地下鉄上前津近隣 Vol 7『本願寺名古屋別院』

名古屋市中区
大須通りから南に入り門前町通りを歩きます
この通り沿いに「西別院」の看板に導かれ西へ折れます
視界の先に西別院「本願寺名古屋別院」が見えています
外観がインド様式の特徴ある寺院です
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本願寺名古屋別院東門
右に寺号標と左の掲示
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伏見通り側からも境内へ入る事もできますが、特徴のある堂全景が良く見えるのでこちらからがお勧めです
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インド様式の流れを感じる丸屋根を持つ堂全景
境内に幼稚園が併設されるほど広大な敷地を持っています
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特徴的な丸屋根を斜めから眺めます
この寺の創立は蓮如上人の子、蓮淳師が伊勢の国桑名郡長島杉江に建立した「願証寺」が起源とされます
石山合戦(1570-1580)で信長の攻撃を受けこの地から桑名へ
秀吉の時代に現在の清洲願証寺を再興、桑名の願証寺は「桑名願証寺」と改め、清洲願証寺は通所、分院となります
清洲願証寺は德川の清州越しに伴いこの地に移転「名古屋願証寺」に改称
桑名願証寺は後に宗派替えを行った事から、名古屋願証寺を本山の坊舎と定め名古屋御坊と称するようになりました
1876年(明治9)に名古屋御坊を「本願寺名古屋別院」と改称、全国でも有数の別院として発展していきます
本堂、庫裡、書院、中門、御殿からなる伽藍の様子は尾張名所絵図に描かれています
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そして第二次世界大戦末期、1945年(昭和20)に空襲で鐘楼・南門を残し全ての建物を焼失します
現在のこの特徴のある本堂は1972年(昭和47)に再建されたもの
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本堂の左の駐車場、そこに入母屋、瓦葺の色褪せた鐘楼がポツンと建っています
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外観は見慣れた鐘楼、良く見ると梵鐘は上層ではなく下層に吊られた珍しい物です
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遍照閣と書かれた扁額が掲げられた鐘楼正面全景
扁額は1753年(宝暦3)、本願寺第17代法如上人によるもの

間近で見ると木組みや蟇股、虹梁に彫られた彫刻も素晴らしいものがあります
色褪せた姿は味があっていいものですが、幸運にも焼け残ったものです
化粧をしてあげてもいい頃では
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特徴のある下層に吊られた梵鐘
この珍しい造りと各所に施された彫刻が評価され、2017年名古屋市有形文化財に指定されました
この鐘楼は1729年(享保14)、当時の三河国から移築されたものと云われます
梵鐘は1959年(昭和34)に再鋳されたもの

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本堂の左側に鐘楼と共に戦火を免れた南門
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本願寺名古屋別院の南側道路のビルと民家立ち並ぶ僅かな一画、南門から境内へ繋がる参道が残ります
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境内で見かけた解説板
北斎大達磨
名古屋を訪れた還暦間際の画狂人北斎は、こちらの境内で120畳ともいわれる大達磨を僅か半日で書き上げたと云われます
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長年受け継がれてきましたが、戦火で焼失してしまいます
戦争は全てのものを消し去ります、繰り返したくはないものです

本願寺名古屋別院
宗派 / 浄土真宗本願寺派
創建 / 1492~1500年(明応年間)
本尊 / 阿弥陀如来
住所 / 名古屋市中区門前町1-23
アクセス / ​市営地下鉄名城線 上前津下車、徒歩で西に10分程​