「八幡社」愛西市北一色町

愛西市一色町 「八幡社」
森川花はす田を訪れた帰り道、モーニングを食べに喫茶店に立ち寄った近くの神社。

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ここまで来ると周囲の景観はそれまでの田園風景から住宅に変わる。
八幡社の社頭は鳥居の更に南から始まります。
右側の社号標「八幡社」の年号は読み取れなかったけれど、側面に「御大典記念」とある。
石の風化具合は昭和天皇の御大典(1928年昭和3)に合わせて奉納されたものか。

f:id:owari-nagoya55:20210815095125j:plain一色町「八幡社」は住宅地の中に鎮座します。
境内に公園が作られたのか、公園の敷地に鎮座したものか詳細は不明。

f:id:owari-nagoya55:20210815095211j:plain明治31年頃の当地と現在の状況。
周囲が田園だった頃から北一色集落の北側に既に鎮座している事が分かります。
社地の一部を地域住民の公園にしたようです。

f:id:owari-nagoya55:20210815095232j:plain八幡社鳥居から境内
外周は玉垣で囲われ、鳥居の先に石の番塀がある。

f:id:owari-nagoya55:20210815095251j:plain鳥居扁額。

f:id:owari-nagoya55:20210815095306j:plain蕃塀から境内。
蕃塀の先に常夜灯、手水舎は左にある。

f:id:owari-nagoya55:20210815095322j:plain蕃塀下部には獅子の堀が施され、その前には過去の扁額が置かれている。

f:id:owari-nagoya55:20210815095339j:plain手水舎と常夜灯
鉢の背面に年号らしき彫があるがこれも読み取れない、無理すれば文政(1818~1831)とも読めなくもないが、自信はありません。

f:id:owari-nagoya55:20210815095356j:plain手水舎から社殿全景。
瓦葺切妻の妻入り拝殿と渡廊を経て瓦葺切妻の平入幣殿に繋がり、その先に本殿。

f:id:owari-nagoya55:20210815095412j:plain拝殿全景、手前に一対の狛犬が守護する。

f:id:owari-nagoya55:20210815095430j:plain1934年(昭和9)奉納の狛犬

f:id:owari-nagoya55:20210815095448j:plain拝殿額と拝殿内から幣殿の眺め。
額が掲げられ何か記されているが内容は不明。
境内には由緒を記した掲示物は見当たらなかった。

f:id:owari-nagoya55:20210815095505j:plain幣殿前の守護担当。
吽形の台座には1927年(昭和2)とある、小さいながら風貌は貫禄がある。

f:id:owari-nagoya55:20210815095523j:plain創建年代は不詳ですが、神社の棟札の最古のものが1781年(天明元年)まで遡れるようで、創建は更に遡るかもしれません。
手水鉢の文政?も意外とありかもしれない。

f:id:owari-nagoya55:20210815095539j:plain本殿は流造、小さいながら虹梁、木鼻等はしっかり彫りが施されている。
祭神は応神天皇

f:id:owari-nagoya55:20210815095557j:plain本殿後方から拝殿方向の眺め。
随分と高く石垣が積まれ、本殿域を玉垣が囲う。

f:id:owari-nagoya55:20210815095616j:plain北一色児童遊園から神社の眺め。
境内の杜は背も高く、適度に伽藍を隠しているが、鬱蒼としたものではなく風の通りも良い。
遊び疲れた子供たちに心地いい木陰を提供している。
社地に児童遊園をよく見かける、神社の税負担低減の施策の一部だろうかね
「八幡社」は神社庁に属しているようですが、社格などは調べてはいない。

一色町 「八幡社」
創建 / 不明
御祭神 / 応神天皇
所在地 / 愛西市一色町北田面253
公共交通機関アクセス / 名鉄尾西線「佐屋」駅から北東へ徒歩10分程
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