名古屋市瑞穂区中根町3
県道221号線弥冨通りの「弥冨通4交差点」から南方向に5分程下った閑静な住宅街に「東八幡社」の杜が見えてきます。
以前掲載した西八幡社は中根城を守護する西の鎮守、西があれば対になる東の鎮守がここ東八幡社。
中根城の中核ともいえる中根南城には北條八幡社が鎮座しています。
静かな住宅街に鎮座する「東八幡社」
傾斜地に建てられた「西八幡社」とは趣が違い、東八幡社の境内は石段のないフラットな社地。
ほぼ南を向いて鳥居を構え、狛犬、社標が建つ主参道と社地東側に鳥居を構えた東参道があります。
社頭から境内の眺め。
大振りで筋肉隆々とした狛犬。
その先に石の明神鳥居その先が拝殿。
鳥居前の狛犬、子と毬を持ち上品な彩色が施されている。
寄進年度は見ていないけれど、好感度は高い。
石の明神鳥居、額は「東八幡社」とある。
手入れされた綺麗な境内には石灯篭が多い印象がある。
手水舎は鳥居左にあり、柄杓も置かれ、龍口からは絶え間なく清水が注がれている。
つい最近まで庭の水やりにも気を遣っていたのに、久し振りに水に触れ、随分と水も冷たく感じられるようになってきた。
昨今、憂いに満ちた龍の表情が多かっただけに、心なしか晴れ晴れとした龍と出会った。
東八幡社社殿全景。
左に社務所、正面の入母屋瓦葺の建物が拝殿、奥に入母屋平入の幣殿、本殿の伽藍のようです。
拝殿全景。
周囲は厳重に柵で囲われ、手前の拝所から参拝するようだ。
拝殿前の狛犬、鳥居前の狛犬同様のフォルムで彩色が施されているが、子や毬は持っていない。
正面に橘の紋が入った「祝 創建500年 東八幡社」の幟が立てられている。
創建500年、1521年というと戦国時代の大永元年になる、武田信玄が生まれた年。
拝殿右に東八幡社御由緒
「当神社は本社に応神天皇を祭祀。
末社金刀比羅社に大物主命、東山神社に大山祇命、秋葉社に軻遇突智神、白山社に菊理姫命、金峯神社に役行者を奉祀します。
往古よりこの地に八幡宮が鎮座し、正徳3年(今から273年前以前の創建)、又字牛山に東山神社、字大根山に白山権現社が鎮座しましたが、明治10年(1877年)10月に東山神社、白山権現社を当神社境内に遷座。
同時に当神社名を東八幡社に改称。
昭和4年(1929年)に境内地を拡張、翌5年に社殿を新築整備し現在に至る」
「西があれば東だろう」そんな安易なものではないかもしれないが。
拝殿は四方吹き抜けで社殿全体に通じるけれど派手な光物を避けたシックな佇まい。
拝殿内に立派な「東八幡社」の額が掲げられている。
それにしても厳重に柵で囲われているもんだ。
拝殿から屋根続きで幣殿に繋がっている。
幣殿から渡廊で流造の本殿まで繋がっている。
本殿の全容は掴めないけれど、擬宝珠の付く高縁が三方に施され両側面に脇障子を持つもの。
脇障子に彫が施されているのですが詳細までは見て取れません。
社殿後方から本殿の眺め。
妻飾りの緑青の渋い色合いがシックな外観にあっている。
本殿後方から拝殿方向の眺め。
高く積まれた石垣と透塀もあり、本殿域の様子は窺うことはできません。
透塀と社殿全体の佇まいは、落ち着いた趣でいかにも神社という感じです。
拝殿から本殿方向。
ここから見ると拝殿を囲う柵が神社らしい佇まいに水を差している感じがして残念な気がする。
本殿左に由緒書きにあった境内末社が鎮座しています。
右から金比羅社、秋葉社、東山神社、白山社、少し離れて金峯神社がある。
一番右手の石碑は棒の手見当流の碑。
棒の手は県内で農民の武術として発達し、その後神社への奉納を主として受け継がれている。
各地域で様々な流派がある。
金峯神社だけが少し離れてお堂の形で祀られている。
境内末社と本殿。
こちらの神社は社名札や各神社の祭神、御神徳がペライチで纏められ、参拝に訪れた者にとっては分かりやすく「とりあえず拝んでみた」という事はない。
こうした事が風化していくと身近な存在から徐々に縁遠いものになっていくような気がしてならない。
上
境内東の脇参道、この左に神馬が安置されている。
社標や神明鳥居ともに大正時代に寄進されたもの。
下
境内から正参道方向の手水舎、鳥居の眺め。
東八幡社
創建 / 不明
祭神 / 応神天皇
境内社 / 金比羅社、秋葉社、東山神社、白山社、金峯神社
所在地 / 名古屋市瑞穂区中根町3-40
北・中・南(北條八幡社)・東八幡・西八幡徒歩ルート / 市営地下鉄名城線「瑞穂運動場東」駅から南へ
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