神奈川県一之宮巡り §2『鶴岡八幡宮・相模國一之宮寒川神社』

鎌倉で迎えた二日目。
参拝客で賑わっていた鶴岡八幡宮を朝一番で参拝、境内を巡る。

ホテルメトロポリタン鎌倉。
ニノ鳥居の脇にあり、ここを拠点に観光するならいいロケーション。
ホテルから朝な夕なの眺望が望める訳でもないので、朝食プラン付きで東向きの安価な部屋をチョイスしたが、ビジネスホテルと捉えると価格設定は高い部類かも知れない。
しかし建物や客室は新しく綺麗でサービスも良く不満はない。

残念だったのが朝食、以下は個人の感想。
朝食は一階のcafe&meal無地での朝食となる。
メインとなるのは和食が建長汁に鯵の干物とご飯が付く、洋食はスクランブルにベーコン、パンが皿に盛られたものの二択、サラダバーやじゃこ、デザートはバイキング形式。
かみさんは建長汁の和食、おやじは珍しく洋を選択した、洋は可もなく不可もなく。

口コミは信用しないが、総じて鯵の干物とジャコは好評だった。
かみさんの前に提供された干物。
見た目は食欲をそそるものだったが食べてみると脂が抜けてパサパサで全く美味しくはなかった。
作り置きされた焼き魚を焼きなおした時の味わいで、海が近い鎌倉ながらガッカリした。
バイキングのジャコはどこまでもジャコ、サラダバーの野菜がフレッシュで美味しく、パンの種類は少なかった。
朝食は和食より洋食をお勧めします、しかし朝食の価格を思うと素泊まりで普通に外食の方がいいかもしれない。
ホテルメトロポリタン鎌倉
所在地 / ​神奈川県鎌倉市小町1-8-1

7:50 段葛。
食事を終えてニノ鳥居から鶴岡八南宮に向かいます。
この時間だと人並みが絶えない参道も人はまばら、参道の遥か先の三ノ鳥居も見通す事ができる。
鶴岡八幡宮を訪れるなら朝がお勧めかもしれない。

若宮大路と呼ばれるこの参道。
由比ヶ浜の海岸から八幡宮へ一直線に延びる約2kmの参道。
鎌倉の街づくりの一歩として、かみさんの北条政子の安産を祈願して、源頼朝自ら御家人達を指揮し土石を運び入れ築造したとされています。
狭い道の多い鎌倉にあって、唯一広い道幅を持つ若宮大路を中心に鎌倉の街、武家の都として形作られていく事になります。
ニノ鳥居からは道路の中央に一段高く盛られた幅約10㍍程の参道は、途中に車道が横切ることなく三ノ鳥居の前まで約500㍍続く。
頼朝が政子を思いやる優しさは、今の子供たちに安全な通学路として今も留めている。


三ノ鳥居から本宮。

鎌倉幕府を築いた源頼朝の祖先源頼義は、京都石清水八幡宮を篤く信仰したとされ、源氏の氏神として康平6年(1063)に八幡神を勧請し鎌倉の由比ヶ浜辺に祀ったのが始まり。
後に頼朝により現在の地に鶴岡八幡宮の基礎を造ったもの。



太鼓橋から本宮。

鶴岡八幡宮の開門・閉門時間は季節で違うようで、10月〜3月は6時〜21時、4月〜9月が5時〜21時のようです。

参道から望む舞殿(下拝殿)と本宮(上宮)、右手が若宮(下宮)。
治承4年(1180)、頼朝が歴史上初の武家政権である鎌倉幕府を鎌倉に構え、源氏の氏神である八幡宮を遷し、鎌倉幕府はじめ東国の守護神として崇敬されてきた。

本宮の祭神は応神天皇神功皇后比売神の三柱を祀る。
若宮の祭神は本宮の御祭神応神天皇の御子、仁徳天皇履中天皇、仲媛命、磐之媛命の四柱を祀る。


手前の舞殿は静御前義経を慕う思いを込めて舞った若宮廻廊跡に建っており、下拝殿とも呼ばれるそうだ。
ここから手前の参道では屋台の設営準備をする光景が見られ、鶴岡八幡宮の一日が始まろうとしていた。

大石段
正面参道の大きな石段で、鶴岡八幡宮にあって唯一の石段。
承久元年(1219)、雪が降りしきるこの場で三代将軍実朝は公暁により討ち取られた場所。
石段左に聳えていた樹齢1000年とも云われた隠れ大銀杏、公暁はここに身を隠したとされます。
天然記念物にも指定されていた大銀杏も2010年に倒伏してしまい、現在は注連縄で囲われその根から芽生えた子銀杏が樹齢を重ねています。

