「蔵王山 延命閣 地蔵院」

名古屋市北区大杉1「蔵王山 延命閣 地蔵院」

f:id:owari-nagoya55:20200215191342j:plain 名鉄瀬戸線尼ケ坂駅」を起点に周辺を歩いて見ました。
最初の目的地は駅から徒歩5分程の「蔵王山 延命閣 地蔵院」。

f:id:owari-nagoya55:20200215191415j:plain 「尼ケ坂駅」の南側道路の前に街中にしては大きめの公園、ここは「尼ケ坂公園」。
入口の二つの石には公園の紹介、尼ケ坂の地名の由来が記されたプレートが埋め込まれています。

f:id:owari-nagoya55:20200215191438j:plain 上は公園の紹介
「出会いの杜 尼ケ坂公園
 この付近は、名古屋城から見て北東の位置に当たり、古くは名古屋城の鬼門を守る"鎮守"とされていました。
今もなお、片山神社をはじめとして、長久寺、普光寺、久国寺など神社仏閣が数多く点在しています。
その中で片山神社はその昔、"片山蔵王権現"と境内一帯の緑は"蔵王の森"と呼ばれ、名古屋を代表する杜の一つとして有名でした。 現在では名古屋市緑地保全地区に指定されており、地域に息づく身近な自然との"出会いの杜"として親しまれている。」

下は尼ケ坂の地名の由来
尼ケ坂地名むの由来と伝説
片山神社に西から登るなだらかな坂道と、東から登る急な坂道があります。
それぞれ"尼ケ坂"、"坊ケ坂"と呼ばれていますが、江戸時代この地に住んでいた"権現小町"と呼ばれる美人の村娘と高位の青年武士の悲話が地名の由来伝えられています。 "尼ケ坂"はその昔、樹木が茂る中を縫うような薄暗い道で、坂上の名古屋台へ向かう通路として"尼ケ坂近道"とも呼ばれていました。 当時は、辻切りが多く出没し、通行人が被害を受けることもしばしばでした。 公園の西にある"地蔵院"は、その霊をとむらうようにと、久国寺の住職が、寺の門前にあった六地蔵の内一体をここに移して祭ったのが初まりといわれています。 名古屋市史跡散策路では、このような地域の歴史を紹介しています。 一度歩いてみてはいかがですか。」

なかなか分かりやすく書かれ、この散策路をトレースする感じでしょうか。

f:id:owari-nagoya55:20200215191505j:plainプレートに書かれていた片山神社と蔵王の杜は文政(1818年~1831年)に纏められた「尾張名陽図会」に絵として残されていました。
本殿の左上に「尼ケ坂」とあります、当時はこのような場所だったということです。
尼ケ坂の駅は本殿の右の崖下に位置します。

f:id:owari-nagoya55:20200215191528j:plain 現在は右の片山神社と左の尼ケ坂公園の間は、切り開かれて車道と歩道が作られています。
道路脇の擁壁の高さは名古屋台地と北の平地の高低差を物語っています。
写真は下が尼ケ坂駅方向にあたります。
因みに道路の上にかかる歩道橋から神社と公園を行き来することができます。
地蔵院はここから西の坂を下ったところになります、尼ケ坂を足で感じることになります。

f:id:owari-nagoya55:20200215191556j:plain 坂を下ると右手に先ほどの尼ケ坂公園と駅が見えます、坂を体感したくない方は公園から直接アクセスできます。
歩道橋先の杜の間から片山神社の本殿も見えています。

f:id:owari-nagoya55:20200215191618j:plain 「蔵王山 延命閣 地蔵院」全景。
尼ケ坂の傾斜地にグレーのシャープな塀で囲まれた地蔵院が建つています。
同系色の瓦が葺かれた入母屋造りの堂は塀とマッチし、境内の地蔵にかけられた前掛けの赤が浮き立っています。

f:id:owari-nagoya55:20200215191642j:plain 東側に境内入口。
「南無延命地蔵菩薩」と書かれた赤い幟が並びます。

f:id:owari-nagoya55:20200215191705j:plain 境内左に手水舎、小さいけれど瓦で葺かれ重厚感が漂うものです。
鉢に清水は注がれていません。

f:id:owari-nagoya55:20200215191730j:plain 下り棟の鬼瓦に五三の桐が施されています。

f:id:owari-nagoya55:20200215191758j:plain 境内右に赤い前掛けと帽子をかけられた六地蔵
毛糸で編まれた赤い帽子、今年は雪もなく温かくていいよね。

f:id:owari-nagoya55:20200215191826j:plain 全て地蔵さんは少し首を傾げてやさしい笑みを浮かべている、一体一体その表情は様々。
還暦過ぎのおやじですが、目を三角にする表情も時にはある、災い除けの赤を身に着け、余分な力を抜いて自然な笑みを浮かべたいもの。

f:id:owari-nagoya55:20200215191853j:plain 堂の右の院号標は「蔵王山 延命閣 地蔵院」とある。

f:id:owari-nagoya55:20200215191922j:plain 堂の右脇に一体の地蔵が祀られています。
下半身は地の色が現れていますが、顔だけが妙に黒ずんでいます。

f:id:owari-nagoya55:20200215192119j:plain 個性を主張するかのように、この地蔵だけグレーの帽子をかぶり、六地蔵を見つめています。
久国寺から移された地蔵か?と勘繰りたくなりますが彼ではないようです。
六地蔵の幼い愛らしい表情とは違い、目をうっすらと開け、瞑想でもしているかのような顔つきの寡黙な地蔵さん。

f:id:owari-nagoya55:20200215192142j:plain 本堂の鬼瓦。
こちらにも五三の桐が入っています。

f:id:owari-nagoya55:20200215192205j:plain 堂に掲げられた山号額、これで「蔵王山」。
言われれば読めなくもない。

f:id:owari-nagoya55:20200215192229j:plain 堂内の眺め。
正面に小さな座像と奥に三体の地蔵が祀られています。
公園の由緒に書かれていた久国寺門前の六地蔵から移されたとされる一体は中央のものです。

f:id:owari-nagoya55:20200215192256j:plain 鬱蒼とした杜の尼ケ坂、通行人目当ての辻切りが出没しても何らおかしくない。
そんな蛮行の犠牲となった人の無念も残り、安らかに弔いたいと念じる気持ちが芽生えるのは自然だ。
久国寺住職から「君しかいない」と期待と願いを託され、単身赴任でやってきて責務を全うし続けた。
住職もさぞかし満足なことだろう。

薄暗い尼ケ坂を行き交った旅人から、今や周囲は開け明るい森に変貌し、駅を目指す通勤・通学の住民が行き交う、緑が残る閑静な住宅地となり辻斬りに逢うこともない。
変貌したとはいえ、ここで犠牲になった方々の無念を鎮めるため故郷には戻れる予定はなさそうです。


蔵王山 延命閣 地蔵院」
住所 /  名古屋市北区大杉1-21-8
公共交通機関アクセス /   ​名鉄瀬戸線「尼ケ坂駅」から南へ徒歩5分程​