郡上の城下町を南北に延びる道筋『職人町』その北側突き当りが「凌霜隊」ゆかりの地『長敬寺』に行きつく。
立派な山門の彫を眺めながら明るい境内に入る、正面に本堂、左に鐘楼の配置。
1601年(慶長6年)、八幡城主遠藤慶隆が、古今伝授の祖といわれる東常縁の玄孫の正勧坊正欽が、出家し飛騨高山の照蓮寺にいると聞き、これを招いて創建、自らの
菩提寺とした。
本堂裏側に遠藤慶隆のものと云われる墓が残っている。
1868年(慶応4年)、
江戸城開城に際し郡上
藩士45名により「凌霜隊」を結集。
会津藩への支援として
会津若松城の「白虎隊」と共に政府軍と合戦、
会津藩降伏により「凌霜隊」は
郡上へ護送、投獄された。
厳しい投獄生活で犠牲者が出るのを見かね、城下寺院の嘆願で1869年(
明治2年)に長敬寺へ移送。
翌年釈放されたものの、その一生は苦しいもので「心苦雑記」に記されている。
撮影2017/05/19
住所 /
岐阜県 郡上市八幡町職人町742
TEL / 0575-65-2440
緯度 35°45'13.63"N 経度136°57'21.58"E