石段の先には鮮やかな朱塗りの楼門が聳える。


楼門に掲げられた扁額はお馴染みのもの。

楼門右から廻廊、本宮。

丸山稲荷社。
祭神は倉稲魂神を祀り、鶴岡八幡宮の中で一番古い室町期の社殿とされ、石段を登りつめた境内に赤い一間社流れ造りの社殿が建っている。
商売繁昌を祈願し多くの奉納鳥居が連なり、中には有名人の名も見られた。
11月の火焚祭では鎌倉神楽が奉納されるという。

大石段から由比ヶ浜に続く若宮王路の眺め。
昨日は人であふれていた境内もこの時間はこんな感じ。

白旗神社

若宮(下宮)の右手に鎮座し、源頼朝、実朝が祀られており、黒漆塗りで金箔が貼られた社殿が印象的です。
御利益は必勝、学業成就で今も篤く崇敬されているようです。


祖霊社
鶴岡八幡宮の氏子崇敬者の祖霊と護国の英霊を祀り昭和24年に建立されたもの。


八幡神は仏が姿を変えたものとする仏教的思想を取り入れ、頼朝によって始められたのが放生会(ほうじょうえ)で、殺生禁断に基づき、捕らえた生き物を放ち慈悲をほどこす法会、その中心となる鶴岡八幡宮では放生会が執り行われた旧暦8月15日の9月14日から16日までの3日間例大祭が絶えることなく伝えられている。そうした背景もあるのか祖霊社周辺の杜では野生のリスが多く生息していた。

相模国一宮 鶴岡八幡宮
創建 / 康平6年(1063)
本宮祭神 / 応神天皇神功皇后比売神
若宮祭神 / 仁徳天皇履中天皇、仲媛命、磐之媛命。

所在地 / ​神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31

9:30
さて参拝を終えホテルに戻って一休み、荷物を纏めてチェックアウト。
次の目的地高座郡寒川町宮山鎮座の寒川神社へ移動する。

10:30 
湘南電鉄鎌倉駅に向かう。
そこから次の目的地寒川神社へは江ノ島電鉄とJR在来線を乗り継ぎ約1時間をかけ寒川駅まで。

経路

11:45
寒川駅到着、寒川神宮の最寄り駅は宮山駅ですが、一駅前で降りて線路沿いを10分程歩いたところにあるRAMENブリキの木こりで昼ご飯。

店舗はカウンター5席程とテーブル席一つと小さな店構えですが、こちらで頂いた塩にんにくラーメン(上)が絶品だった。
最近食べたラーメンの中では自分好みでベスト1かもしれない。
澄んだスープは程よい塩とにんにく風味、そして背油が細めんによく絡みとても美味しかった。
かみさんが頼んだ生姜醤油ラーメン、風も強く寒いこんな日には体が温まるもの。
久しぶりに美味しいと感じたラーメン、普段はごちそうさまぐらいしか言わないが、この時は「美味しいラーメンありがとう」と声かけをさせてもらった。
心して喰らえ的な押し付けがましい店ではなく、雰囲気のいい店だった。

ブリキの木こり
所在地 / ​神奈川県高座郡寒川町一之宮3-2-11

お腹も満たされ、身体も温まったところで寒川神社に向け歩き出す。

12:30


RAMENブリキの木こりから5分程歩くと、踏切の先に一ノ鳥居と社標が現れる。
近いじゃないかと喜んだが松並木に挟まれた参道の遥か先を眺めても社頭らしき姿がない。

参道を10分程進むとニノ大鳥居が現れる、そこから小さく社頭の姿が見て取れる。
実に長い参道で、この鳥居を過ぎたあたりから社頭方向に向かう車が渋滞を始めた。
その大半は寒川神社に向かう参拝客の車、駐車場待ちで流れが滞っているようだ。
当日は平日、特に祭礼日でもないが凄い列だ、流石に相模之国一之宮だけの事はある。

ニノ鳥居から5分程で漸く神橋の先に三ノ鳥居が現れる。
社頭前は寒川神社前交差点、駐車場に入る車で滞った道路は全く流れない、歩いて正解だタクシーなんか乗ったらメーターが加算されるだけだ。

