「天王社」名古屋市守山区喜多山

名古屋市守山区喜多山1-1
「慶生壽龍神」から瀬戸街道を15分程東へ向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200320152513j:plain 瀬戸街道を横切る名鉄瀬戸線(瀬戸電)の踏切が現れます。
運悪く上下線が通過するタイミングだと結構長く感じるかも知れません、この光景は昔のままです。

慶生壽龍神からここまで10分程、なので約1,000歩くらいか。
踏切を超え、ここから5分程先にある、市バス「喜多山」バス停前の「天王社」を目指しています。

f:id:owari-nagoya55:20200320152539j:plain 通りから祠らしきものは見当たりません。
踏切から5分程で喜多山バス停が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200320152606j:plainバス停の北側が「天王社」の境内で、玉垣もないので境内奥にポツンと佇む「赤い覆屋」が目印。

街道沿いに面した広い境内に複数の樹が植えられ、間口の中央に植えられたも樹は恰も蕃塀の様でもあり、瀬戸街道を車で走っていると意外に目立たない。
ましてや駐車場はないので車は足手纏いになる、ここはバスか「瀬戸電」がいい。

f:id:owari-nagoya55:20200320152632j:plain 広い境内の小さな「赤い覆屋」、なんとも羨ましい住環境だこと。
外観はこの辺りで良く見かける天王社の典型的なスタイル。
覆屋の中に赤く塗られた板宮造の小さな社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200320152657j:plain 「天王社」正面全景。
赤く塗られた賽銭箱に志を投入、まずはお参り。
扉は閉ざされお札は見て取れません、社の下に小さな木像が祀られているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200320152724j:plain 円空仏ではあるまいが、天王社ということなので牛頭天王だと思われますが、髪の形から女性のように見えなくもない。
志を持って一本の木からこつこつと削り、一つの形にしたもの。
目鼻もしっかり彫られた素朴な像は、動機は分からないけれど彫られた方の志が伝わってきます。
妙に魅かれる素朴な像です。

f:id:owari-nagoya55:20200320152805j:plain 西側から見た全景、社の形がシルエットになり見て取れます。

f:id:owari-nagoya55:20200320152833j:plain 覆屋の中に小幡一番組として寄附者の氏名が誇らしく掲げられていました。
多くの方により守られているようです。

f:id:owari-nagoya55:20200320152859j:plainこの天王社がいつからあるのか詳細は分かりません。
覆屋後方に回り込んで見ると寄付者氏名の板の裏に1998年9月と記されているので、これが唯一の創建に繋がるものかもしれません。
現在の住所は守山区喜多山ですが、1996年(平成8)に以前の守山区大森と字大森の一部が一つとなり喜多山が成立したもので比較的新しい町ですが、当時でもこの地は小幡ではない。

f:id:owari-nagoya55:20200320152925j:plainもう少し遡り東春日井群の一部として小幡村、大森村が含まれてた頃から建っていたものであれば、ここに小幡の地名が掲げられていても違和感はないのか。
或いは守山町、守山市守山区と移り変わってくる中で、昔の地域名で講の組が残り1998年に建立されたものなのかもしれない。明確にできないことを書き連ねても仕方がない、考えるのはやめよう。

すく北側に「瀬戸電」喜多山駅がありますが、瀬戸電機鉄道開業に伴い出来た駅で、ここから北の北山という地名を引用し、縁起のいい字を使い「喜多山」としたそうで、現在の町名もここからきています。
いい字ですよね。

f:id:owari-nagoya55:20200320152950j:plain 境内西側の庚申塔
元からここがコミュニティーの場だったのか、土台が新しので何処からか移されたものか定かではありませんが石の表情は味のあるものです。

f:id:owari-nagoya55:20200320153015j:plain 社後方からの眺め、瀬戸街道を見据えるように建っています。
素性は分からないけれど、地域の厄払いの神として多くの方に守られている喜多山の天王社。
素朴な木像が印象に残ります。

