掛け昇る事はなくなったようです。

f:id:owari-nagoya55:20201215114449j:plain神社全景、鳥居右手の社号標、平成19年と刻まれていて、この地の造成に併せこの場所に遷座したものでしょう。
高龗社の創建は不明ですが、解説によれば「江戸時代には八竜社と呼ばれ、地元では「お八龍」として親しまれていた」ようです。

f:id:owari-nagoya55:20201215114501j:plainこうして見る神社は、石垣から始まり全てが新しく、そんな古くから伝わる神社とは思えない。
広い社地いっぱいに玉砂利が敷き詰められ、その中央に玉垣で囲われて小さな社が鎮座しています。

f:id:owari-nagoya55:20201215114516j:plain杜は持たないようですが、周囲の環境を考えると共存するにはこの方がいい。
反面、新しく開かれた住宅地、街のシンボルとなる1本の御神木があってもいいかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20201215114527j:plain境内の解説板。
周辺に参拝者駐車場はありませんでした、路上駐車する事は可能だと思いますが、住宅街なので振舞い方一つで「駐車お断り」の看板が建つことにもなりかねません。
丘陵地、なまった足腰にカツを入れる意味で印場駅から歩くのもいいかもしれません。
御朱印は渋川神社で頂けるようです。
2020/12/9

高龗社
創建 /   不明
祭神 /   高龗大神
住所 / 尾張旭市桜ケ丘町275 
公共交通機関アクセス / ​名鉄瀬戸線「印場」下車北へ徒歩10分程
関連記事 / ​八龍神社​ 、白龍社

『八幡社』知多郡美浜町奥田

八幡社 知多郡美浜町奥田
名鉄知多新線「知多奥田」から西へ、以前掲載した大己貴神社の北参道の前を通り過ぎ、一本目の細い路地を右に入る、徒歩でも10分もあれば美浜町奥田の八幡社に辿り着く事が出来ます。

f:id:owari-nagoya55:20201212172747j:plain路地は両側に趣のある住宅が立ち並びちょっとした古都気分があるものの、それにより道幅は一層狭く感じられる。

f:id:owari-nagoya55:20201212172811j:plain路地はすぐに左が開け、石の明神鳥居とゆとりのある境内が見えてきます。
美浜町奥田の八幡社社頭全景。

f:id:owari-nagoya55:20201212172836j:plain参道は鳥居の先の方で右に曲がっているようです。
参道右は社務所

f:id:owari-nagoya55:20201212172857j:plain参道左に手水舎があり、そこから右に鳥居と社殿が見える。

f:id:owari-nagoya55:20201212172917j:plainニノ鳥居から社殿を正面から眺める。

f:id:owari-nagoya55:20201212172943j:plain明神鳥居に燈籠、社殿を守護する狛犬が見える。

f:id:owari-nagoya55:20201212173021j:plain社殿域は南向きに石垣が二段に積まれ、最上段に4つの社殿と石碑が祀られているようです。
聳えるような古木の杜や高層の建物がある訳ではないので、陽が降り注ぐ明るく開放的な広い境内。
陽の温もりを感じられる。

f:id:owari-nagoya55:20201212173050j:plain狛犬、昭和56年のもの。

f:id:owari-nagoya55:20201212173114j:plain社殿域全景。
八幡社から道一本東に瑞延寺があるけれど、1670年(寛文11)に尾張藩が纏めた「寛文村々覚書」の北奥田村村絵図の中で瑞延寺の西に「小社」として記されているという。
形態はともかく、それがこの八幡社だとすると見た目は新しく見えるけれど古くから伝わる神社なのかもしれません。
残念ながら由緒を伝えるものは掲げられていないので推測となります。

f:id:owari-nagoya55:20201212173133j:plain本殿域右の二社
右は社名札がなく不明、猿田彦大神と刻まれた庚申塔

f:id:owari-nagoya55:20201212173154j:plain左の二社、こちらも社名札がなく不明。

f:id:owari-nagoya55:20201212173216j:plain流造の本殿
祭神は応神天皇

f:id:owari-nagoya55:20201212173237j:plain大きなものではないけれど近寄ると彫には手が掛けられています。

f:id:owari-nagoya55:20201212173258j:plain 目貫には龍、木鼻には狛犬?や象が施されています。 

f:id:owari-nagoya55:20201212173322j:plain大己貴神社・八幡社の大祭が毎年3月に行われるようで、ハイライトは南車、龍神車の2台の山車が地区内を曳き廻されるそうです。
祭礼一日目に龍神車は八幡社に奉納、祭礼二日目に二台が合流し大己貴神社に奉納されるそうです。
大己貴神社の北参道に鳥居が建てられないのはそうした事もあるのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20201212173346j:plain

八幡社
創建 / 不明
祭神 /  応神天皇 
住所 / 知多郡美浜町奥田儀路8 
公共交通機関アクセス / ​知多奥田駅 から徒歩10分
関連記事 / 大己貴神社