日進市梅森台『八幡社』

白美龍神社を後に国道302号線を南下、国道153号線と交わる「梅が丘」交差点を左折、しばらく153号線を走り「梅森西」交差点で左折、県道221号線へ。
左折して進行方向右側にこんもりと杜が見えています、目的地の梅森「八幡社」です。
米田珈琲」の北側を右折すれば社頭の駐車場が左にあります。

f:id:owari-nagoya55:20210420092246j:plainそれにしてもこの辺りの環境の様変わりの凄まじいこと。
上は明治頃の牧野ヶ池と八幡社の地図。
少し前は山と水田、造成地が広がり、オフロードバイクで走り回っていた道などさっぱり分からなくなった。
外食に困る事もなく、名古屋市内に比べても充実し羨ましいくらいだ。
車さえあれば住みやすそうな街が広がっている。

f:id:owari-nagoya55:20210420092345j:plain交通量の多い県道沿いに面していながら、八幡社の杜はその喧噪を随分と打ち消してくれている。
社地外周を新し目の玉垣が取り囲んでいます。
社頭で最初に目につくのが木造の笠木の曲線が綺麗な両部鳥居。
そこから先は僅かな石段が境内へ続いています。

f:id:owari-nagoya55:20210420092402j:plain石段の左に社号標があり、鳥居の先には拝殿千鳥破風が見えています。

 

 

f:id:owari-nagoya55:20210420092445j:plain石段付近の玉垣竣工碑、1980年に奉納されたものの様です。
八幡社の由緒書きは見当たりませんでしたが、尾張志(1844年)、寛文村々覚書(寛文年間)に記録が残り
創建となるとさらに遡りそうです。
明治の地図からも分るように、山と水田が広がり、そこに集落が点在し村の氏神さまとして古くから崇敬されてきた。
社殿は1945年戦災で焼失、後に1947年(昭和22)、1980年(昭和55年)、2003年(平成15)と氏子の支援もあり復旧・改修が行われ現在に至っているようです。



境内全景。
社頭から拝殿まで真っすぐに石段が続き、表通りの喧騒は嘘のよう、静かで明るく広い境内を持っています。
境内は周辺の子供達の遊び場でもあるようで、多くの子供たちが鬼ごっこでもやっているのだろう、木々や狛犬の影から突然現れる、彼らの縄張りに挨拶もなく怪しいおやじが訪れれば無理もないだろう。
お邪魔させていただきますよ。

境内左に手水舎、ここが彼らの基地のようだ。

八幡社拝殿全景。
瓦葺の入母屋造りで千鳥破風が施され、拝殿と幣殿が繋がり、その先に流造の本殿。
拝殿は左の社務所と廊下で繋がっている、子供の気配はいっぱいあるが大人の気配を感じられない。

拝殿に掲げられた八幡社の額、鈴紐は外されています。

八幡社ということ、祭神は品陀和気命(応神天皇)で間違いないだろう。
拝殿から本殿方向の眺め、木の色合いと漆喰の白の色合いは気持ちが洗われるような清々しさがある。
まずは参拝しよう、僅かな賽銭大きな願い・・・・・。

拝殿右から幣殿と本殿、落ち着いた趣のある佇まい。
右に小さな社があります。

御伊勢様
所謂、神明社だろう、石垣が高く積まれた台座の上に板宮造りの小さな社鎮座しています。
そのまま、本殿域後方に回り込めるのでひと回りしてみます。

西側から本殿、幣殿、拝殿を眺める。
こうして見ると拝殿だけは瓦葺。

境内右に入母屋瓦葺の拝殿。
右に神馬像。

妻入りの拝殿は四方が格子扉で囲われ、その先に狛犬が守護する流造の本殿。

山神社、富士社、御鍬社、金比羅社を祀る相殿で、中に社が祀られているようです。

これは拝殿というより覆殿、四方格子扉の外観は瓦屋根が重たそうだ。
格子から外光が差し込み浮かび上がる社。

本殿は五本の鰹木と外削ぎの千木が付く。
こちらの社殿も人目を引く飾りを廃したシンプルなもの。

八幡社拝殿から鳥居方向の眺め。
ここは静かで落ち着ける空間です。

・・・・・あんなにいた子供らはどこにいった? 石畳の上におもちゃが置いたままだ、再び隠れたか?

手水舎の奥に造営記念碑と旧社号標、子供らを見守るように忠霊社祀られている。

鳥居から望む田畑の向うに天白川が流れ、その遥か先にはビルの立ち並ぶ街が広がる。
まだまだ田園風景と小魚が泳ぐ川が残っている。

梅森台「八幡社」
創建 / 不明、尾張志(1844年)、寛文村々覚書(寛文年間)に記録が残る
祭神 / 品陀和気命(応神天皇)
境内社 / 御伊勢様(神明社)、山神社、富士社、御鍬社、金比羅社、忠霊社
所在地 / ​愛知県日進市梅森台1-177​ 
白美龍神社から車アクセス /   ​ 国道302号線⇒国道153号線⇒県道221号線​ 所要時間10分程
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