岐阜県下呂市「浄観堂」
水無八幡神社から宿を目指す。
登りばかりの路を下呂温泉合掌村方向に向け歩いていると写真の建物と小さな祠に目が止まり立ち寄ってみた。
地図で見るとここは浄観堂とある。
左に石の祠があり、浄観堂から右に下ると小瀬稲荷に至るが、その道沿いにも複数の祠が見られた。
下ると登らにゃいかん、そちらはパスして上を目指す。
右の建物は宮本公民館、浄観堂はここに付随して建てられた切妻、平入の堂で小さな向拝の下には鈴が吊るされている。
住民が集う公民館、こうした堂や社が併設して祀られるのを目にすることがある。
集落の外れでそっと佇む事を思えば、人が集う場所に祀られる方が忘れ去られる事もない。
堂の拝所に架けられた浄観堂の額。
堂の内部。
40体程の観音像を安置する観音堂のようだ。
浄観堂について調べて見たが詳細は分からなかった。
浄観堂左に祀られた石の祠。(写真は14番)
この辺りはこうした祠が多数見られ、祠は後方の山の頂に鎮座する高野山真言宗 飛騨信貴山 山王坊まで延々と祀られています。
宿に向かう道沿いが特に集中し、辛いばかりの長い上り坂ですが、時折現れる石仏を拝みながら登っていく事になります。
浄観堂から上に進むと目の前に車道が現れ、山側にはこうした石垣が続き、歩道も整備されています。
下で見かけた形の祠が石垣の中に一定の間隔で祀られている。
(写真は16番)
途中には愛宕神社に続く石段があるが、下から社殿は見えず、明日も歩いて下る元気があれば訪れる事にしてここはパス。
上は17番、下は18番。
これが88ヶ所続くわけ。
21番
上は31番、道は左に緩いカーブを描くので終わりの見通しがつかない。
下は32番、この辺りで前方が開け、左側には宿へ続く緩い下りの道があらわれる。
祠の全てを見て廻れなかったが、あそこで登りは終わりだ。
石標に「東海圏新西国 第二番札所」とある。
昭和43年8月、集中豪雨に伴う土石流に巻き込まれ、41号線を走行中の観光バス2台が飛騨川の濁流に転落、多くの方がなくなった「飛騨川バス転落事故」御存知だろうか。
それでもこの国道や鉄道は常に災害のリスクが伴う、安全で快適が当たり前のように錯覚してしまう昨今、こうした碑は風化させたり撤去してはいけない。
ラグビー爺さんの銅像立てたところで何も学びはない、やりたきゃ自腹で建て、維持管理すればいい、どうでもいい話。
この観音霊場は犠牲者の慰霊と供養を弔う目的で事故後設けられた33の霊場で山王坊はその一つ。
山王坊の門前から少し下ると右手に大学のキャンパスの様な施設が現れる。
今夜の宿「大江戸温泉物語 下呂新館」
ウェルカムドリンク(ビール)飲み放題に釣られて来たが、どんなところか楽しみだ。
それにしても歩いてくるには不便な場所、次があれば送迎バスに乗ってこよう。
浄観堂
水無八幡神社から大江戸温泉物語 下呂新館まで徒歩ルート / 25分前後
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