群馬県太田市世良田町鎮座「世良田東照宮」
太田市の南西に位置し、西に伊勢崎市との境も近く、利根川左岸沿いの早川の東に広がる広大な田畑の中に鎮座します。

一帯には歴史資料館と世良田東照宮、太田市歴史公園がありますが、もともとは世良田東照宮と長楽寺の領地で神仏分離までは一つの寺として多くの塔頭寺院があったようです。

その新田郡を新田義重が新田荘として再開発し、私領を手放しその資金で長楽寺の再興を図るなど、この地の礎を築いたと云われます。
義貞は鎌倉幕府を倒したことでも知られ、新田荘資料館の前には義貞の銅像が立てられています。
また、この地は徳川所縁の地でもあり、一帯には所縁の地や遺跡などが点在します。

東照宮創建時、幕府により建てられたもので、当時は門の左右に白壁が80㍍に渡って繋がっていたそうです。
江戸時代は平常閉ざされ、門前での参拝だったようですが、正月と家康公薨去日4月17日などは特別に開かれ、拝殿下の拝所からの参拝が許されたと云います。


描かれた当時と現在で建物の配置は大きく変わりはないようで、表門とあるのが小黒門にあたります。
ここには描かれていませんが境内の左側には移築された五重塔も建っていたようです。
境内左の稲荷社と社務所の左にある日枝社も当時のままです。(境内社は後日掲載)



境内には桜の古木が多く、桜の時期は楽しませてくれそうです。


写真は天保15年(1844)。

高さ4.95mで当時日本一大きい鉄燈籠。

御供水井戸。
社務所から拝観券(@300)を買い求め神殿域に入って最初に目にする井戸。
御宮へお供えする水を汲み上げるための井戸。
寛永21年(1644)、東照創建に幕府の命により造られたもの。
現在も滾々と湧き出ており、容器持参で汲み上げに来る方もいるという。

拝殿正面。
入母屋銅瓦葺、桁行(長側面)五間、梁間(妻壁のある面)3間の平入(妻壁のない側)で、前後の軒に唐破風が付くもの。
拝殿は日光東照宮奥社のものとして元和年間(1615~1623)に建立され、寛永17年(1640)~同19年に日光東照宮の改修に伴い、徳川氏発祥の地とされるこの地に移築された。
前日、ガラスの殿堂に収められた前橋東照宮を参拝しましたが、世良田東照宮の社殿は陽光に照らされ、朱も鮮やかで華麗な姿を見せてくれます。
建物の保存管理という避けて通れない難題解決の王道の姿だと感じる。

神殿域へは右の冠木門をくぐっていきます。
諸説云われますが、家康は堅実派で絢爛豪華なものを好まなかったと云われる事もあります。
個人的に思い描く家康もそうした人物だっただろうなと思います。
家康の思いが込められ最初に作られた日光東照宮の神殿、それがこの建物だと思います。
日光東照宮は圧倒的な規模と絢爛豪華な装飾が施された類を見ない美しい建物ですが、一庶民から見ると身の置き所のない別世界に感じてしまいます。
家康が望んだ形はそうしたものを望んでいたとは思えない。
後方の本殿域は現在(5月12日時点)、唐門・本殿・透塀が修復工事中で本殿域を拝み見る事は叶わなかった。

正面軒唐破風。
各間には職人の手で細かな装飾が施されていますが木鼻の意匠など比較的大上品なもの。

修復中の本殿にはこれと似たようなデザインの「巣籠りの鷹」があります、修復工事が終わった後に訪れた際は、見上げて見るといいでしょう。
松の木に作られた巣に3羽のひな籠り、左右から親鳥が見守る姿は、家族愛、子孫安泰、家内を守護する意味が込められています。それらは左甚五郎、狩野探幽により形作られたとされます。

レプリカかもしれませんが堂内には、狩野探幽の弟、永真安信をはじめ狩野休伯長信、狩野元俊秀信の三人によって描かれた三十六枚の歌仙図が掛けられています。
中央には世良田東照宮造営時に後水尾天皇より下賜された勅額(レプリカ?)が掛かる。
また、鏡を守護する様に左右に金色に輝く狛犬の姿も見える。


修復履歴は調べていませんが、全体の色合いは丁度落ち着き、煌びやかですが、過度な装飾のない上品なもの。

正面と意匠は似ているが鷹の姿は松の木の上で羽を休めている姿。
この鷹の姿は本殿の巣籠りの鷹と物語として繋がっていくものかもしれない。

三つ葉葵の紋は知られますが、所謂「三つ葉葵」と呼ばれるものは存在せず、この二葉葵をモチーフにしてデザイン化されたもの。
なんとなく山葵の葉に似てなくもなく、山葵の様に食用になるかは定かではない。

何度も書きましたが、修復作業中で姿は見ることが出来なかった。
工事の紹介から抜粋していますが、左下が本殿のあるべき姿。
左上は唐門の柱部分ですが、漆や彩色は剥離され、露わになった躯体の修復の後、新たに塗られていきます。
こうした修復工事は、文化財を修復する為の技術や将来の人材の育成にも繋がる。
仮にこうしたものが真空パックされ、永久保存する流れが行われたとすると、そうした技術や携わる人材も離れていく事になるのだろう。
参拝時が修復期間中に当たると残念ではあるけれど、あるべき姿を見るために再訪する動機にもなるだろう。

左は宝暦13年(1763)癸未に前橋藩松平朝矩により寄進されたもの。

境内社は別途掲載する事にします。

その手前に年輪を重ねたソメイヨシノの老木に目が止まります、なんでも群馬県では一番太い樹だという。
割れ目が入りながらも青々と葉を茂らせ、木の勢いは衰えていない見事な桜です。

鎌倉時代に長楽寺別院として建てられ、灌頂を行う水を汲み上げるために作られた井戸。
現在残るものは寛永19年(1642)に作り替えられたもの。

南御門と呼ばれ世良田東照宮の南にあり、道路の向かいは新田荘歴史資料館になります。
当初は現在地より更に南に建てられていたようです。

配祀 / 菅原道真公(学問の神) 、倉稲魂命(穀物、商売繁盛の神) 、須佐之男命(愛、農業の神)、大穴牟遲命(招福、医療の神)、誉田別尊(安産、育児の神)、伊弉冉尊(結婚、火防の神)、火産霊命(車、縁結びの神)、建御名方神 (スポーツの神)、豊城入彦神(開運の神)。