「天王社」
創建 /   不明
祭神 /   牛頭天王
住所 /   名古屋市守山区喜多山1-1 
公共交通機関アクセス / 名鉄瀬戸線「喜多山」駅下車南に徒歩で5分程
慶生壽龍神から / ​瀬戸街道を徒歩で瀬戸方面に15分程

ここに来る途中の小幡南にも以前は同様の天王社がありました、最近訪れた際に既に無くなっていた事を書き加えておきます。

sakura watch 曹洞宗 寿昌山 大永寺

少し暖かくなるとこの時期はsakuraを探しにふらふらと出歩くことが多くなります。
3月15日、守山区にある寿昌山大永寺の桜を見に行ってきました。
ここは山門脇に植えられた桜が満開になると山門に彩りを添え見事な趣を演出してくれます。

f:id:owari-nagoya55:20200318093044j:plain2017/3/26に訪れた時​の桜は満開には少し早かったけれど、それでもピンクの桜で着飾った山門は目を引くものがあります。

f:id:owari-nagoya55:20200318093109j:plain 山門西側から見る桜、樹齢は分からないけれど、満開が近づくと枝につけた花の重みに悲鳴を上げるように枝は垂れてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200318093132j:plain 異常気象とはいえ、さすがに早かったようですが、つい最近まで殺風景だった枝は薄い桜色に色付いてきました。
どうでしょうね、あと一週間もすると見上げると一面ピンクに染まっているのでは。

f:id:owari-nagoya55:20200318093158j:plain 訪れた時には沈丁花?の甘い香りが境内に漂っていました。
まだまだ主役は譲れないぞっと。

今年も桜の時期が近づいてきました、外の空気を吸いに行こう。

寿昌山 大永寺

住所 / 名古屋市 守山区大永寺町208

アクセス / 市営地下鉄 大曽根ゆとりーとライン川宮下車、徒歩20分

『兒子八幡社』

名古屋市北区志賀町
経王大菩薩」から上街道を5分程北へ進むと、堀川に架かる「くろかわはし」に行き着きます。f:id:owari-nagoya55:20200316215549j:plainいかにも冬らしい寒々とした光景ですが、堤の桜が咲き出すと一気に華やいだ表情に変貌します。
ここから目と鼻の先の志賀橋交差点を左へ進みます。

f:id:owari-nagoya55:20200316215624j:plain 志賀橋交差点から一本西の上街道を5分程北上すると次の目的地「児子八幡社」の玉垣が見えてきます。

f:id:owari-nagoya55:20200316215650j:plain 交差点の南の社頭から眺める境内、南北に長くニノ鳥居の前で車道が境内を二つに分断しています。
社頭からまっすくに延びる参道はニノ鳥居の先の蕃塀に続きます。

社頭左の寶祚長久、右に國家安泰の石標。
その奥に「八幡社」社号標、あれ?「児子八幡社」じゃないの?間違えたか。
取り敢えず一ノ鳥居から広い境内を拝殿に進む。

f:id:owari-nagoya55:20200316215715j:plain 一ノ鳥居から境内を分断する車道の手前まで来ると、左の小高い場所に瓦葺の小ぢんまりとしたお堂が佇んでいます。これは秋葉神社
子供の頃は身近にあった光景です、街中に今もこうした光景が残っているとは、氏子の方達から厚く崇高されているのが伝わってきます。

f:id:owari-nagoya55:20200316215738j:plain 鬼瓦には葉団扇の紋も入ったお堂の中には社が祀られています。
境内社として古くから祀られたものなのか、都市開発でここに遷座してきたのか定かではありません。
しかしここに祀られている限り、この先も地域の火伏の神として受け継いでもらえそうです。

