「興西寺」

敬老パスも有効に使わないといけないが、先日利用回数の通知(必要なんだろうか?)が届いた。
 それなりに負担金を払っていながら全く元が取れていない。
それが理由でもないが地下鉄で名城公園付近を彷徨ってみた。

地下鉄名城公園駅2番出口から新愛知県体育館建設に向け工事の進む名城公園を横目に西に向かう。
 やがて堀川に架かる中土戸橋を渡り、更に西へ。

道路前方に玉垣と鳥居が見えてくる「​武島天神社」です。
 この社頭を通り過ぎ西側で右折します。

​武島天神社の玉垣の先に「上宿山神社」が。
 ここで左に進み再び西へ。

今回の目的地「興西寺」も近いはず。
 秀吉さんが「興西寺あっち」と指さして教えてくれる。
長瀬美之翁「豊臣秀吉像」

秀吉さんから二つ目の交差点を左に曲がると「興西寺」だ。
 どうかすると方向感覚を失くすグーグル先生よりよほど秀吉さんの方が正しい。

門前から境内の眺め。
 軒先の反りが翼を広げる鳥のようだ、街中の寺としては風格のある立派な寺だ。

門前に解説。
「深井丸と号し、真宗
寺伝よれば、応永17年(1411)海部郡甚目寺町に創建。
 後に富田町供米田より、名古屋城築城にのため北鷹匠町へ遷り、更に正保2年(1645)藩祖義直よりこの地を賜り移建された。
元禄12年(1699)藩主綱誠の薨去以来、徳川家代々の位牌を安置する。
 また葵の紋を許された」

尾張志 興西寺』
 「上宿五平蔵町にありて、三河の針崎村勝鬘寺の末寺なり。
はじめ真言宗にて、浄蓮坊と名づけ永禄元年(1558)の開基。
 海東郡供米田村(現在の豊治村)にありしを、天正年中(1573~1592)に今の宗に改め、興西寺と改号しを寛永年中(1624~1644)北鷹匠町に移し、是より先に、元和年中(1615~1624)、今の御深井のうち紅葉柵の辺に移り、寛永年中に北鷹匠町に移しよし、寺傳又は町方府志寺にはいるは誤りなるべし、御城御造営の後、御構のうちへうつしべきはあるべからず。

 慶安年中(1648年~1652年)に再び今の地に移せり。
本堂阿弥陀の木像を安置し、泰心院君(三代藩主綱誠)御逝去の後、御家代々の御位牌と御免許になりて安置し奉る。
 御寺の外にては此寺のみにて外に例なし。
鐘楼
 鐘は安永四年(1775)に鋳すと銘に見えたり」

寺伝は
 「開基は敏達天皇の単子難波親王の後裔、楠木正成の男正儀の子正元の長子正徳。
元中2年(1385)甚目寺村の郷士吉川利忠の養嗣となり、同9年に真言宗甚目寺の浄海上人に就き剃髪す。
 応永17年(1411)甚目寺に浮徳坊という坊舎を建立。
永正8年(1511)、坊舎を冨田の庄熊井田に移したとき姓を貝沼と改む。

 永禄元年(1558)に坊舎を再建。
天正11年(1583)に改宗して浄蓮坊と改号。
 慶長10年(1605)、愛智郡名護屋村御深井紅葉矢来の内に移り、堂宇を建亡す。
慶長14年(1609)名古屋城築城のため、北鷹匠町に易地を得て移った。
 翌年に大谷派に属し寺号を興西寺に改号。
元和3年(1617)に藩主より深井丸という山号を賜わり、三ッ葵の紋章を差許さる。
 以後、当寺を上宿御坊という。
正保2年(1645)、藩主義直より斎藤美濃守下屋敷であった五平蔵町の現在地に易地を授かり移転。
 元禄12年(1699)藩主綱誠逝去後、徳川家歴代の位牌を安置することになった。
明治24年(1891)10月28日濃尾震災で堂宇が被災、大破。
 昭和20年(1945)5月14日戦災に罹り伽藍を焼失。

宝物に、木造阿弼陀如来立像(伝、傅教大師作)、木造大日如来坐像(伝、弘法大師作)、薬師如来書像
(伝、恵心僧都筆)など」

 清州越しに伴いこの地に移った寺のようで、現在の伽藍は平成20年(2008)に再建。

地史や寺伝にもあるように、徳川家とは縁が深いお寺。
 参道脇の灯籠は大正11年(1922)寄進のもので、竿に滑らかな膨らみを持たせたもの。

本堂は木造瓦葺の入母屋造で大きな向拝が付く。

 大棟には深井丸、軒丸瓦には葵の紋が入る。
平成に入り建替えられた事もあり至って綺麗な状態の建物。
 少し離れて眺めた方が軒先に向けて反る曲線が強調されて綺麗かも知れない。
当日(8/26)は本堂の扉は閉ざされ、内部を拝観する事は出来なかった。

向拝左の鉢に睡蓮が植えられ中ではメダカの姿が見られた。
 炎天下にあって睡蓮鉢は涼し気で妙に嬉しいものがある。

左には年季の入った石灯籠が立つ。
 寄進年度は見ていないが燈籠脇に「尾張徳川藩拝領灯籠」とあった。
絶妙なバランスで立つシンプルな姿の燈籠。

この反対側に舟形の手水鉢がある。
 水質はともかく、水が張られていない鉢はただの石、味気ないものだ。

本堂右の唐破風の付いたこの建物、用途はよく分からないが、奥で本堂に繋がっているような気がする。
 破風の鬼には葵の紋が入っていた。

本堂軒下の半鐘、頭に付く竜頭の龍が半鐘に噛みついている様に見える。
 いつ頃鋳造されたものかは不明、
いまどき銅の工芸品をじっくり見ようものなら不審者に思われかねない。
 妙な雰囲気になったものだ。
おまわりさんによる早い摘発を期待したい、「自分の心の奴隷になっている事が どれだけ恐ろしい事か」罰は償ってもらわねば。

向拝柱の木鼻に施された獅子と獏。
 往時の伽藍の姿は見付けられなかったが、歴史はあっても近代化した街並みと調和する様にビル化する寺院も多い中、今も寺の佇まいを留めていた。

興西寺
宗派 / 真宗大谷派
山号 /  深井丸
創建 / 応永17年(1411)
本尊 / 阿弥陀如来
所在地 / 名古屋市西区城西4-15-24
参拝日 / 2022/8/26
公共交通機関アクセス / 地下鉄名城線名城公園」駅降車、​徒歩で西へ15分前後
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