眼下に湯布院を望む狭霧台駐車場から由布岳を眺める。
その姿は無意識のうちに、50肩であがらないはずの腕を上げ、写真に収めたくなる程雄大なのものだった。
JR由布院駅から2~3分程北東へ進む、湯布院町川上の五差路交差点、交通量はそこそこあり、人の大来も多い交差点ですが、信号はなくても円滑に流れている事に驚きを感じる。
宇奈岐日女(うなぎひめ)神社の大鳥居はこの交差点に聳えている。
ここから南東15分程の所に宇奈岐日女神社が鎮座します。
往古の湯布院は湖だったされ、そこを切り開いたとされるのが宇奈岐日女。
かつての湖は緑豊かな盆地となり、その南東の木綿山に宇奈岐日女神社の社叢が広がります。
樹々の間から鮮やかな朱色の本殿の姿が望めます。
宇奈岐日女神社社頭。
左に参拝者駐車場も用意されていました。
上
石の明神鳥居と「縣社宇奈岐日女神社」の扁額。
下
鳥居右の記念碑の下にも旧の扁額「式内宇奈岐日女神社」が置かれています。
災害復旧記念碑、碑の後ろで待機していたボランティア解説員の猫。
平成3年の台風19号で神木や建造物はかってない災害を被ったにゃん。
半壊 拝殿、神門、末社一社。
全壊 末社二社、神輿殿、神楽殿。
倒木 144本、約600立方㍍。
倒木は幹回り3㍍を越えるもの、にゃんと28本、樹高最長は55㍍、樹齢は600年。
倒木の一部は神楽殿拝殿等に倒伏したものもあり、復旧には危険を伴ったにゃん。
と仰る。
解説猫の話を聞いて参道を進む、解説猫に気に入られたのかずっと後をついてきた。
参道左の由緒。
「宇奈岐日女神社。
鎮座地 湯布院町大字川上六所2220番地
祭神 国常立尊、国狭槌尊、彦火火出見尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、神倭磐余彦尊、神渟名川耳尊。
由緒
かつての湖は緑豊かな盆地となり、その南東の木綿山に宇奈岐日女神社の社叢が広がります。
樹々の間から鮮やかな朱色の本殿の姿が望めます。
宇奈岐日女神社社頭。
左に参拝者駐車場も用意されていました。
上
石の明神鳥居と「縣社宇奈岐日女神社」の扁額。
下
鳥居右の記念碑の下にも旧の扁額「式内宇奈岐日女神社」が置かれています。
災害復旧記念碑、碑の後ろで待機していたボランティア解説員の猫。
平成3年の台風19号で神木や建造物はかってない災害を被ったにゃん。
半壊 拝殿、神門、末社一社。
全壊 末社二社、神輿殿、神楽殿。
倒木 144本、約600立方㍍。
倒木は幹回り3㍍を越えるもの、にゃんと28本、樹高最長は55㍍、樹齢は600年。
倒木の一部は神楽殿拝殿等に倒伏したものもあり、復旧には危険を伴ったにゃん。
と仰る。
解説猫の話を聞いて参道を進む、解説猫に気に入られたのかずっと後をついてきた。
参道左の由緒。
「宇奈岐日女神社。
鎮座地 湯布院町大字川上六所2220番地
祭神 国常立尊、国狭槌尊、彦火火出見尊、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、神倭磐余彦尊、神渟名川耳尊。
由緒
創祀は景行天皇の御宇、一二年冬十月。
元慶七年(883)九月二日「正五位下」(三代実録)に叙されている。
明治六年(1873)郷社、大正一二年(1923)県社に列せられる。」
由緒に記されていないが江戸時代までは、ここから北へ徒歩15分程に鎮座する佛山寺(上)と習合していたそうだ。
それも後の神仏分離により今の姿になったと云う。
宇奈岐日女神社は祭神の六柱から「六所宮」、鎮座地から「木綿ノ神社」とも呼ばれるようです。
由緒書きから参道を進む、左に手水舎と右に四方吹き抜けの神楽殿らしき建物があり、その先に四つ脚の神門がはっきりと見えてくる。
由緒に記されていないが江戸時代までは、ここから北へ徒歩15分程に鎮座する佛山寺(上)と習合していたそうだ。
それも後の神仏分離により今の姿になったと云う。
宇奈岐日女神社は祭神の六柱から「六所宮」、鎮座地から「木綿ノ神社」とも呼ばれるようです。
由緒書きから参道を進む、左に手水舎と右に四方吹き抜けの神楽殿らしき建物があり、その先に四つ脚の神門がはっきりと見えてくる。
解説猫も忙しいのかここでお別れ、再びもとのポジションへ戻っていった。
参道の先の狛犬と神門。
神門前で参道を守護する狛犬(吽形)。
寄進年を見忘れたが、ふさふさとした尾と垂れ耳で愛嬌ある表情を持つもの。
同(阿形)。
どちらも赤褐色の彩色が施されていたのか、一部にこうした色が残る。
写真ではサイズ感は伝わらないが結構大きな姿の狛犬です。
上品な美しさを持つ神門に程よく調和する大きな額。
その先に社殿を望む。
神門から社殿域の眺め。
境内から見た神門。