f:id:owari-nagoya55:20200316215801j:plain 境内を分断する車道の手前に来て、ニノ鳥居の右に「兒子社」の社号標が現れる。

f:id:owari-nagoya55:20200316215825j:plainニノ鳥居からの全景。
拝殿は蕃塀が遮り見通すことは出来きません。

f:id:owari-nagoya55:20200316215847j:plain 「兒子社」の社号標から切妻造の拝殿、幣殿と本殿の眺め。
右手に手水舎と鉢はあるものの清水は注がれていませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20200316215909j:plain 内研ぎの千木と鰹木が施された蕃塀は立派なものです。
鳥居からはこの蕃塀が社殿の様子を目隠ししています。

f:id:owari-nagoya55:20200316215931j:plain 拝殿左に一本楠木の巨木が聳えています、その左の建物が社務所
普段は無人の様です。

f:id:owari-nagoya55:20200316215953j:plain 御神木の楠木は拝殿、社務所を覆わんばかりの見事な枝ぶり。
その佇まいはただ物ではない、根本に掲げられた御神徳には「御神木に触れた手で幹部を擦ると病が治癒」するそうです。
樹齢は分からないけれど長い年月を経てきたものが持つ不思議な力を感じさせるものです。

f:id:owari-nagoya55:20200316220021j:plain 南を向いて立つ四方吹き抜けの拝殿。
キラキラ輝く飾り金具は敢えて付けない、そう感じさせるシックな佇まいは個人的に好きなものです。

f:id:owari-nagoya55:20200316220047j:plain 拝殿前の狛犬

f:id:owari-nagoya55:20200316220113j:plain 空を覆わんばかりの見事な枝ぶりの御神木です。

f:id:owari-nagoya55:20200316220139j:plain 拝殿全景。
見た目の派手さはないけれど、各所に施された彫に自然と視線は行くものです。

f:id:owari-nagoya55:20200316220202j:plain 拝殿から本殿方向の眺め。
拝殿右に「児子八幡宮」と左に「兒子宮」の額が掲げられ、祭神は応神天皇天之御中主大神菅原道真とあります。
幣殿に続く渡り廊下の左右に小ぶりな狛犬の姿が見えます。
拝殿は渡り廊下で社務所にも繋がっています。

f:id:owari-nagoya55:20200316220227j:plain 渡り廊下の左右で幣殿を守護する狛犬
吽形は廊下の先にあり、全容が掴みにくいけれど台座には「伊藤萬蔵」とある。

地元のおじいさんに出逢い「昔は子供も多く賑わったもの、そこの狛犬は是非見て行ってくれ」と教えられました、それがこの狛犬です。
通りすがりに訪れた者にはこの狛犬が持つ意味合いは分からない、地元のご高齢の方にとってこの伊藤萬蔵狛犬は特別な意味があるようです。

f:id:owari-nagoya55:20200316220253j:plain 本殿の右の境内に二つの合社があります。

f:id:owari-nagoya55:20200316220317j:plain 本殿右に南を向いて二つの合社が整然と並ぶ。

f:id:owari-nagoya55:20200316220342j:plain 左の合社には五社が祀られていて、左から地主社、津島社、多賀社、保食社、山神社。
右の合社には三社、左から八釼社、神明社、熊野社が祀られる。

f:id:owari-nagoya55:20200316220407j:plain 合社の右に「臥牛像」
その先には天神社は見当たらない、本殿域にあるのかい?どういう事?

「ご自身の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めてお互いに撫でさすれば身体健全はもとより病気全快するといわれ、また神牛の頭部を同様に撫でさすれば知恵がつくといわれる」

f:id:owari-nagoya55:20200316220432j:plain 合社側から本殿の眺め。本殿の後方には安栄寺が控えています。
兒子社について「名古屋市史」と「尾張名所図会」を調べて見ました。
名古屋市史の記録によれば以下のように記されています。
『兒子社は西春日井郡金城村大字東志賀八幡神社境内の西側にあり、もと児の宮、又は児の御前社と称して、同郡西志賀村綿神社の東辺に在りて、同社の摂社なり地は東四賀村に属す境内二畝歩あり、除地なりき、今畑となるに在りて、同社の摂社なりき、昔より小児の守護神として崇敬せらる。』

f:id:owari-nagoya55:20200316220457j:plain1772~1780年(安永年間)には尾張藩主から崇敬され、何度となくこの神社に参拝、そうした事から藩からは厚遇されていたようです。
尾張名所図会」には子供の健康を願うため、子を背負い児の宮の神事(赤丸神事)に訪れる親子の姿や本社の綿神社へ参拝に向かう様子が記されています。

