「八幡社」

解放感のある田園風景が広がる、ここは瀬戸市西本地町。

f:id:owari-nagoya55:20200403220726j:plain 以前は身近にあった懐かしい光景はここには残っています。
田畑は随分と姿を消し、大型スーパーが建ち、田畑の造成も進んでいるようですが、まだまだ田舎の風情を留めています。
ひと昔前の田んぼは一面に蓮華の花が彩を添えたものですが、時代も変わり、そうした光景を見かける事も少なくなった気がします。

西本地の八幡社はそんな田園風景の中にあります。

f:id:owari-nagoya55:20200403220754j:plain 水が抜かれた田んぼ、あぜ道には黄色も鮮やかなタンポポが咲き春を告げる。

f:id:owari-nagoya55:20200403220816j:plain 摘まれるのを逃れた土筆も穂を開き、あちらこちらに見られます。

f:id:owari-nagoya55:20200403220843j:plain 田畑の中にポツンと出来た森は特別な空間そのものです。 ここは初めて訪れましたが、何かしら懐かしさみたいなものを感じます。

f:id:owari-nagoya55:20200403220955j:plain 一ノ鳥居から拝殿に向け、長くまっすぐ続く参道は街中の神社にはない光景です。

f:id:owari-nagoya55:20200403221017j:plain 二ノ鳥居左に手水舎、手水鉢、その先に小さな祠があります。

f:id:owari-nagoya55:20200403221037j:plain 手水鉢に龍はいましたが、鉢に清水は満たされていませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200403221100j:plain 祠の瓦屋根には終盤を迎えた赤い椿が咲き、境内にアクセントを加えています、今頃は桜が代わりを務めている事でしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200403221124j:plain 小さな祠、そこには二つの社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200403221145j:plain 社名の札は無く、お札も見られませんので詳細は分かりませんが、この色合いは天王社でしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200403221206j:plain 二ノ鳥居から杉木立の参道の正面に拝殿。

f:id:owari-nagoya55:20200403221230j:plain 参道右に百度石。

f:id:owari-nagoya55:20200403221251j:plain 左は集会所?、5社宮、その奥に切妻の小さなお堂が並んでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200403221315j:plain 境内正面の拝殿。

f:id:owari-nagoya55:20200403221337j:plain 伽藍は近年建て替えの手が入ったのでしょう、全ての建物は新しいものです。
近代工法のコンクリート造りで、味気ない気もしますが、こうして手をかけてもらえるのも多くの氏子の方から八幡社が如何に崇敬されているかよくわかります。


f:id:owari-nagoya55:20200403221406j:plain 拝殿は切妻平入で唐破風向拝が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200403221430j:plain 拝殿前の狛犬

f:id:owari-nagoya55:20200403221451j:plain 拝殿に掲げられた扁額

f:id:owari-nagoya55:20200403221513j:plain 拝殿から本殿の眺め
創建は古く、由緒によれば1185年(文治元)と云われ、祭神は應神天皇を祀るようです。

f:id:owari-nagoya55:20200403221535j:plain 拝殿右に東を向いて5社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200403221555j:plain 覆屋前を守護する小ぶりな狛犬

f:id:owari-nagoya55:20200403221617j:plain 向かって右の二社は右から山神社 / 大山祇神、大神宮 / 天照大神
それぞれを小さな陶器の狛犬が守護しています。

f:id:owari-nagoya55:20200403221642j:plain 中央は金比羅社 大物主神 崇徳天皇
こちらにもかわいいのがいます。

f:id:owari-nagoya55:20200403221706j:plain 一番左の2社は右が津島社 / 素戔嗚尊、鍬神社 / 保食神
其々の狛犬をよく見ると社ごとに色合い、デザインも違うものです。
個別に表情を捉えておくべきでした。
板宮造りの同じ外観の社が並び、初めて訪れた者には分からないものですが、全ての社に社名札が掲げられありがたい。

f:id:owari-nagoya55:20200403221731j:plain 境内で一際目立つ存在のメタセコイアの巨木。
瀬戸の名木に挙げられるだけの風格は備えています。

f:id:owari-nagoya55:20200403221759j:plain 拝殿左の祠は忠霊社とあります、地元出身の戦没者の英霊を祀っているようです。
左は土地改良碑。

f:id:owari-nagoya55:20200403221821j:plain 拝殿左から本殿を眺める。
外研ぎの千木と三本の鰹木を持つ流造の様です。
後方に矢田川が流れ、すぐ上流で瀬戸川と赤津川に分かれます。
境内は川沿いの堤のすぐ南となり、川のご機嫌次第で水害は避けれない場所です。

f:id:owari-nagoya55:20200403221845j:plain 拝殿右手の八幡社改築記念碑と社務所
「御社は宇佐八幡宮の御分社で、創建は約700年前の文治元年二月と伝えられ、寛延元年より数次に互る洪水により富地域の災害を憂へここを鎮守の森として移され、以来、村の守護神とし又安産の産土神として幾多の御神徳を慈しみの深い神様である。
昭和47年御本殿屋根葺替の式年に当たり氏子の総意により神社所有地の処分代金を財源として御神域の整備と御社殿の改築を決し、同年七月に着工、翌年10月完工、大鳥居水屋等も12月完成せり・・・」

やはり長い神社の歴史の中で、田畑を潤す矢田川も幾度か水害をもたらしたようです。
自然は時に冷酷でありながら、反面で川は肥沃な土地に変え、村人に豊かな実りを与えてきました。
自然への畏敬の念から神社は生まれ、人は崇敬する、こうした関係が今も綿々と受け継がれている。

f:id:owari-nagoya55:20200403221912j:plain 東の脇参道口と手水舎。

f:id:owari-nagoya55:20200403221934j:plain 脇参道から社殿の眺め。
現在の社殿は1973年(昭和48)に建て替えられたようです。
手入れも行き届き、見た目はもっと新しい印象を受けます。

f:id:owari-nagoya55:20200403221956j:plain 境内には桜も植えられ、これから見頃を迎えていきます。

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境内から参道の眺め、田畑の先には丘陵地が迫ります。

そこには松原平内の居城本地城も築かれていました、現在は石標のみですが、古くから人が居住し、古墳なども点在します。

 

ここから北東の八王子神社付近には、三河國から瀬戸に勢力を広げるために松原一学が1460~66(寛正年間)に築城した今村城もありましたが、城は後の安土坂の戦で長江利景と一学の息子、広長と平内が戦い討死。
松原氏は領地を失い廃城の道を辿ります、現在は石標とお鶴の井戸と呼ばれる井戸、水堀の名残が残るのみです。


八幡社から南東に徒歩10分程には本地大塚古墳と呼ばれる前方後円墳もあります。
こちらを訪れた際にこれら訪れるのもいいかもしれません。

 

長閑な田園地帯に鎮座する西本地の八幡社、この地の守護神として今も崇敬されています。
2020/03/29



八幡社
創建 /  1185年(文治元)
祭神 / 應神天皇
境内社 / 津島社、鍬神社、金比羅社、山神社、大神宮、忠霊社

住所 瀬戸市西本地町2-158
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「三郷」で下車し南へ、​矢田川を渡り堤を左に徒歩25分程