若狭國一之宮 『上社・若狭彦神社』

福井県小浜市龍前
2019/11/16
小浜市の南東にある若狭國一之宮『若狭彦神社(上社)』を訪れました。

f:id:owari-nagoya55:20200118172847j:plain 多田ヶ岳の麓に鎮座する古社、上社と下社の2社を総称し若狭彦神社や上下宮とも呼ばれ、パワースポットらしい。
上社の若狭彦神社。
社頭に2~3台の駐車スペースしかなく、運良く一台分の空きがありスムーズに駐車できました。
運が悪いとしばらく待つことにになるやも。

f:id:owari-nagoya55:20200118172921j:plain若狭彦神社鳥居前から参道の全景。
杉の大木が参道を包み込むように大きな杜を形作っています。
薄曇りのとは言え、参道は真昼間でも薄暗く、神聖な空気が漂う空間は奥へと続きます。

f:id:owari-nagoya55:20200118172957j:plain 「若狭彦神社」社号標。
冒頭記載したように若狭彦神社は上社と下社の2社の総称。
ここは上社ですが宮司不在で境内に社務所はなく、御朱印は下社(北に1.5㌔先に鎮座)で頂くことになります。

f:id:owari-nagoya55:20200118173031j:plain 日本神話に残る海幸彦と山幸彦の兄弟のお話は御存じかと、ここは海幸彦(火火出見尊)を若狭彦大神として祀る神社。
なので古来より、海上安全、海幸大漁の守護神として、若狭國一之宮として崇敬されています。
下社の祭神は海幸彦のパートナー女豊玉姫を祀ります。

f:id:owari-nagoya55:20200118173057j:plain 鳥居前を守護する狛犬、小顔で肉付きの良い勇猛果敢な凛々しい容姿です。

f:id:owari-nagoya55:20200118173125j:plain 鳥居をくぐり境内へ。
参道を包み込むように杉の巨木が杜を形作っています。

f:id:owari-nagoya55:20200118173151j:plain 苔むした参道。
無人でありながら、参道に枯れ葉が積もる事もなく日々手入れがされているのがよく分かります。
参道はここから先で右に曲がっていきます。

f:id:owari-nagoya55:20200118173217j:plain 参道途中の二本の杉の巨木「夫婦杉」。
実は根本は一本で途中からこのように別れたもので、パワースポットとされます。
右の杉が過去、左の杉が将来、その杉の間の空間が現在を表すそうです。
この二本の巨木の間から空を眺め、過去を思い、将来の運命・運勢・幸運などを願うのだそうです。
また、夫婦和合、良縁成就にご利益があるパワースポットらしい。

f:id:owari-nagoya55:20200118173248j:plain 参道を進むと正面に表れる素木造りのシックな門は「髄神門」。
江戸時代に造営されたと云われる入母屋造りの一層の八脚門。
奥には神門が見えています。

f:id:owari-nagoya55:20200118173315j:plain 髄神門。
派手な彩色や飾り金具を敢えて避けたようなシックな門です。
屋根は金属材で葺かれているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200118173347j:plain 門をくぐり始めて髄神が祀られていることに初めて気が付く。
髄神と云えば正面を向いているものだと思っていたけれど、こちらの髄神は通り過ぎるものを見据えるように通路に対して対面して祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200118173418j:plain 左右に夫々に4体、計8体の髄神が祀られているのも珍しいのでは。

f:id:owari-nagoya55:20200118173447j:plain 門の中も外観同様派手さはないけれど、桐や菊の紋がさり気なく彫られています。

f:id:owari-nagoya55:20200118173516j:plain 若狭彦神社由緒
上社・若狭彦神社の祭神は「彦火火出見尊」を祀る。
遠敷郡下根来村白石の里に表れた彦火火出見尊、その姿は唐人のようであったという。
次いで女豊玉姫が現れた事から、714年(和銅7)に両神が降臨した白石に仮社殿を営んだのが始まり。
今の地に遷座したのは715年(霊亀元年)と云われ、白石の前鎮座地には、若狭彦神社境外社の白石神社が残っています。

豊玉姫を祀る下社の若狭姫神社は、721年(養老5)に上社より分祀して創建されたもの。

f:id:owari-nagoya55:20200118173548j:plain 無人ということからでしょうか由緒や解説が掲げられ、初めて訪れた者にはありがたいものです。

f:id:owari-nagoya55:20200118173617j:plain 髄神門から神門の眺め。

f:id:owari-nagoya55:20200118173655j:plain 神門と本殿の全景。
静寂の杜に包まれ佇む若狭彦神社は趣のあるものです。

周囲は板敷回廊で囲われ、檜皮葺き流造の高い屋根を持つ本殿は、10本の鰹木と内研ぎの千木が施されています。
右手に小社が祀られています。

手前の四角い一画、以前の拝殿跡で昭和40年に台風により倒壊してしまったようです。
入母屋の拝殿だったようですが、今は6個の礎石が残るのみです。

f:id:owari-nagoya55:20200118173722j:plain 境内左に宮山の湧水が注がれる手水。

f:id:owari-nagoya55:20200118173750j:plain 神門。
1830年(天保元年)に造営された桧皮葺の切妻造りの四脚門。
彩色はなく素木の落ち着いた印象を受けるものです。
手前の灯篭には1692年(元禄5)と刻まれています。

f:id:owari-nagoya55:20200118173820j:plain 菊の紋の入った神社幕、その前に吊るされた大きな鈴を鳴らして上社参拝です。
静かな境内に鈴の音だけが響き渡ります。 

f:id:owari-nagoya55:20200118173846j:plain1905年寄進の立派な鈴です。

f:id:owari-nagoya55:20200118173919j:plain 本殿。
檜皮葺の流造りで1813年(文化10)造営、本殿も素木造。

f:id:owari-nagoya55:20200118173945j:plain 屋根の曲線を見るため神門右から本殿を撮ってみました。
一周する事は出来そうなので、流造の優美な曲線がよく見れる場所があるかと思います。

f:id:owari-nagoya55:20200118174013j:plain 本殿右の小社は若宮社。
鵜葺草葺不合命を祀る。

ここから本殿を一周できそうな気もするが、やめておこう。

f:id:owari-nagoya55:20200118174041j:plain 神門から見る髄神門、苔が一面に広がる拝殿跡の礎石。
こちらから見ると髄神門の屋根は檜皮が現れています。

下界の喧騒とは全く無縁で、鬱蒼とした杜に囲まれた若狭彦神社は、自然が持つパワーを感じることができる別世界かも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20200118174110j:plain 薄暗い境内参道から鳥居の眺め、俗世界に戻り下社・若狭姫神社に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200118174142j:plain 鳥居付近で見かけた案内板
上社・若狭彦神社、下社・若狭姫神社の2社からなる「若狭彦神社」
下社も参拝しない訳にはいかないでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200118174212j:plain若狭國一之宮 上社・若狭彦神社
創建 / 715年(霊亀元年)
祭神 / 彦火火出見尊

住所 / ​福井県小浜市龍前28-7