更に1874年(明治7)に現在地の八幡神社の境内神社として遷座、その際に改造遷宮された様です
祭神は天御中主尊。社号標が八幡社と兒子社の二つなのがなんとなく腑に落ちた。
上の絵からすれば現在の八幡社は更に右に位置します。
ただ八幡社の由緒がさっぱりわからない、1874年ということはないはずです。

f:id:owari-nagoya55:20200316220520j:plainこの様に賑わった兒子八幡社も、先ほど出逢ったおじいさんが云われていたように赤丸神事に訪れる方は少ないのかもしれません。
これだけ広い境内がありながら、鼻水垂らして遊びまわる子供の一人もいやしない。

2020/3/11

『兒子八幡社』
創建 /   不明
祭神 /  応神天皇天之御中主大神菅原道真
境内社(確認が取れたもの) / 地主社、津島社、多賀社、保食社、山神社、八釼社、神明社、熊野社
住所 / 名古屋市北区志賀町1-65
公共機関アクセス /  市営地下鉄名城線「志賀本通」下車西へ10分程
経王大菩薩からのアクセス / ​上街道を北上、堀川を超え10分程

『香積院』枝垂桜咲き始める

「香積院」
昼頃まで降り続いた春の雨も午後には降りやみ、名古屋市昭和区川名山町まで出かけてきました。

f:id:owari-nagoya55:20200314205314j:plain今日の主役は西村公朝作監修による天井画や一葉観音像でもありません。
境内に咲く樹齢100年を超える「しだれ桜」が主役です。

f:id:owari-nagoya55:20200314205338j:plainこの時期になると山門先に見える丸い入口が個性的な丸門から覗くピンクの彩りが人目を引き付けます。

f:id:owari-nagoya55:20200314205359j:plain昨年は4月4日に訪れピークは過ぎていましたが、暖冬の今年はどうだろうかねェ。
下見で訪れましたが、見頃にはまだ少し早かったかナ。
よろしくない自粛ムードが漂うけれど、サクラは今年も咲いています。

f:id:owari-nagoya55:20200314205422j:plain丸門から覗くピンクの花びらはまだまだこれから、盛期には本堂が隠れんばかりに咲き誇ります。

f:id:owari-nagoya55:20200314205443j:plain境内から枝垂桜の全景。
ことしも見頃が近づいてきました、外に出よう。
2020/3/14

「香積院」
住所 / 名古屋市昭和区川名山町115
公共交通機関アクセス / 市営地下鉄鶴舞線「杁中」駅下車、徒歩で北に約10分

低温調理器 がやってきた

低温調理、随分前から注目されていた調理法です かみさんはTVの影響を受けずっと興味を持ち続けてはいたけれど、昨日家に帰ると見慣れぬ円筒形の物が置かれていた。「なんじゃこれ?」 正体を訪ねると「低温調理機いま届いた♡」と満面の笑みを浮かべ説明してくれた。 「ただ真空パックする包装機が届いていないので使えないけど」 「まずはどんなものか様子を見て安い機種を手あたり次第調べて決めた」そうな。 調べている時が一番楽しいもので、随分見ていたのは知っていたが我が家にもついに来たか。 低温調理? おやじ的発想で云えば、水風呂から浸かり、指定湯温まで 湯温を高めゆっくりと温める風呂・・・・・的な 風呂は生まれたままの姿で浸かるけれど、それだとおやじエキスはお湯に溶け込んでしまう。 なのでエキスが溶け込まない様におやじは真空パックされるらしい。 何かこの調理は独身の頃にジップロックでやってたぞ「何が違うの?」と尋ねると「一定の温度で長時間維持できるのがポイントなのよ」だそうです。 大好きな焦げ目は?、「後で付けるものよ」 これ以上聞くと目が三角になりそうなので「楽しみが増えたじゃん」でここは丸く収める。 作り手が温度計と時計を睨めっこして作る事を思えば「楽ちん」は当然でしょう。 過程を知らない食べる側からみれば「美味しい」で終わってしまいます。 作り手が楽ちんで安い食材にひと手間加えることで味わいが増す。 イージースモーカーもそうですが普段とは違うものに豹変するものです。 「巣ごもり」が続く日常、気分転換になるのであれば低温調理機、ありなのかもしれない。