白壁で繋がり上品な朱で彩られた四つ脚の門、朱の扉には十六菊花の紋が金色に輝いている。
境内右に御神木の切株、手前に小さな狛犬が守護している。
解説は以下。
「御神木の切株。
平成3年9月27日、台風19号により参道、社殿に倒伏した杉。
140本やむなく伐採処理し切株の大なるものをここに残置する。
幹回り 右(写真奥)が9㍍、中央が7㍍、左が7.5㍍。
樹高の最長は55㍍、樹齢は最高600年と推定される。」
万物には神が宿り、自然を尊ぶ日本人の誇れる自然観がここに現れている。
この神社の始まりも往古は湖だったと云われる由布の町を、豊かな農地に変えたと伝わる宇奈岐(うなぎ)日女やその土壌を育み日々仰ぎ見るお山、由布岳に対する畏敬の念から起きているのでは。
切株の前に佇む小さな狛犬。
平成に残置された切株と同時期に造られたものではないのかも知れない、風貌や年代はもはや分からい。
境内右手の朱の社は御年神社。
境内左手に注連縄の吊るされた建物があり、全ての扉を開け放つと神楽殿の様な気がしなくもないが用途は分からなかった。
拝殿に続く神橋の手前に六所様の湧水。
写真左手に苔むした龍口が見えます。
社殿域の周囲を神池が堀の様に取り囲んでいますが、苔むした龍口は山がもたらす豊かな水を神池に注ぎこんでいます。
神橋から拝殿の眺め。
神池に浮かぶ小島の上に社殿が建てられ、左右に石橋で繋がれた社が二社鎮座します。
拝殿左側に鎮座する改正(ただす)社。
拝殿の右側に鎮座するのは厳島神社。
豊かな緑に包まれ、絶え間なく注がれる水は澄み、静かな境内は龍口から流れ落ちる水音が心地いい。
とても居心地のいい空間でした。
拝殿は入母屋銅板葺で千鳥破風と大きな向拝が付く。
派手な意匠もなく、周囲の景観に溶け込むような落ち着いた佇まい。
拝殿額は「宇奈岐日女神社」
神祇伯稚冨王書とあり、1700年代の神祇官長官の揮毫によるもの。
神池に浮かぶ社殿全景。
本殿は流造で緑の杜にあって白と朱の本殿の存在が浮き立っている。
本殿両脇の苔むした素朴な狛犬。
その先に社殿を望む。
神門から社殿域の眺め。
境内から見た神門。
白壁で繋がり上品な朱で彩られた四つ脚の門、朱の扉には十六菊花の紋が金色に輝いている。
境内右に御神木の切株、手前に小さな狛犬が守護している。
解説は以下。
「御神木の切株。
平成3年9月27日、台風19号により参道、社殿に倒伏した杉。
140本やむなく伐採処理し切株の大なるものをここに残置する。
幹回り 右(写真奥)が9㍍、中央が7㍍、左が7.5㍍。
樹高の最長は55㍍、樹齢は最高600年と推定される。」
万物には神が宿り、自然を尊ぶ日本人の誇れる自然観がここに現れている。
この神社の始まりも往古は湖だったと云われる由布の町を、豊かな農地に変えたと伝わる宇奈岐(うなぎ)日女やその土壌を育み日々仰ぎ見るお山、由布岳に対する畏敬の念から起きているのでは。
切株の前に佇む小さな狛犬。
平成に残置された切株と同時期に造られたものではないのかも知れない、風貌や年代はもはや分からい。
境内右手の朱の社は御年神社。
境内左手に注連縄の吊るされた建物があり、全ての扉を開け放つと神楽殿の様な気がしなくもないが用途は分からなかった。
拝殿に続く神橋の手前に六所様の湧水。
写真左手に苔むした龍口が見えます。
社殿域の周囲を神池が堀の様に取り囲んでいますが、苔むした龍口は山がもたらす豊かな水を神池に注ぎこんでいます。
神橋から拝殿の眺め。
神池に浮かぶ小島の上に社殿が建てられ、左右に石橋で繋がれた社が二社鎮座します。
拝殿左側に鎮座する改正(ただす)社。
拝殿の右側に鎮座するのは厳島神社。
豊かな緑に包まれ、絶え間なく注がれる水は澄み、静かな境内は龍口から流れ落ちる水音が心地いい。
とても居心地のいい空間でした。
拝殿は入母屋銅板葺で千鳥破風と大きな向拝が付く。
派手な意匠もなく、周囲の景観に溶け込むような落ち着いた佇まい。
拝殿額は「宇奈岐日女神社」
神祇伯稚冨王書とあり、1700年代の神祇官長官の揮毫によるもの。
神池に浮かぶ社殿全景。
本殿は流造で緑の杜にあって白と朱の本殿の存在が浮き立っている。
本殿両脇の苔むした素朴な狛犬。
これも相当年季を重ねているのだろう、阿形はともなく吽形の顔は読み取れない。
拝殿から神門、社頭方向を眺める。
拝殿から神門、社頭方向を眺める。
多国語が飛び交う湯の坪街道の賑わいと比べ、ここは訪れる参拝者もまばらで、実に伸び伸びとしてリラックスできる神社です。
宇奈岐日女神社
宇奈岐日女神社
創建 / 景行天皇12年(82)
八幡竈門神社から宇奈岐日女神社車ルート /
大鳥居から社頭まで徒歩ルート /
大鳥居から社頭まで徒歩ルート /