「真言宗鶏足寺」名古屋市北区如意

名古屋市北区如意、有難い名前の町名じゃないですか

f:id:owari-nagoya55:20191209190205j:plain如意一丁目の交差点​に以前記載した大井神社​がありますが、その右側(東隣)に鎮座するのが「真言宗鶏足寺」です。
現在のこの道は古くからの如意の幹線道路であった。
時代と共に周辺の宅地開発により住宅が建つようになり、それに伴い新たな道が整備されていきます。
それに対し古くからあるあるこの道は整備には至らず、かつての幹線道路も今は過去の趣きが残る古い道筋のまま。

f:id:owari-nagoya55:20191209190215j:plain 上は「尾張名所図会後編三」 大井神社より大井神社部分のみ切り取り・拡大したものです。
鳥居右の杜の中に鶏足坊とあるのがここ「真言宗 鶏足寺」。
山門の前の通りが現在も残る道そのものです。

f:id:owari-nagoya55:20191209190224j:plain 現在の「鶏足寺」はご覧のようなコンクリート造りの一見民家の様で学校の校舎の様にも見える外観。

f:id:owari-nagoya55:20191209190233j:plain 尾張名所図会に描かれた鶏足坊の山門も現在はなく描かれた当時の面影はありません。

尾張徇行記にも鶏足寺の記述を見る事が出来ました。
「此の寺草創は知れず、再建は元禄年中・・・・・なり、蜂須賀村蓮華寺に属せしが、寛永年中より​味鋺護国院​に属せり」と書かれている。
その後は護国院の隠居所になったり、庵主さんが守る尼寺に変わったり、明治の一時期には寺子屋(義校)が開かれ、楠小学校の前身にもなったりと時代に翻弄された寺です。

この鶏足坊が現在の鶏足寺に名称が変わったのは、意外に新しく1952年(昭和27)と云われ、寺の外観は恐らくこの際に建て替えられたものだと思います。

f:id:owari-nagoya55:20191209190241j:plain 境内左の伏見稲荷
赤い鳥居と幟は大井神社の境内からも一際目を引きます。
無従寺ではないと思いますが、人の気配が感じられない鶏足寺境内。
参拝のためお邪魔させて頂きました。

f:id:owari-nagoya55:20191209190254j:plain 覆屋の下、新し目の台座の上に小さな社が祀られています。
詳細は分かりませんでした。

f:id:owari-nagoya55:20191209190306j:plain 伏見稲荷の右隣りには複数の地蔵が纏められています。
年号などは不明で、鶏足寺境内で唯一寺を実感するのがこの一画かも知れません。
昔の坊の面影は残っていませんが、古くから如意の移り変わりを見てきた古刹の様です。

鶏足寺
宗派 / 真言宗
開基・本尊 / 不明
住所 / ​名古屋市北区如意2-7​