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そんな彼女が選んだのがこれ。 低温調理器 Felio Sousvide cooking F9575 19,800円(税込)・・・・・おやじの月の小遣いですね

と思いきやwebで9,800円だったらしく購入に踏み切ったらしい。

 この額なら「様子見」は理解できるところ。 本体は高さが約370mm、先端の操作部分の幅が約80mm、鍋に挟み込むクリップ?を含めた先端の奥行は約160mmくらい、持った感じは1.5literのpet飲料程度の重さかな。 

製造国はあの大国。

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まだ使う機会はないけれど、使い方は水を張った鍋に器具を固定し、指定温度・時間を設定しスイッチONでいいようです。あとは水が循環されほったらかしでいいようです。 因みに1000kwの出力で温度設定は0.5℃で調整可能。

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 設定パネルは5つのボタンとシンプル、取説は見なくてもいけそうです。

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 付属のレシピ、初心者はやはりここから入っていくだけに、もう少し内容を充実させてほしい。 女性はこんなレシピがなくても使いこなせるのだろう、おやじの視点から見るとレシピ が全て。

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 低温調理で何が作れるのか? おやじの感覚では肉肉星人には重宝するもの?くらいしか思い浮かばないけれど、きっと幅広い用途があるのでしょう。そこは我が家のシェフがこれから披露してくれる事でしょう。

何を作ってくれるやら、楽しみでもあります。

 

 

 2020/03/21
低温調理で自家製チャーシューを作ってみた

f:id:owari-nagoya55:20200322202119j:plain散歩から帰ってくると見慣れぬマシンがテーブルの上に置かれていた。
先日買った低温調理器には必需品の真空パックマシンが届いたらしい。
・・・・・真空保存可能なマシンを買ったと思えば用途は広いか?

f:id:owari-nagoya55:20200322202253j:plain見た目はラミネーターの様なこのマシン。
結構優れもの(どこも同じだとおもいますが)で、専用パックに素材を入れ、マシン上部のカバーを開けて黒いパッキンの上部までセットします。
カバーを閉じ電源ON、パッキンの丸の内側右に突起があり、ここから内部のエアーを抜きつつ密閉されていきます。

f:id:owari-nagoya55:20200322202320j:plain上はローストビーフ用の素材をパックした写真です。
布団圧縮でもしているかのように気持ちよくエアーが抜けていく。
この日はチャーシューを作るということで、スーパーの特価で買った豚肉を前日から砂糖、醤油、みりん、しょうが、にんにくに漬け込んでいた物を真空パック
内部の空気は外に排出されるのでキッチンにはいい香りが漂います。

f:id:owari-nagoya55:20200322202342j:plain次に本体の設定。
初めての調理なので温度設定は63℃、調理時間は8時間にセット。

f:id:owari-nagoya55:20200322202406j:plainずん胴にお湯を満たし、調理器をずん胴にセットして調理開始。
調理とはいってもここからは機械にお任せで、後はほったらかしでOK。
鍋の中では対流が始まり設定温度まで昇温、温度を維持してくれます。
今回は焼き目は後から付ける事にしたのですが、最初に付けたりするようです。

f:id:owari-nagoya55:20200322202435j:plain運転終了後に焼き目をつけて夕食に出てきた自家製チャーシュー。
安い肉は意外にも柔らかく仕上がっていて、中はとてもジューシィー。
晩御飯のおかずにするにはもったいない、晩酌のお供に最適です。