神池、噴水の先の像は相模薪能石橋の銘があったがそれ以上の事は分からない。


境内の由緒。
内容は以下。
「祭神 寒川比古命寒川比女命の二柱の神を奉称して、寒川大明神という。
例祭日 9月20日(9月19日例祭宵宮祭・流鏑馬神事)  
当神社は日本総国風土記によれば、雄略天皇(457~479)の御代に奉幣の記録が残る。
神亀4年(727)社殿建立と伝わり、1600年以上の歴史を有す。
以後、延暦16年(797)桓武天皇を始め、歴代奉幣の記録が残る。
承和13年(846)に神階従五位下を始めとする神階授与がなされています。
醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳相模国十三社の内、名神大社と定められ関東地方の信仰の中心をなす。
中世、源頼朝、小田原北条氏累代による社殿造営、社領の寄進等あり、武田信玄からは武運長久を祈願し兜が奉納されるなど崇敬が篤く、徳川家代々においても社殿再建、社領の寄進など古来より武家からの崇敬の念は篤いものがあった。
明治四年国費から幣帛料が奉納される国幣中社に列せられた。
その後、大正時代の関東大震災、昭和の大東亜戦争終戦後、昭和21年神道指令により、神社の国家管理を廃され神社本庁の包括神社となる。
戦後日本全体の復興とともに八方除信仰を中心として全国の崇敬者から崇敬、参拝されている。
平成9年本殿、幣殿、拝殿、翼殿、廻廊等の増改築が行われる。
神聖なる神嶽山を背に約1万5千坪を有し、平成21年に本殿奥庭の禁足地を「神嶽山神苑」とて開苑。」


寒川神社楼門。
この神社では毎年楼門に「迎春干支ねぶた」を掲げ、参拝者を迎えるのが慣例だされます。
今年は国家安泰、五穀豊穣の神「瓊瓊杵尊」(左)と、安産の神「木花咲耶姫」(右)、中央に木花咲耶姫の子「火遠理命」のねぶたが架けられ、夜には明りが入り毎年このねぶたを楽しみに訪れる参拝客も多いと云う。
日没から22時まで毎日灯され2月23日まで飾られるようです。

神門から拝殿の眺め。

大きな千鳥破風と唐破風向拝を持つ大きな拝殿。
社殿は全て新しく、神門は1993年(平成5)、拝殿は1997年(平成9)に手が入れられたようです。
祭神は寒川比古命寒川比女命の二柱を祀り、寒川大明神と呼ばれる。
寒川大明神は相模國を中心に関東地方を開拓された神で、衣食住など生活の根源を開発指導され、関東地方の文化の生みの親神様として崇敬されてきた。

 
寒川神社は江戸の裏鬼門にあたる南西(坤)の地に鎮座しており、社殿も南西(坤)を向き建てられています。古来より関八州の守護神、江戸の裏鬼門を護る神社として崇敬され、八方除・方位除の神様としても信仰されてきたと云う。

寒川神社は、相模國一之宮と称され、全国唯一の八方除の守護神として約1600年の歴史を持つ神社です。古くは朝廷をはじめ、源頼朝武田信玄、徳川家代々、さらには民間と幅広く崇敬された。
現在は八方除の神徳を戴くため全国各地から崇敬者が集まります。
参道の長い車列はこちらで八方除けのお祓いを祈願する参拝者のもので、境内右側の社務所ではとんでもない列が出来ていた。

拝殿とその奥に見えているのが本殿の大棟だろう、本殿や幣殿は神嶽山の社叢が包み込み全体を見通せなかった。

拝殿のねぶた。
一説には200人同時に祈祷する広さがあるという。
それくらいでなければ祈祷を待つ長蛇の列はさばききれないだろう。
これで普段の平日なんだという。

14:00
参拝を済ませ、御朱印も頂いた、かみさんによればこの時期だけかもしれないが通常御朱印はなく写真の特別御朱印のみなんだとか。
最後に社地をぐるっとひと回りして本殿、神嶽山が見れないか見て廻る。
社地は社叢で囲まれているけれど、神嶽山後方の生垣が一部切り取られ禁足地の様子が見てとれるようになっていた。

相模國一之宮寒川神社
創建 / 不明(雄略天皇(457~479)の御代に奉幣の記録)
祭神 / 寒川比古命寒川比女命(寒川大明神)
所在地 / ​高座郡寒川町宮山 3916

一回りして少し早いが宮山神社北側の「鎮守の杜Koyo」でお茶を頂いて一休み。
写真は八福もちセット、歩き疲れた体に甘みと暖かいお茶が嬉しい。
鎮守の杜Koyo
所在地 / ​神奈川県高座郡寒川町宮山3861

鎌倉、混んでいるとはいえこれでもまだ海外からの旅行客は戻っていない。まだいいタイミングで訪れたのかもしれない。
一息入れた後は一駅先の倉見駅まで30分程歩いて家路に着く。

倉見駅から小田原駅電車移動 / ​約一時間
小田原から名古屋駅 / ​約一時間
参拝日 / 2023/01/18
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