イージースモーカーで作るハム・ベーコンに加え、低温調理で作るローストビーフやチャーシュー。
どちらもお手軽にできて手間がいらないだけにこれはいける。
そのうち「食べるだけではなくたまには自分でやって」と云われそうだ。

名古屋市守山区小幡1 「慶生壽龍神」

小幡中の「天王社」から東に向かいます。
道はやがて県道15号線(名古屋多治見線)にぶつかるのでそこは右へ、その先の瀬戸街道方向に向かいます。

f:id:owari-nagoya55:20200313210235j:plain 名鉄瀬戸線の小幡北口ターミナルが見えてきたら、その前を左右に延びる道が瀬戸街道です。
瀬戸街道を左に進みます。
それにしてもお洒落な駅前になったもので、近くには焼き鳥で一杯ひっかけられるお店も見かけるし、我が町に比べるとなんとも羨ましい。

f:id:owari-nagoya55:20200313210259j:plain 瀬戸街道から東の瀬戸方向の眺め。
気のせいか普段の通りに比べ、妙に車も人も往来が少なくないかい?
今回の目的地の守山区小幡1丁目「慶生壽龍神」はこの道を歩き始め、最初に現れた横道を左に入ります。

f:id:owari-nagoya55:20200313210325j:plain 横道を左に入るとご覧の様な眺め、静かな住宅街が続きます。
ご覧のように細い路地が続き駐車スペースはありません。
この写真の左側に目指す「慶生壽龍神」が見えています。
左に一本の巨木、看板の陰に隠れてしまう程小さな社がそこにはあります。

f:id:owari-nagoya55:20200313210347j:plain 御神木の全景、
表面は苔むし、歳月の流れを感じさせます。
住宅地に唯一残されたこの木の樹齢がいかほどなのか推定も出来ませんが、瀬戸街道からほど近い場所でこの地の変貌を見続けた木である事は事実です。
その袂に小さな社が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200313210414j:plainこの木が仮に樹齢100年として、当時のこのあたりはここから東に一面に田畑が広がり、南に矢田川はありますが僅かに標高が高いことから田畑を潤す水は溜池が主となります。
そうした事から雨を司る龍神が祀られていきますが、ここもその一つなのかも知れません。

f:id:owari-nagoya55:20200313210437j:plainいつ頃どなたが祀ったものなのか「慶生壽龍神」の詳細は全く分かりませんが、水にまつわる何かの出来事があったのでしょう。
それともこの木には古くから龍が住んでいるのでしょう。

f:id:owari-nagoya55:20200313210457j:plain 本来は一区画全面駐車場としたかったのでしょうが、御神木と社の存在がそれをさせなかったのでしょう。それだけこの龍神様はこの辺りでは認知されている証なのかもしれません。
フェンスで囲われた小さな「慶生壽龍神」、看板で社の存在は遠目に分かりませんが、大きく枝を張った一本の木はここが特別な場所であることを主張しています。

f:id:owari-nagoya55:20200313210519j:plain 駐車場のフェンスの隙間から板宮作りの社側面の眺め。
通りに社名は掲げられてはいませんが、この位置から見ると御神木と社後方の僅かな隙間に「慶生壽龍神」と書かれた木札が立てかけられています。
写真に収めるには苦しい場所ですが、社の足の辺りに「龍神」の文字が読み取れます。

供えられた榊は生き生きとしており、現在も面倒を見る方がお見えのようです。
個人で祀られたものか、町内で祀られたものなのか定かにはなりませんが、龍神を拝みに来られる方がいる限り、全面駐車場にされることはないでしょう。
せめて、ここに龍神を祀る必要があった出来事が掲げられていると、この小さな社の意味が地域に浸透していくのかも知れません。
何事も動機があるはずです。

「慶生壽龍神
創建 /   不明
祭神 /  不明
住所 / 名古屋市守山区小幡1-1-29
公共機関アクセス /  名鉄瀬戸線「小幡」下車 徒歩2~3分
小幡中の​天王社から徒歩で10分ほど

名古屋市北区清水『経王大菩薩』

「八王子神社 春日神社」から上街道を清水北公園の西側あたりまで5分程北上します。

f:id:owari-nagoya55:20200311210224j:plain交差点の左角に赤い鳥居が見えてきます。
この道を更に進めばその先は堀川です。

f:id:owari-nagoya55:20200311210248j:plain今歩いて来た道を振り返ってみます。
この界隈は徒歩が一番。
車で訪れ、一度道を間違えると幅員は狭く、一方通行の道路待ち構えています。
駐車スペースもありません。

f:id:owari-nagoya55:20200311210310j:plain「経王大菩薩」、上街道の名残を感じさせる道筋にお稲荷さんをイメージさせる赤い鳥居が建っています。江戸時代末期まで続いた神仏習合の名残を留めています。

f:id:owari-nagoya55:20200311210332j:plain「最上位(さいじょうい)経王大菩薩」と書かれた扁額。
見慣れない「神社」、グーグル先生に聞いてみた、岡山県最上稲荷妙教寺の本尊を指すようです。
なので「寺」が正解なのかも知れません。
諸説ある「日本三大稲荷」、最上稲荷はその一つに数えられるようです。
あまり見かけた記憶のないお稲荷さんです。

f:id:owari-nagoya55:20200311210357j:plain角地の小さな境内。
稲荷のイメージカラーの赤はあちらこちらから視界に入ってきますが、狐は不在の様です。

f:id:owari-nagoya55:20200311210415j:plain境内右に手掘り感満載の手水鉢。
ひとつの目的を持ち、形にしようとした人のエネルギーが伝わってきます。

f:id:owari-nagoya55:20200311210438j:plain境内全景。
中央に赤い屋根の社、左右に石標が祀られています。

f:id:owari-nagoya55:20200311210457j:plain右に自然石の碑が二つ。
手前の碑、PCで見ればと思っていたが「塚」は読めるけれど他は読み取れませんでした。
これを書いている今、この「塚」の特別な意味が知りたくなってきました。
奥は「南無妙法蓮華経」と刻まれています。

f:id:owari-nagoya55:20200311210521j:plain最上稲荷妙教寺は1200年以上の歴史を持つ古刹で、752年(天平勝宝4)孝謙天皇の病気平癒も叶えた寺として知られ、家内安全、合格成就などその人に応じた願いを叶えるご利益があるそうで、地元では「最上さま」として親しまれているようです。
愛知県の最上稲荷緑区の立徳寺、小牧市の實(実)相寺とここだけのようです。

f:id:owari-nagoya55:20200311210552j:plain中央の社。
コンクリート?で作られた社、内の様子は窺い知れない、ひょっとする狐がいたのかもしれない。
紫の幕は近年新調された様で現在もここを繋いで行く、コミュニティーか個人が見える様です。

f:id:owari-nagoya55:20200311210618j:plain左には「秋山自雲霊神」と刻まれ、秋山自雲功雄霊神と云うそうで江戸浅草玉姫町にある本性寺の境内神で,痔の病に悩む方にご利益があるとされる神。
幸いにもおやじにそうした悩みはないけれど、こうした神が必要だったからこそ祀られたものでしょう。
苦境に陥った時には神頼みもありです、悩んでいる方は一度訪ねてみては如何でしょうか。
その際には、ここは寺なので拍手は不要だと思いますよ。

上街道脇ということもあり歴史を感じさせますが、いつ頃からここに祀られるようになったのかはわかりませんでした。
2020/3/11

「経王大菩薩」
創建 /   不明
祭神 /   最上位経王大菩薩
住所 / 名古屋市北区清水5-20
公共機関アクセス / 市営地下鉄名城線「志賀本通」駅下車、徒歩で南に10分程
八王子神社春日神社からのアクセス / ​神社東から上街道を北上、徒歩5分程